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阿部氏【あべうじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

阿部氏
あべうじ
孝元天皇の皇子オオヒコノミコトから出たといわれ,子孫東海北陸陸奥に広がったと伝えられる大きな氏族阿倍比羅夫阿倍仲麻呂らもこの一族という。徳川家譜代の阿部氏もこの流れといわれ,いずれも三河出身。特に備後福山阿部氏,上総佐貫阿部氏,磐城棚倉阿部氏は同系で,明治にいたって備後福山阿部氏は伯爵,ほかは子爵

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世界大百科事典 第2版

あべうじ【阿部氏】
近世大名。祖正勝は徳川家康に仕え,1590年(天正18)に5000石を知行。その子正次のとき大名となり,1617年(元和3)に上総大多喜城主。のち相模小田原,武蔵岩槻と転じ,たびたび加増されて8万6000石を領する。その後正邦のとき,丹後宮津,下野宇都宮を経て1710年(宝永7)備後福山に移封,以後幕末に至る(福山藩)。領知高は宇都宮転封時に10万石,1852年(嘉永5)正弘のとき11万石となる。維新後は伯爵。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

阿部氏
あべうじ
江戸時代の譜代大名(ふだいだいみょう)、旗本の姓氏の一つ。徳川氏草創期以来の譜代家臣。宗家はたびたびの国替(くにがえ)のあと1710年(宝永7)備後(びんご)福山藩主となり、以後定着し10万石。幕末、日米和親条約を結んだ老中として有名な阿部正弘(まさひろ)もこの家の出身である。阿部宗家が徳川氏の部将の地位を固めたのは、駿河(するが)、遠江(とおとうみ)、三河(みかわ)、甲斐(かい)、信濃(しなの)の五か国領有期に活躍した正勝の代である。正勝はこの時期、本多正信、大久保忠隣(おおくぼただちか)らとともに、旗本や5か国に在住する家臣団を管掌する任にあたった。嫡子正次は島原の乱時の大坂城代で、適切な処置により賞せられた。その子重次(しげつぐ)は六人衆(若年寄)の一人で、家光に殉死する。宗家のほかには、重次と同時代に老中となった忠秋(正勝の二男忠吉の子)の系統の陸奥(むつ)棚倉(たなぐら)藩阿部氏と、上総(かずさ)佐貫(さぬき)藩阿部氏がある。[煎本増夫]

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