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【さと】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典


さと
鹿児島県北西部,薩摩川内市西部の旧村域。上甑島の北東部を占める。 1891年上甑村から分離して成立。 2004年川内市,樋脇町,入来町,東郷町,祁答院町,上甑村,下甑村,鹿島村と合体して薩摩川内市となった。畑作が主で野菜,サツマイモが栽培される。ほかに和牛飼育が行なわれ,定置網漁業ではサバ,アジ,ブリなどをとる。カノコユリが特産品。国の天然記念物ヘゴ自生北限地があり,甑島県立自然公園に属する。

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li
中国の集落の名。戦国 (→戦国時代) ・代の里は集落の最小単位で,戸数は数十から 100戸ぐらいであり,大集落は里の集合であったと考えられる。里は周囲に牆壁 (柵,垣) をめぐらし,里門 (閭〈りょ〉) によって外部に通じ,監門が出入者を監視した。また里には父老がいて子弟と呼ばれる成員教化監督し,里を代表した。漢代の里の成員はまた 10家,5家ずつに分けられ (什伍制) ,互いに検察し合ったという。漢代の集落単位には里のほかに,亭があったが,3者の関係については諸説がある。後漢末以後村が発生し,唐代は村や坊が最小行政単位とされたが,一般にはそれ以後も里の呼称が残り,明代には里を単位として『賦役黄冊』がつくられたが,清の保甲法以後里の呼称もなくなった。

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尺貫法による長さの単位。令制では,中国の制にならって5尺を1歩,300歩を1里とし,1里は5町にあたったが,古代より6町を1里とする方法も行われていた。鎌倉~室町時代になると条里制の里の区画が 36町の面積であることから,36町を1里とする法が行われた。しかし地方によってまちまちであったため,徳川家康は諸街道に一里塚をつくり,36町を1里に統一しようとしたが徹底しなかった。 1876年初めて全国的に統一され,1里=36町=2160間=3927.3mとなった。

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デジタル大辞泉

さと【里】
(「郷」とも書く)山中や田園地帯などで、人家が集まって小集落をなしている所。ひとざと。むらざと。村落。「山からへ下る」
(「郷」とも書く)都に対して、田舎。また、ふるさと。在所。「のわらべ」
妻や奉公人などの生家。実家。「正月に帰る」
養育費を出して子供を預けておく家。「に出す」
おいたち。育ち。素姓(すじょう)。お里。
くるわ。遊里。「―ことば」
「素人の寄っても読めぬ―の文」〈柳多留・七〉
宮廷を「うち」といったのに対して、宮仕えする人が自家をいった語。
「内裏(うち)にても―にても、昼はつれづれと眺め暮らして」〈若紫
寺に対して、俗世間。
「律師(りし)、山ごもりして―に出でじと誓ひたるを」〈夕霧
律令制の地方行政区画の一。→里(り)

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り【里】
尺貫法の距離の単位。1里は36町で、3.927キロ。令制では300歩(ぶ)をいい、6町すなわち654メートルにあたる。
律令制で、地方行政区画の最小単位。大化の改新によって設置されたもので、養老令の規定では、50戸を1里として里長(さとおさ)を置き、2里以上20里以下で1郡とし、数郡で1国とした。霊亀元年(715)に敷かれた郷里制(ごうりせい)では、それまでの里を郷(ごう)と改称
条里制で、1辺6町(約654メートル)四方の一区画。里の各辺を1町ごとに六等分して36の坪に分けた。

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り【里】[漢字項目]
[音](呉)(漢) [訓]さと
学習漢字]2年
〈リ〉
村。さと。「郷里村里遊里
いなか。民間。「里謡
縦横に通る筋道。「条里制
距離の単位。また、道のり。「里程海里五里霧中千里眼
〈さと(ざと)〉「里親里心人里村里山里
[名のり]さとし・のり
[難読]巴里(パリ)

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世界大百科事典 第2版

さと【里】

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大辞林 第三版

り【里】
中国の地方行政単位の一。漢・唐代では一〇〇戸、明代の里甲制では一一〇戸から成る。
律令制の地方行政区画の一。五〇戸を一里とし里ごとに里長を置いた。715年、里を郷ごうと改め、郷の下に二、三の里を設定(郷里制)したが、740年ごろ、この里は廃され、以後郷として残存した。
条里制において三六〇歩(六町)四方の区画。
距離の単位。律令制では五尺を一歩とし三〇〇歩(五町)を一里とした(一般には六町一里も行われた)。近世では三六町(3.6~4.2キロメートル)。メートル条約加入後、1891年(明治24)に43.2キロメートルを一一里(一里は約3.927キロメートル)と定めた。

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単位名がわかる辞典

り【里】
尺貫法の長さ・距離の単位。1里は1万2960尺、36町。約3.927km。日本では、8世紀初めから12世紀末までは6町を、16世紀末以後は36町を1里とした。

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日本の地名がわかる事典

〔和歌山県〕里(さと)

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精選版 日本国語大辞典

こ‐ざと【里】
〘名〙 奈良時代の「郷里」のうちの「里」の意訓。令制では行政区画の末端は五〇戸を単位とする里(り)であったが、霊亀元年(七一五)頃、里は郷(ごう)と名を改めた(出雲風土記(733))。同時に郷の下部組織も作られたらしく、某郷某里の形の地名表示が現われ、この里を便宜上「こざと」と読むことがある。この郷・里の表示は天平一一年(七三九)頃からなくなり、のちは郷の表示だけとなる。→郷(ごう)

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り【里】
〘名〙
① 令制における京以外の地方行政区画の最下級の単位。七世紀後半に順次設置された。自然村落である村(むら)よりは規模が大きいと見られる。養老令の規定では、五〇戸を一里として里長(りちょう・さとおさ)を置き、二里以上二〇里以下で一郡とし、数郡で一国とした。この場合の戸は法的擬制とみられる郷戸(ごうこ)を一戸とするもので、郷戸の中には房戸(ぼうこ)を含んでいるのが普通である。霊亀元年(七一五)にしかれた郷里制(ごうりせい)では、それまでの里を郷(ごう・さと)と改称し、その下に普通三個の里(り・こざと)を置いた。五〇戸一里の里よりは自然村落に近いと思われる。郷里制は天平一二年(七四〇)ごろに廃止され、以後は里の呼称はなくなり、国・郡・郷で地名表示をした。さと。こざと。
※令義解(718)戸「凡戸以五十戸。為里」 〔周礼‐地官・遂人〕
② 条里制(じょうりせい)の区画概念の一つ。条里制は、耕地を幅六町(三六〇歩)の土地の帯で、東西方向・南北方向に直交させて区画し、まず六町四方の大区画を作り、これの各辺を六等分して一町四方の三六の小区画をつくる。この直交する二種の区画帯のうちの一つ(主に東西方向)を条といい、他の一つ(主に南北方向)を里という。おのおの北・東から番号をつけて一条・二条・三条…、一里・二里・三里…と称した。また、二種の区画帯によって仕切られた六町四方の大区画をも、また里という。三六に分けられた一町四方の小区画は坪(つぼ)と呼ばれ、起点と方向を定めて一から三六までの番号を付された。土地の所在場所を示すには「…条…里…坪」という表記法が採られた。また、数字の代わりに固有名詞が付された場合もある。
※東寺文書‐礼・天平二〇年(748)二月一一日・弘福寺三綱牒「廿条五里六坊三段百歩」
③ 長さの単位。
(イ) 令制では、五尺を一歩(ぶ)とし三〇〇歩を一里と定めた。この尺は令の大尺すなわち高麗尺(こまじゃく)で、その五尺は令の小尺の六尺にあたる。令の小尺は後世の曲尺よりやや短かく、その六尺は約一・八メートルとしてよいから、この長さは約五四〇メートルぐらいになる。この里程は五町を一里とするものであって公式のものであったが、一般には条里制の方格の大区画の一辺に等しい六町(六五四メートル)を一里とすることが広く行なわれていた。
※令義解(718)雑「凡度地。五尺為歩。三百歩為里」 〔春秋穀梁伝‐宣公十五年〕
(ロ) 平安時代ごろから、②でいう三六町の地積を一里とする呼称と混同したところから、三六町(約三・九キロメートル)を一里とするもの。以後長く(イ)と混用された。多く東国では六町一里が、上方・西国では三六町一里が用いられた。前者を小道(こみち)・下道(しもみち)・東道(あずまみち)・坂東道(ばんどうみち)、後者を大道(おおみち)・上道(かみみち)・上方道(かみがたみち)・西国道(さいごくみち)などと称した。江戸幕府は、一里塚設置などを命じて三六町一里に統一しようとしたが徹底せず、明治九年(一八七六)に至ってはじめて全国的に統一された。尺貫法の廃止以来、正式には使用しない。
※東大寺造立供養記(1203‐04頃)「名曰佐波川矣、木津至于海七里〈三十六町為一里〉」
(ハ) 中世・近世、地方によって、一里を四〇・四八・五〇・六〇・七二町などとするもの。
※浮世草子・好色旅日記(1687)二「大坂よりひらかたへ五里〈此間五十丁一里也〉」

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