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関東軍【かんとうぐん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

関東軍
かんとうぐん
第2次世界大戦前,「満州国」で独裁的権限をふるい,日本の大陸政策の先兵となった日本陸軍部隊。その起源は,日本が日露戦争の結果,それまでのロシアの権益を受継ぐという形で,実質的には中国から奪取した遼東半島 (関東州 ) におかれた関東総督府 (のち都督府) の守備隊である。辛亥革命に際しては満蒙独立運動,ロシア革命ではシベリア出兵など,早くから積極的大陸政策の推進者としての性格を示していた。 1919年都督府の廃止により,関東軍司令部が設置され,形式上政治機構から切り離され,関東州および南満州鉄道株式会社 (満鉄) 線路の防衛にあたることになったが,むしろ相対的独立を強めた。その最初のものが,第2次奉直戦争 (1925) への独断干渉である。これ以後,しばしば政府,軍首脳を無視して行動した。満州事変の計画実行,満州国建国の立役者であり,それ以後関東軍司令官は,大使,関東州長官を兼ね,独裁的権限をもつにいたった。 1939年のノモンハン事件でソ連軍に大敗。第2次世界大戦末期には,ほかの戦場へ兵力をさき,ソ連軍が日ソ中立条約を破って進軍してきたとき,主抵抗戦につくに先立って終戦の命令により,ほとんど無抵抗のまま崩壊した。

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デジタル大辞泉

かんとう‐ぐん〔クワントウ‐〕【関東軍】
満州に駐屯していた日本陸軍部隊。日露戦争後、関東州南満州鉄道の権益を保護するために設置された関東都督府前身とし、大正8年(1919)独立。第二次大戦の末期に、ソ連軍の侵攻により壊滅

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世界大百科事典 第2版

かんとうぐん【関東軍】
満州(現,中国東北地方)に駐屯した日本の陸軍部隊。日露戦争後の1906年新設された関東都督府陸軍部は関東州租借地と満鉄付属地の警備に当たったが,19年4月官制改正により関東都督府に代わって関東庁が置かれ,同時に陸軍部は独立して関東軍司令部が旅順に設置された。関東軍司令官は内地から交替で派遣された1個師団のほか,満州独立守備隊,旅順要塞司令部,関東軍憲兵隊など在満陸軍部隊全部を統轄した。満州が日本の中国侵略と対ソ戦略の前進基地としての位置を占めたことから,関東軍の役割は在満権益の擁護とともに中国侵略と対ソ作戦の第一線部隊たることにあった。

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大辞林 第三版

かんとうぐん【関東軍】
関東州および満州(中国東北部)に駐留した旧日本陸軍の部隊。1919年(大正8)それまで置かれていた守備隊を改編し、独立させたもの。敗戦に至るまで、大陸侵略・満州国支配の中核をなした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

関東軍
かんとうぐん
日本の植民地常備軍の一つで、満州(中国東北地区)に置かれた陸軍部隊。ポーツマス条約、日清(にっしん)満州善後協約でこの地に権益を得た日本が、日露戦争中の軍政を継続して関東総督(翌年都督となる)のもとに軍隊を駐屯させたのが前身。遼東(りょうとう/リヤオトン)半島(関東州)と満鉄付属地の守備を任としたが、実質的には対露、対ソ向けの武力で、中国革命にも干渉を繰り返す帝国主義軍隊であった。1919年(大正8)都督府の改組で関東軍として独立した。中国の国民革命の進展とともに謀略による東北の占領を画策、28年(昭和3)参謀河本大作(こうもとだいさく)らは張作霖(ちょうさくりん/チャンツオリン)を爆殺したが武力行使の口実にはならなかった。のち謀略は参謀板垣征四郎、石原莞爾(かんじ)らの手で31年の柳条湖(りゅうじょうこ)事件へと続き、関東軍は全東北を占領(満州事変)、同地を中国から分断して翌年「満州国」を樹立した。同時に関東軍司令官は「満州国」駐箚(ちゅうさつ)全権大使、関東長官を兼ね、関東軍は日本の満州経営上いっさいの権限を握った。関東軍は「満州国」の政策を背後で決定する一方、反満抗日運動の鎮圧に努め、さらに華北、内蒙古(うちもうこ)へも出兵するなど日本の中国侵略の尖兵(せんぺい)であった。また対ソ戦を期して兵力は飛躍的に拡大、陸軍中の精鋭を誇ったが、38~39年の張鼓峰(ちょうこほう)、ノモンハン両事件でソ連軍と交戦し機動力の弱さを暴露した。41年独ソ戦勃発(ぼっぱつ)に乗じソ満国境を中心に70万の大軍を集結(関特演=関東軍特種演習)、ソ連軍の西走を牽制(けんせい)したが、太平洋戦争中は南方への転用で弱体化し、45年ソ連参戦で壊滅した。末期には大規模な設備で細菌兵器の開発、製造にあたり、人体実験を行うなど悪名が高い。[岡部牧夫]
『島田俊彦著『関東軍』(中公新書)』

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