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金正日【きんせいにち】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

金正日
きんせいにち
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デジタル大辞泉

キム‐ジョンイル【金正日】
[1942~2011]朝鮮民主主義人民共和国政治家金日成(キムイルソン)の長男。1997年、朝鮮労働党総書記に就任

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きん‐しょうにち〔‐シヤウニチ〕【金正日】

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世界大百科事典 第2版

きんせいにち【金正日】

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日本大百科全書(ニッポニカ)

金正日
きんしょうにち / キムジョンイル
(1942―2011)
北朝鮮の政治家。1942年2月16日に当時のソ連極東軍第88特別旅団大隊長(大尉待遇)金聖柱(ソンジュ)(後の最高指導者金日成(きんにっせい/キムイルソン))、金正淑(ジョンスク)夫妻の長男として旧ソ連領内で出生。幼名ユーラ。祖国解放の1945年に北朝鮮に帰国したが、1949年母を失う。人民学校入学早々の1950年に朝鮮戦争が起こり、中国領内を含む各地の学校を転々とし、1957年南山学校高等班(現、平壌(ピョンヤン)第一高等中学校)入学。1964年金日成総合大学を卒業し、朝鮮労働党中央部専属活動家となる。党文化芸術課長、宣伝扇動部長を経て1973年に党中央委員会の組織・宣伝担当書記に就任し、翌1974年に同政治委員会委員になって党中央の実権を掌握し、金日成の唯一の後継者として党内地位を確立した。1980年10月の党第6回大会で政治局常務委員・書記・軍事委員の3職兼務の地位に就き、金日成に次ぐナンバー2の地位を公然化。実権を振るい各種大規模建設を次々に行って経済を混乱させ、韓国に対する国際テロを連発して国際信用を失った。1991年12月朝鮮人民軍最高司令官に、1993年4月に国防委員会委員長に就任し、軍権を掌握する。
 1994年7月の金日成の急死後、服喪を理由に最高職務を継承せず、党・国家を麻痺(まひ)状態に置いた。そのため、食料難により多数の人民が餓死し、原燃料難で経済は崩壊状態に陥ったが、「社会主義の固守」と「主体革命偉業の完遂」(チュチェ思想に基づく革命達成)を唱えて、軍事建設に力を集中した。この間、自分を「将軍」と呼ばせて軍権力を誇示。1997年10月正規の手続によらずに「党の総書記」に推戴(すいたい)されたのち、1998年9月最高人民会議で憲法を改正して「国防委員長」に推戴され、これを「国家の最高職責」と称した。だが憲法上の国家元首は最高人民会議常任委員長である金永南(きんえいなん/キムヨンナム)になるので、金正日は変則的独裁権力者となった。「強盛大国化」路線を掲げ、国民を飢餓状態におきながら核兵器・ミサイル開発で国際社会から孤立した姿勢をとっていた。
 しかし2000年に入って、イタリア、オーストラリアと次々に国交を樹立した北朝鮮の外交積極化の動きと期を一にして、自らも外交の表舞台に登場、5月には中国を訪問し国家主席江沢民(こうたくみん)と会談した。そして、6月13~15日、4月の南北首脳会談開催合意に基づいて平壌を訪れた韓国大統領金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)との間で、南北統一への取り組みに合意、共同宣言に署名した。また2002年9月には、北朝鮮を訪問した日本の首相、小泉純一郎と会談し、日朝の国交正常化交渉を進める、北朝鮮によるミサイル発射実験の凍結期間を延長する、などを内容とする日朝平壌宣言に署名した。また、日本人拉致事件(らちじけん)について、北朝鮮によって拉致された日本人の生死に関する情報を提示、同年10月に被害者5人の一時帰国を認めた(この5人はそのまま日本にとどまった)。2004年5月には再度訪朝した小泉と会談、双方が日朝平壌宣言を履行することなどを確認、また5人の拉致被害者の家族の日本帰国の要求を受け入れた。2011年12月17日死去。[玉城 素]

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