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隆寛【りゅうかん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

隆寛
りゅうかん
[生]久安4(1148).京都
[没]安貞1(1227).12.13. 相模
鎌倉時代の浄土宗僧。長楽寺流の。初め比叡山に学び,学徳誉れ高く権律師に任じられたが,のち法然上人から浄土教を受け,京都長楽寺の来迎房に住んで念仏を修した。多念往生の義を主張したとされるが,書によるかぎりそうともいえない。比叡山の定照の『弾選択』に対して『顕選択』を著わして反論したため,比叡山徒に弾劾されて奥州に配流されることとなったと伝えられるが,護送吏の森入道西阿の帰依を受け,ひそかにその領地にとどまり,そこでした。著書『具三心義』『弥陀本願義』『極楽浄土宗義』ほか多数。

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デジタル大辞泉

りゅうかん〔リユウクワン〕【隆寛】
[1148~1228]平安末期・鎌倉前期の浄土宗。京都の人。法然師事東山長楽寺に住み、多念義を主張。著「一念多念分別事」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

隆寛 りゅうかん
1148-1228* 平安後期-鎌倉時代の僧。
久安4年生まれ。藤原資隆(すけたか)の子。皇円,慈円に天台をまなんだが,浄土宗の法然の弟子となって京都長楽寺にはいる。多念義を主張し,その門流は長楽寺流とよばれる。定照(じょうしょう)の「弾選択(だんせんじゃく)」に反論して「顕選択」をあらわす。この論争がもとで陸奥(むつ)流罪(嘉禄(かろく)の法難)となり,配流の途中相模(さがみ)(神奈川県)飯山で安貞元年12月13日死去。80歳。字(あざな)は皆空無我

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

りゅうかん【隆寛】
1148‐1227(久安4‐安貞1)
鎌倉初期の浄土宗の僧。法然の門弟。少納言藤原資隆の子。慈円などについて天台を学び,権律師に進んだが,1204年(元久1)以後法然の弟子となった。洛東長楽寺に居したので長楽寺義と呼ばれ,多念義を称えた。27年《顕選択(けんせんじやく)》を著したため叡山衆徒の非難にあい,その身は流罪になると同時に法然の墓所があばかれるという専修念仏弾圧を招いた。相模飯山にて死去。【細川 涼一】

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日本大百科全書(ニッポニカ)

隆寛
りゅうかん
(1148―1227)
平安・鎌倉時代の僧。法然(ほうねん)(源空)の高弟の一人。長楽寺流の祖。字(あざな)を皆空(かいくう)(または道空)、無我(むが)ともいう。藤原資隆(ふじわらのすけたか)(生没年不詳)の子として生まれ、幼少のころ比叡山(ひえいざん)に登り、皇円(こうえん)(?―1169)に天台を学ぶ。1206年(建永1)ころにはすでに叡山を下り、京都東山の長楽寺に住し、もっぱら法然の教えを相承した。1212年(建暦2)に師の入滅にあうや、京都における念仏者集団の対外的な指導者として大いに活躍する。しかし、1227年(安貞1)比叡山衆徒の弾圧にあい、陸奥(むつ)配流の途中、相州飯山(いいやま)(神奈川県厚木)にて入寂。その教えは同門親鸞(しんらん)に大きな影響を与えた。著述に『弥陀本願義(みだほんがんぎ)』『具三心義』『極楽(ごくらく)浄土宗義』『知恩講私記』などがある。[廣川尭敏]
『平井正戒著『隆寛律師の浄土教 附 遺文集』(1941・金沢文庫浄土宗典研究会) ▽石田充之著『法然上人門下の浄土教学の研究』上下(1979・大東出版社)』

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精選版 日本国語大辞典

りゅうかん リュウクヮン【隆寛】
鎌倉初期の浄土宗の僧。長楽寺派の祖。字は皆空、号は無我。藤原資隆の子。比叡山で慈円に師事、のち法然の門にはいり、その没後、多念往生の説を唱えた。安貞元年(一二二七)比叡山定照の「弾選択」に対する反論書「顕選択」を著わしたため、山徒に訴えられて奥州に流罪となったが、護送役人の帰依を受けて相模の飯山(神奈川県厚木市飯山)に留められ、ここで没した。著書は他に「一念多念分別事」「極楽浄土宗義」など。久安四~安貞元年(一一四八‐一二二七

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