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魯迅【ろじん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

魯迅
ろじん
Lu-xun
[生]光緒7(1881).8.3. 浙江紹興
[没]1936.10.19. 上海
中国の文学者,思想家。本名,周樹人。字,予才。ほかに多くの筆名がある。少年の頃祖父の失脚で貧窮を体験。光緒 28 (1902) 年日本に留学,医学を志したが文学の重要性を痛感し,帰国後,1918年短編小説『狂人日記』で作家として出発,以後代表作『阿Q正伝』をはじめ,多くの小説,随筆,評論を発表,外国文学の翻訳,紹介にも努め,中国近代文学の祖となった。その作品に一貫しているのは,民族の将来を憂い,民族精神の改革を説く姿勢である。反動政府を逃れ,27年からは上海に妻の許広平と定住,30年左翼作家連盟発足後はその指導者となり,民族統一戦線のため不屈の論陣を張ったが,過労で倒れた。短編小説集『吶喊 (とっかん) 』『彷徨』。 38年に全集が編まれている。

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デジタル大辞泉

ろじん【魯迅】
[1881~1936]中国の文学者・思想家。浙江(せっこう)省紹興の人。姓は周、名は樹人。字(あざな)は予才(よさい)。周作人の兄。日本に留学、帰国後、革命運動に参加したが、のち学問に没頭。1918年、魯迅の筆名で「狂人日記」を発表。以後、「阿Q正伝」など多数の小説・雑感を発表。1930年に中国左翼作家連盟に加盟。翻訳、文学史研究などにも大きな功績を残した。散文詩集「野草」、短編小説集「故事新編」など。ルー=シュン。
竹内好の評論。の死の直後から書き始められ、昭和18年(1943)脱稿。武田泰淳が校正を行って昭和19年(1944)に刊行された。その後の魯迅研究に大きな影響を与えた著者の代表作。

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ルー‐シュン【魯迅】

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

魯迅 ろじん
1881-1936 中国の文学者,思想家。
光緒7年8月3日生まれ。周作人の兄。明治35年(1902)日本に留学し仙台医専にはいるが中退し,文学に転向。42年(1909)帰国し,辛亥(しんがい)革命後は臨時政府の教育部員となる。1918年小説「狂人日記」を発表。ついで代表作「阿Q正伝」や社会,政治,文化を批判した小説・評論を多数執筆。1927年上海にうつり,左翼作家連盟の中心として論陣をはった。1936年10月19日死去。56歳。浙江省出身。本名は周樹人。字(あざな)は予才。中国語読みはル-シュン。
【格言など】青年時代には,不満はあっても悲観してはならない。つねに抗戦し,かつ自衛せよ

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ろじん【魯迅 Lǔ Xùn】
1881‐1936
中国の文学者,思想家。本名周樹人,字は予才。その弟に周作人がいる。浙江省紹興の裕福な官僚地主の家に生まれたが,少年期に家が没落して辛酸をなめたことが,最初の現実覚醒の契機となった。やがて,清末に流入した進化論をはじめとする西欧啓蒙思潮の影響を受けつつ日本に留学,はじめ民族救済の道を医学に求め仙台医学専門学校に籍をおくが,弱小民族として差別される経験を重ねるうち文学に傾斜し,東欧被抑圧民族の文学を訳出する。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ろじん【魯迅】
1881~1936) 中国の文学者。浙江省出身。本名は周樹人、字あざなは予才。初め日本に留学して医学を志したが、のち文学に転じた。「狂人日記」「阿 Q 正伝」など数々の小説・詩・散文を発表して社会悪の根源をえぐりだした。中国左翼作家連盟の中心として各派と激しく論争を展開。著作集「吶喊とつかん」「彷徨」「野草」など。ルーシュン。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

魯迅
ろじん / ルーシュン
(1881―1936)
中国の文学者、思想家。9月25日浙江(せっこう)省紹興(しょうこう)に生まれる。本名は周樹人、字(あざな)は予才、ほかに迅行、唐俟、巴人など数十の筆名を用いた。家は祖父が知県も務める中地主だったが、祖父が科挙の不正事件で入獄、父も病死して、にわかに没落、彼は長子として生活の苦労も体験した。「世の中の人々の真の顔を見た」と自らいっている。1898年南京(ナンキン)の江南水師学堂に入学したが、内容に不満で退学、江南陸師学堂付設の鉱務鉄路学堂に入学、ここで厳復(げんふく)訳による西洋近代思想や変法派系の新聞、雑誌に触れた。
 1902年(明治35)官費留学生として日本に派遣され、弘文(宏文)(こうぶん)学院を経て仙台医学専門学校に入学した。このころ思想的には革命派の立場にたち、清(しん)朝打倒を目ざす光復会にも加入した。仙台医専在学中、志を文学に転じて退学、東京に戻って企画した文学運動の雑誌『新生』は未成に終わったが、そこに発表するはずであった内容は、『河南』(1907年中国人留学生が東京で創刊した雑誌)に掲載した「文化偏至論」「マラ詩力説」「破悪声論」(いずれも1908)など一連の論文にみられる。強烈な個性と反逆精神をもつ詩人=精神界の戦士を顕彰して中国にもその誕生を促し、その叫びによって民衆の心を燃えたたせる、というのが当時の彼の描いた中国変革のイメージであった。民衆の問題を中心課題としているとはいいながら、具体的な運動論も組織論ももたぬ抽象的、観念的なものであった点で、当時の革命派の思想と、正負両面の特徴を共有していたといえる。これらの論文と並行して、弟の周作人(しゅうさくじん)とともにロシア、東欧の短編の翻訳『域外小説集』(1909)も出版したが、いずれもさしたる反響もないまま1909年帰国した。
 帰国後、杭州(こうしゅう)、紹興で教師をするうちに辛亥(しんがい)革命(1911)を迎え、新政府に教育部員として参加、北京(ペキン)に移った。しかし辛亥革命後の現実は、彼の革命像を大きく裏切るもので、袁世凱(えんせいがい)の反動のもと、「寂寞(せきばく)」の時期を送る。やがて『新青年』を中心に起こった文学革命にも当初は消極的だったが、1918年、友人の勧めもあって『狂人日記』を発表、以後『阿Q正伝(あキューせいでん)』(1921~1922)等、のちに『吶喊(とっかん)』(1923)、『彷徨(ほうこう)』(1926)にまとめられた小説を発表した。これは文学革命に実質を与え、中国近代文学の成立を示すものであるとともに、彼にとっては、中国社会と民衆のあり方を振り返り、青年時代の革命像を再検討する意味をもったものでもあった。また一方鋭い社会・文化批評を込めた「雑文」を執筆した。雑文はやがて著作の大きな部分を占め、中国文学のなかでも独自の一ジャンルとなることになる。この時期には北京大学その他で『中国小説史略』(1923~1924刊)を講じた。これは小説史という新しい分野を開拓したもので、小説史研究の古典とされる。
 1925年、北京女子師範大学の改革をめぐって新旧両派の衝突した「女師大事件」では、進歩派の学生・教員とともに軍閥政府に抵抗、そのためいったんは教育部員を罷免されたが、平政院に提訴して勝利を収めた。一方とくに自己の内面の矛盾に光をあてた散文詩集『野草(やそう)』(1927)を書いた。彼は留学中に一度帰国して朱安(しゅあん)(1878―1947)と古い型の結婚をしていたが、このころ女師大の学生だった許広平(きょこうへい)と出会い、しだいに愛が生じた。1926年夏、厦門(アモイ)大学に移ったが、その空気に不満で1927年初め、国民革命の根拠地だった広東(カントン)に移り、ここで四・一二事件(上海(シャンハイ)クーデター)を体験、思想的にも大きな転機となった。1927年秋上海に移り、このときから許広平と同居、1929年に1子海嬰(かいえい)(1929―2011)をもうけ、死まで上海に住んだ。
 上海では国民革命の挫折(ざせつ)を機に、プロレタリアートの意識にたつ「革命文学」を唱える創造社、太陽社から、過去の暗黒しかみることのできぬ小ブル文学者と非難を受けたが、逆に、彼らが文学に対してのみならず革命に対しても安易であることをついて「革命文学論戦」を展開した。一方、自らマルクス主義芸術論やソビエト文学を精力的に翻訳した。やがて創造社等の側にも中国共産党の指導もあって態度に変化が生まれ、1930年左翼作家連盟の結成に至ると、その中心的人物となり、国民党政府の弾圧やその御用文人と非妥協的に論争した。一方、左翼内部の弱点も見逃さない彼の眼(め)とその発言は、若い党員文学者の一部には理解しがたいものもあったらしく、彼らとの間にはある種の摩擦もあった。1936年抗日統一戦線をめぐって周揚(しゅうよう)らとの間で展開した「国防文学論戦」などもその表れであった。
 芸術にも早くから関心をもっていたが、1931年内山完造(うちやまかんぞう)の弟嘉吉(かきつ)(1900―1984)を招いて木版画講習会を開いたのをはじめとして若い木版作家を養成、中国現代版画の基礎を築いた。作品のおもなものにはほかに、回想録風の作品集『朝花夕拾』(1928)、神話・歴史に題材をとったユニークな短編集『故事新編』(1936)、許広平との往復書簡集『両地書』(1933)、雑文集多数がある。また翻訳にも力を注ぎ、全著作にほぼ匹敵する分量の翻訳がある。翻訳は、日本文学、ロシア文学ほか多岐にわたり、日本文学では森鴎外(もりおうがい)、夏目漱石(なつめそうせき)、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)などのほか、厨川白村(くりやがわはくそん)、片上伸(かたかみのぶる)などのものが多い。1936年10月19日没。[丸山 昇]
『竹内好訳『魯迅文集』全6巻(1976~1978・筑摩書房/ちくま文庫) ▽竹内好著『魯迅』(1944・日本評論社/新版・1961・未来社/講談社文芸文庫) ▽増田渉著『魯迅の印象』(1948・講談社/新版・1970・角川書店) ▽飯倉照平著『人類の知的遺産69 魯迅』(1980・講談社) ▽丸山昇著『魯迅――その文学と革命』(平凡社・東洋文庫)』

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367日誕生日大事典

魯迅 (ろじん)
生年月日:1881年9月25日
中国の作家;思想家;文学史家
1936年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

ろじん【魯迅】
中国の文学者。浙江省紹興の人。本名周樹人。周作人の兄。日本に留学。帰国後文学革命期に「狂人日記」「阿Q正伝」を書いて中国近代文学の出発点を築いた。一九二〇年代末の革命文学論争を経て中国左翼作家連盟に加わり、左翼文学運動の中心人物の一人となった。小説集「吶喊」「彷徨」、散文詩集「野草」など。評論や翻訳も多い。(一八八一‐一九三六

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