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陵墓【りょうぼ】

知恵蔵

陵墓
宮内庁が管理するは、歴代天皇112、皇后など76の計188。皇族らの墓は552。また伝承などから陵墓の可能性があるとして管理する陵墓参考地は46。現に命日に当たる日に式年祭をとり行っている「生きたお墓」として部外者の立ち入りを拒んできた宮内庁に、考古学界の批判が高まっており、近年は地元自治体などとの合同調査や修復のための調査などに一部研究者の立ち入りを認めるケースも出てきた。
(岩井克己 朝日新聞記者 / 2008年)

出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」

朝日新聞掲載「キーワード」

陵墓
天皇や皇喉皇太后を葬った「陵(みささぎ)」と、それ以外の皇族の「墓」などからなり、合計850。他に被葬者を特定できないが陵墓の可能性がある「参考地」が46ある。皇室用財産として宮内庁が管理する。明治憲法公布直後の1889年に古墳時代天皇陵がすべて定まり、その後の変更はない。
(2010-11-16 朝日新聞 朝刊 オピニオン1)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

りょう‐ぼ【陵墓】
みささぎと、はか天子や天皇・皇后・太皇太后・皇太后を葬る所である陵と、その他の皇族を葬る所である墓。

出典:小学館
監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

りょうぼ【陵墓】
君主の墳墓をいう。
【中国】
 文献では《史記》趙世家,粛侯15年(前335)の条に〈寿陵を起こす〉とあるのが初めてで,戦国中期,国君が生前にみずからの墓をつくり,それを〈陵〉と称したことを記す。墓上に土を盛り上げた墳丘墓の出現は春秋末期からで戦国時代に盛行した。例外として安徽省屯渓西周墓ほかがあるが,低湿地に特殊に発達したものである。もともと殷・周時代の墓には墳丘がなかったのに対し,春秋戦国時代に墳丘墓が出現する理由を,古代史家の楊寛は,(1)殷・周から春秋戦国への社会変革により奴隷主貴族が没落して旧礼制の秩序が崩れ,宗族単位の埋葬制度に代わり,地主階級による家族単位の埋葬制度が形成された,(2)新興の地主・大商人層は家族私有財産の相続を図り,喪礼を重んずることでその継承を強固にせんとした,(3)集権君主体制が成立,爵位に基づく新身分制度が確立し,墳墓の大小,高低,棺槨,副葬品にまで厳格な規定がつくられた,(4)墓室排土の処理,の四つをあげている(《中国皇帝陵の起源と変遷》)。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

りょうぼ【陵墓】
みささぎとはか。天皇・皇后・太皇太后・皇太后を葬る陵と、その他の皇族を葬る墓。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

りょう‐ぼ【陵墓】
〘名〙 中国の帝王、また日本の皇室関係の墳墓。明治二二年(一八八九)の皇室典範では、天皇、皇后などを葬る所を陵、その他の皇族を葬る所を墓とする。時代により形式は変化し、高塚式や、堂塔式などがある。大正一五年(一九二六)の皇室陵墓令では、上円下方丘また円丘と定められている。みささぎ。山陵。
※延喜式(927)二一「凡陵墓側近有原野者、寮仰守戸」 〔杜甫‐諸将五首詩〕

出典:精選版 日本国語大辞典
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