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青木木米【あおき もくべい】

美術人名辞典

青木木米
江戸後期の文人画家・陶工。京都生。通称は木屋佐兵衛、別号に聾米・九々鱗等。奥田頴川に陶法を学び、粟田に築窯。染付青磁赤絵・南蛮等の作風を受けて、煎茶器を中心に独自の境地を開く。天保4年(1833)歿、67才。

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デジタル大辞泉

あおき‐もくべい〔あをき‐〕【青木木米】
[1767~1833]江戸後期の陶工・南画家。京都の人。後年、聾米(ろうべい)と号す。煎茶(せんちゃ)器にすぐれ、交趾(コーチ)染め付けなどを得意とした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

青木木米 あおき-もくべい
1767-1833 江戸時代後期の陶工,画家。
明和4年生まれ。奥田穎川(えいせん)らにまなび,京都粟田で窯をひらき,煎茶(せんちゃ)器,抹茶器をつくる。青蓮院御用焼物師。文化3年加賀金沢藩主にまねかれ,春日山窯をひらく。文人画家としても知られた。天保(てんぽう)4年5月15日死去。67歳。通称は八十八,佐兵衛。別号に九九鱗,青来,古器観,聾米など。屋号は木屋。

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世界大百科事典 第2版

あおきもくべい【青木木米】
1767‐1833(明和4‐天保4)
江戸後期の京焼の陶工,文人画家。京都祇園新地の茶屋,木屋(きや)に生まれ,幼名は八十八,後に佐兵衛を襲名。木米の号は木屋と幼名にちなむ。聾米,九々鱗,百六散人,古器観,停雲楼などとも号す。幼時から高芙蓉を訪れ,古器物の鑑賞,儒学や篆刻(てんこく)を学び,後には田能村竹田頼山陽などと交わり,文人としての素養を養った。大坂の豪商木村蒹葭堂(けんかどう)のもとで,中国の陶書《陶説》を読み,それに啓発され1796年(寛政8)ころから製陶を志した。

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大辞林 第三版

あおきもくべい【青木木米】
1767~1833) 江戸後期の陶工。京都の人。奥田穎川えいせんに陶法を学び京都粟田に開窯、中国風の煎茶器に優れた技量を示す。また金沢春日山窯を指導。書画にも巧みであった。晩年耳を病み聾米ろうべいと称す。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

青木木米
あおきもくべい
[生]明和4(1767).京都
[没]天保4(1833).5.15. 京都
江戸時代後期の陶工,文人画家。幼名を八十八 (やそはち) ,成人後の通称木屋佐兵衛。号は木米のほか聾米 (ろうべい) ,九々鱗,百六散人,古器観など。年少の頃,高芙蓉に漢学,篆刻を学び,30歳頃木村蒹葭堂について文人としての教養を修めた。また奥田頴川 (えいせん) ,11代文造 (宝山) らの指導を受け,寛政8 (1796) 年頃から作陶を始め,京都粟田に窯を築き,加賀では九谷焼の復興に尽力した。作品は当時流行の中国磁器風のものが多く,染付,青磁,焼締め,南蛮写し,交趾 (こうち) 写しなどによる煎茶器が主である。陶技のほか書画詩文にもすぐれ,『兎道朝暾図 (うじちょうとんず) 』 (東京国立博物館,岡山美術館ほか) などの名作がある。また,自伝的陶磁論『上奥殿侯書』の執筆,および清の朱 琰 (しゅえん) の著作『竜威秘書』中の「陶説」 (木米が作陶を志す端緒になったとされる書) の翻刻も行い,没後の天保6 (1835) 年に公刊された。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

青木木米
あおきもくべい
(1767―1833)
江戸後期を代表する京都の文人陶工、南画家。明和4年京都祇園縄手(ぎおんなわて)の茶屋「木屋」に青木佐兵衛の子として生まれる。通称木村佐兵衛、号は木米のほか青来、百六山(散)人、古器観、九々鱗、聾米(ろうべい)など数多い。富裕な家系の子弟である木米が陶工の道を選んだ動機は、大坂の文人木村蒹葭堂(けんかどう)宅で中国清(しん)朝の朱笠亭(しゅりゅうてい)の著『陶説』を閲読したことによる。また書画に巧みな京都の高芙蓉(こうふよう)を訪ねて絵画や書の手ほどきを受けたらしい。木米は古銅器や古銭をも賞翫(しょうがん)するあまり鋳金技術も習得していたといわれている。江戸後期に流行した中国趣味に存分に浸って成長した木米は、書画、工芸諸般の技術を体得したが、結果としては南画と煎茶(せんちゃ)道具を主体とする陶磁器に彼の才能は絞られていった。陶工としての木米は、建仁寺に住んでいた奥田穎川(えいせん)に師事し、穎川の始めた磁器製法を煎茶道具に応用し、中国の染付(そめつけ)、赤絵、青磁、交趾(こうち)焼の技術と様式を受け止めつつ、南蛮焼(東南アジアの焼締陶(やきしめとう))、朝鮮李朝(りちょう)時代の陶磁の作風も加味して、江戸後期らしい多種多彩な焼物を残した。1824年(文政7)58歳のころ、彼の作画や作陶がもっとも円熟した時期に、耳が不自由になり聾米の号を使い始めた。南画では『兎道朝(うじちょうとんず)』『新緑帯雨図』『騰竜山水図』などが有名。天保(てんぽう)4年5月15日没。[矢部良明]

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