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重慶【ジュウケイ】

デジタル大辞泉

じゅうけい〔ヂユウケイ〕【重慶】
中国中部にある商工業都市四川省に属していたが1997年に直轄市となった。揚子江嘉陵江(かりょうこう)の合流点にあり、古くから交通の要地。日中戦争当時は国民政府臨時首都人口、行政区969万(2000)。チョンチン

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

重慶 ちょうけい
?-? 鎌倉時代の僧。
鎌倉鶴岡八幡宮の神宮寺供僧。建久2年(1191)放生会(ほうじょうえ)で導師をつとめ,3年北条政子懐妊の際の安産祈祷をおこなった。のち法橋(ほっきょう)をへて法眼となる。通称は安楽房。

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重慶 じゅうけい
1553-1612 織豊-江戸時代前期の僧。
天文(てんぶん)22年生まれ。東大寺の重祐にまなび,真言密教を研究。奈良の真言宗円成(えんじょう)寺にはいり,のち観音院を再興。念仏三昧を勤めた。慶長17年10月15日死去。60歳。俗姓は橘(たちばな)。

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世界大百科事典 第2版

じゅうけい【重慶 Chóng qìng】
中国,西南部の直轄市。1997年,旧重慶市と2地区級市,1地区を合併して成立した。面積8万2000km2,人口3002万(1995)。長江(揚子江)が西の四川省より東流し,旧市街地は長江と嘉陵江との合流点にある水運要衝。西から半島状につきでた山地斜面発達,建物が立体的に立ち並び〈山城〉とよばれる。1980年代半ば,三峡ダム工事建設にともなう調査により,巫峡の竜骨坡で,古人類のの骨や歯の化石を発見し,〈巫山猿人〉と命名,また,巫山県双堰塘などの商・周代の巴人遺跡からは石刀や陶片のほか,青銅製の工芸品が出土している。

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大辞林 第三版

じゅうけい【重慶】
中国、四川盆地にある政府の直轄市。金属・機械・織物工業が発達。長江と嘉陵かりよう江の合流点に位置し、水陸交通の要地。日中戦争当時は国民政府の首都。チョンチン。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

重慶
じゅうけい / チョンチン
中国、西南地方の東北部にある市。四川(しせん)省に属していたが、1997年に中国4番目の政府直轄市(省と同格)となった。面積8万2400平方キロメートル、万州(ばんしゅう)(ふりょう)、江津(こうしん)、合川(ごうせん)、永川(えいせん)など26市轄区、巫山(ふざん)など8県、4自治県を管轄し、人口3048万4300(2016)。揚子江(ようすこう)と嘉陵江(かりょうこう)の合流点に位置する。略称は渝(ゆ)
 両江の間の半島に中心部をもつ市街地は、周辺山地にも広がっており、山城とよばれる。古くからの交通要地で、今日も成渝線(成都(せいと)―重慶)、襄渝線、川黔(せんけん)線(重慶―貴陽(きよう))と蘭渝線(蘭州(らんしゅう)―重慶)の交会点、自動車・河川交通の中心地であり、四川盆地最大の商業機能を有している。市街近郊には重慶江北国際空港がある。中華人民共和国成立後、内戦で破壊された鉱工業も発展し、石炭、鉄鉱石、天然ガス産地や農産物などを背景に鉄鋼、電力、各種機械、化学、紡織その他の諸工業がみられる。また、西南地方の文化中心地でもあり、さらに長江三峡のうちの瞿塘峡(くとうきょう)、巫峡、北温泉などの温泉保養地、各時代の遺跡、国共合作当時の共産党事務所跡など名勝、史跡も多い。[小野菊雄]

歴史

先秦(せんしん)(秦による中国統一以前)時代、この地にはすでに巴子(はし)国があった。秦はこれを討って巴郡とした。隋(ずい)・唐では渝州、宋(そう)以後は重慶府とよばれた。1876年、芝罘(チーフ)条約に基づき開港場となった。日中戦争の大部分の期間、国民政府はここに首都を移し(1937年11月~1946年4月)頑強に日本に対し抵抗した。重慶が前線から遠く離れ、またアメリカ・イギリスによるビルマ(現、ミャンマー)経由の援助を受けるのに便利だったからである。このため日本軍によってたび重なる爆撃を受け、多くの被害を出した。重慶は揚子江河口から2400キロメートルも奥地にありながら、相当大きい汽船がさかのぼれるので、揚子江下流地方とは結び付きが強い。1949年の中華人民共和国成立後、1952年に成都―重慶間を結ぶ成渝線が完成し、揚子江の航運と相まって中国西南地区の経済的中心地になっている。[倉橋正直]

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精選版 日本国語大辞典

じゅう‐けい ヂュウ‥【重慶】
[1] 〘名〙
① かさなるよろこび。
② 父母だけでなく祖父母までもが健在であること。〔楼鑰‐跋金花帖子綾本小録〕
[2] 中国四川省の東部、揚子江(ようすこう)と嘉陵江(かりょうこう)との合流点にある都市。河港は一八九一年開港され、以来、河港都市として発達。第二次世界大戦中は国民政府の機関が首都南京から移された。

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旺文社世界史事典 三訂版

重慶
じゅうけい
Chóngqìng
中国四川省南東部,長江上流にある都市
古くから西部の成都 (せいと) と並んで東部の中心として発達。1876年開港場となった。日中戦争のとき,国民政府がここへ移り,全中国の政治の中心となった。戦後軽工業をはじめ各種工業が発展。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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