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長安【ちょうあん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

長安
ちょうあん
シーアン(西安)特別市」のページをご覧ください

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デジタル大辞泉

ちょうあん〔チヤウアン〕【長安】
中国、陝西(せんせい)省にある旧。現在の西安市付近。前漢以降の諸王朝の都とされたが、代に最も繁栄し、人口100万人を数えた。洛陽に対して、西都・上都ともよばれた。

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世界大百科事典 第2版

ちょうあん【長安 Cháng ān】
西安旧名で,中国の代表的な古都の一つ。陝西渭河平原の中部に位置し,北は渭河に臨み,南には秦嶺がつらなり,西には灃水(ほうすい)が流れ,東には滻河と灞河がある。前漢が初めて城を築いて都とし,その後,前,前秦,後秦,西魏,北周,隋,唐の諸王朝いずれもここに都した。ただし前漢から北周までの長安城は今日の西安市の北西約10kmのあたりに,隋・唐の長安城(隋は大興城という)は西安市のあたりにあった。 西安市の周辺は早くから開発されたところで,今日,仰韶(ぎようしよう)文化や竜山文化に属する新石器時代の遺跡がかなりの数発見されている。

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大辞林 第三版

ちょうあん【長安】
◇中国、陝西省西安市の古名。漢以来、唐まで多くの王朝の都となった。特に漢・唐代に最も繁栄。西都。
平安京の称。または、平安京の西半分、右京の称。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

長安
ちょうあん
西周、秦(しん)、前漢、新、前趙(ぜんちょう)、前秦、後(こう)秦、西魏(せいぎ)、北周、隋(ずい)、唐の11王朝が都した中国第一の古都。現在の陝西(せんせい)省西安(せいあん)。漢、唐代にもっとも繁栄したが、唐代には東都洛陽(らくよう)に対して西都(せいと)または上都とよばれた。中国西北地方にある関中平野のほぼ中央部に位置する。
 西周の都鎬京(こうけい)の遺址(いし)は、現西安市南西郊に位置する。また、秦の咸陽(かんよう)宮址は北西方の渭河(いが)北岸にあり、阿房(あぼう)宮址は西郊に現存する。前漢の長安城は、市の北西郊、渭河の南に位置し、宮殿の基壇や版築(はんちく)の城壁の一部は、現在、地上にその姿をとどめている。周囲に城壁を巡らし、12の城門をもつ城内には、長楽宮、未央宮(びおうきゅう)などの宮殿が造営され、市(いち)や居住区が設けられた。総面積36平方キロメートルに及ぶ漢長安城は、武帝の時代にほぼ完成をみた。この都城は王莽(おうもう)時代の農民反乱によって破壊されたが、その後、五胡(こ)十六国および北朝の諸王朝はいずれも漢長安城の位置に宮都を構えた。なお、前漢の帝王陵は、渭河の北に広がる渭北丘陵と、西安市南東の白鹿原(はくろくげん)上に造営された。
 582年、隋の文帝は宇文(うぶんかい)らに勅して、漢城南東の竜首原(りゅうしゅげん)に新都を造営し、これを大興城(だいこうじょう)と名づけた。唐長安城はこの大興城を修築したもので、都城の基本的構成に大きな変化はなかった。その規模は東西9.7キロメートル、南北8.6キロメートルの横に長い方形で、北辺中央に宮城、皇城を配し、城内中央を南北に幅150メートルの大路があり、この大路を中心に大小の道路が東西・南北に走って碁盤目状の街区を構成していた。長安城外北東には太宗・高宗の大明宮が、また玄宗(げんそう)は城内に興慶宮を造営した。さらに南東隅の曲江池は遊宴の地として知られていた。城内は109の坊に分かれ、坊内には住宅のほかに仏寺、道観、イスラム寺院などが点在していた。また、東西両市には各種商店や旅宿、飲食店などが軒を連ね、各地の商人や旅人たちで大いににぎわった。当時長安は、東アジアのみならず世界各地の国々との交流の中心地であり、西域の隊商や周辺諸国の人々が頻繁に往来した。日本からも遣唐使や留学生、留学僧がしばしばこの地を訪ねた。唐都長安は玄宗時代に最盛期を迎え、人口100万人を擁する国際色豊かな文化都市となったが、その後、唐朝の衰微とともに凋落(ちょうらく)の道をたどった。
 唐朝滅亡以後、長安はふたたび国都となることはなく、長く一地方都市にすぎない存在であったが、新中国の誕生によって復興し、陝西省都の西安として、政治、経済、文化の中心となっている。[田辺昭三]
『佐藤武敏著『長安』(1974・近藤出版社) ▽田辺昭三著『西安案内』(1979・平凡社) ▽西嶋定生編『奈良・平安の都と長安』(1983・小学館)』

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精選版 日本国語大辞典

ちょうあん チャウアン【長安】
[一] 中国、陝西省西安市の古名。漢・隋・唐など、多くの王朝の都となり、特に唐の盛時には東西九・七キロメートル、南北八・六キロメートルの城郭の内に都市が計画的に建設され、人口一〇〇万を擁する世界最大の都市として繁栄した。東都洛陽に対して、西都あるいは上都とも呼ばれた。
[二] (中国、唐代の首都長安を模して造られたところから) 平安京の
※和漢朗詠(1018頃)下「長安城の遠樹を望めば、百千万茎の薺青し〈源順〉」
[三] 平安京の朱雀大路から西側、右京の称。
※六如庵詩鈔‐二編(1797)一「朋旧誰来破閑寂、乱山西尽是長安」

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