Rakuten infoseek

辞書

鍋島氏【なべしまうじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

鍋島氏
なべしまうじ
藤原秀郷の後裔秀清の子孫。安土桃山時代以来肥前国佐嘉郡の大名。初め肥前龍造寺氏に仕えたが,天正 18 (1590) 年直茂のとき,主家の龍造寺政家を隠退させ,その子高房の後見となって勢威を張った。勝茂のとき,龍造寺高房が死ぬと,鍋島姓のままその跡を継ぎ,肥前藩主となった。豊臣秀吉の九州征伐に服属。関ヶ原の戦い以来徳川氏につき大名となって,忠茂,元茂,直澄がそれぞれ肥前鹿島小城,蓮池に分家して幕末に及んだ。天保1 (1830) 年襲封した直正 (閑叟) は藩政改革を通して藩内に近代的諸工業を興し,早くから反幕勢力の中心となり,薩長土と並んで討幕軍に加わった。明治になって本家は侯爵,3分家は子爵を授けられた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

なべしまうじ【鍋島氏】
近世大名。佐賀藩主。肥前国佐賀郡本庄村の土豪に出自する。竜造寺隆信が領域を拡大する過程で鍋島直茂も寄与した。竜造寺隆信が1584年(天正12)島原で敗死したことにより竜造寺家中での実権を掌握する。嫡子勝茂の代には家中への知行配分状発給や三部上地(家臣の知行地の30%上知),藩法制定,支藩の創設などによって藩体制の基礎を確立する。なかでも小城(おぎ),蓮池,鹿島の3支藩の創設は,鍋島氏の支配体制を領内では固め,江戸幕府との関係では奉公を推進するものとなった。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

鍋島氏
なべしまうじ
肥前(ひぜん)佐賀藩主の家系に連なる一族。藤原秀郷流(ふじわらのひでさとりゅう)少弐(しょうに)氏の子孫とも伝えられる。北九州の豪族龍造寺(りゅうぞうじ)氏の家臣として、16世紀中ごろより頭角を現す。龍造寺隆信(たかのぶ)に仕えた鍋島直茂(なおしげ)は、大友(おおとも)・有馬(ありま)らとの抗争で戦功をあげ、1584年(天正12)の隆信戦死後は、その子政家(まさいえ)を補佐した。一方、九州に支配を広げた豊臣秀吉(とよとみひでよし)とも独自に誼(よしみ)を通じて、豊臣氏直轄領長崎の代官に任じられるなど重用され、朝鮮侵略に際しては、加藤清正(かとうきよまさ)とともに先鋒(せんぽう)を務めた。1590年に政家が隠居するとともに、直茂はその子高房を補佐し、事実上は支配の実権を握った。さらに直茂の子勝茂(かつしげ)は、龍造寺家の断絶によってその家督を継ぎ、佐賀藩35万7000石余を名実ともに領するに至った。支藩として、小城(おぎ)藩(7万3000石余)、蓮池(はすのいけ)藩(5万2000石余)、鹿島(かしま)藩(2万石)が分出した。明治に至り、侯爵、支藩は子爵となった。[池 享]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

鍋島氏」の用語解説はコトバンクが提供しています。

鍋島氏の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.