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頤和園【いわえん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

頤和園
いわえん
Yi-he-yuan
中国,ペキン (北京) 市の北西約 10km,清朝西太后離宮で知られる名園。頤和園は万寿山とその南麓にある人造湖昆明湖総称。周囲約 8km。鮮やかな色彩で彩られた多くの楼閣,長廊,湖上に浮かぶ石舟,蘭花,柳など絶好の景勝地。明代には好山園といわれ,清の乾隆帝ハンチョウ (杭州) のシー (西) 湖にならってつくり,清い園 (せいいえん) とも呼ばれた。咸豊 10 (1860) 年天津条約の批准をめぐってイギリスとフランスの連合軍8万が北京へ進駐し,西郊円明園が焼かれた際に類焼した。光緒 14 (1888) 年西太后の命によって再建され,名称も頤和園と改称。光緒 20 (1894) 年西太后は自分の還暦祝いのため,大金を投じて大改修工事に着手。イギリスから借りた北洋艦隊増強用金までこの工事に流用した。現在北京市民憩いの場として一般に公開されている。 1998年世界遺産の文化遺産に登録。

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デジタル大辞泉

いわ‐えん〔‐ヱン〕【頤和園】
中国、北京の北西郊にある清朝の離宮。金時代の苑囿(えんゆう)の乾隆帝造営。1860年、英仏軍に焼かれたが、1888年西太后巨額を投じて再建。万寿山昆明湖が有名。1998年「頤和園、北京の皇帝の庭園」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。

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世界遺産情報

頤和園
頤和園(いわえん)は、北京の西北部に位置する、皇室のサマーパレスとして名高い庭園公園です。290万平方mと北京最大で、その3/4を湖が占めています。世界で最も有名な古典庭園の一つであり、1998年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。主に万寿山と昆明湖の二つの部分から構成されており、すべての建築が山と湖の形に基ずいて巧みに配置され、借景や造景の芸術も採用されて景色が変化に富んでいます。仏香閣、長廊、仁寿堂、十七孔橋、諧趣園、蘇州街、石坊が主な見所です。

出典:KNT近畿日本ツーリスト(株)

世界大百科事典 第2版

いわえん【頤和園 Yí hé yuán】
中国,北京の北西郊約10kmにある清朝の離宮。明代には好山園といい,清の1750年(乾隆15)以来大規模な改築がなされ,清漪園(せいいえん)と改称された。1860年(咸豊10),英仏連合軍により焼尽。88年(光緒14),西太后が再建して頤和園と改称。1900年,義和団事件で再び破損したが,3年後に修復された。面積約3.4km2で,昆明湖が大半を占め,北側に万寿山がある。山の東に宮殿に相当する仁寿殿,その北に寝殿の楽寿堂があり,山の中央斜面に沿って,仏香閣,排雲殿などの主要な建築群が集中して建つ。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

いわえん【頤和園】
中国、北京ペキンの北西にある清朝の大庭園。乾隆帝以来の離宮が1860年英仏軍に焼き払われたのを、88年西太后が再建し頤和園と名づけた。万寿山と昆明池をめぐる雄大な名園。イーホーユワン。

出典:三省堂
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世界の観光地名がわかる事典

いわえん【頤和園】
中国の首都、北京市の中心から12kmほど北西部にある、清王朝の御苑。現存する中国最大の古代庭園で、総面積は290ha。うち75%を占める昆明湖(こんめいこ)と建築群で構成されている。「万寿山(まんじゅさん)」と「昆明湖」の二大風景区からなり、さまざまな自然の景色を堪能できる。世界遺産にも登録されている。

出典:講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

頤和園
いわえん / イーホーユワン
中国、北京(ペキン)の北西郊外にある庭園。清(しん)朝の離宮で、中国現存の庭園としては最大規模のものといわれる。その起源は12世紀の金代の行宮(あんぐう)とされ、1497年円静寺がつくられて、南の西湖とあわせて好山園とよばれた。1750年、清の乾隆帝(けんりゅうてい)は寺を改築し、付属の建物や庭園を整備して清(せいいえん)と称した。1860年天津(てんしん)条約の批准を強いるイギリス・フランス連合軍の侵入の際、焼き払われて廃墟(はいきょ)となり、1888年復興、西太后は海軍の予算を流用して庭園を改修、頤和園と改名した。しかし1900年、義和団事件に際し八か国連合軍が侵入し、ふたたび破壊された。現存のものは1903年に復旧したもので、面積約2.9平方キロメートル、周囲8キロメートル。北に万寿山(まんじゅさん/ワンショウシャン)があり、その南斜面より昆明(こんめい)湖岸一帯にかけて仏香閣、長廊、排雲殿などの美しい建物が配置され、西山(せいざん/シーシャン)、玉泉山(ぎょくせんざん/ユイチュワンシャン)を借景とする美しい造園がみられる。この庭園は1998年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。[船越昭生]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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