Rakuten infoseek

辞書

【ぎょう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典


ぎょう
Ye; Yeh
中国,河北省南部,臨 漳県の西方にあった都市。春秋時代から現れ,曹操がここを華北統一の根拠地とした。五胡十六国北朝の時代にも都がおかれた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

ぎょう〔ゲフ〕【鄴】
中国河北省東端にあった、三国時代魏(ぎ)、また、後趙(こうちょう)前燕(ぜんえん)東魏(とうぎ)北斉(ほくせい)の首都。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

ぎょう【鄴 Yè】
中国古代の都市。河北省磁県付近に置かれた。斉の桓公によって築かれ,のち晋が奪ったが,晋が三分されると,魏の領土になった。西門豹(せいもんひよう)は鄴の令となり,漳水を引いてこの地を灌漑した。漢代には鄴県となり,魏郡の郡治であった。武帝が13州を置くと,魏郡は冀州(きしゆう)に属した。後漢末,袁紹(えんしよう)は冀州牧として独立の勢いを示すと,鄴の地に拠った。つづいて曹操が袁紹を倒してこの地を都とし,魏公から魏王へと進んだ。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

ぎょう【鄴】
中国、三国時代の魏の都。また、五胡十六国時代の後趙こうちよう・前燕、北朝の東魏・北斉の都。今の河北省臨漳りんしよう県の西方の地。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)


ぎょう
中国、河北(かほく/ホーペイ)省南部、臨(りんしょう)県西方の地名。春秋時代に斉(せい)の桓公(かんこう)(在位前685~前643)がここに初めて城を築いたという。戦国時代には魏(ぎ)の支配下に入り、令の西門豹(せいもんひょう)によって灌漑(かんがい)事業が推進された。その後、後漢(ごかん)末には群雄の袁紹(えんしょう)と彼を倒した曹操(そうそう)(155~220)が続けてに拠(よ)ったが、とくに曹操の時代には大規模な都城が経営された。魏と西晋(せいしん)はともに洛陽(らくよう)に都を置いたが、五胡(ごこ)十六国時代には、後趙(こうちょう)の石虎(せきこ)、魏の冉閔(ぜんびん)、および前燕(ぜんえん)の慕容儁(ぼようしゅん)などがふたたびを拠点とした。その後も北魏の分裂に伴い、東魏、続いて北斉がを都として、長安に拠った西魏や北周と鋭く対峙(たいじ)したが、このころがのもっとも繁栄した時期で、577年、北斉が北周に滅ぼされてからは都市としての機能を喪失していった。[關尾史郎]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

ぎょう ゲフ【鄴】
中国、三国時代の魏および北朝の後趙前燕東魏北斉の都。現在の河北省南端の臨漳県の西の地。春秋時代、斉の桓公が鄴城を築いたことに始まり、後漢末、曹操が根拠地としてから華北屈指の大都市となった。北斉が北周に滅されたときに徹底的に破壊された。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

」の用語解説はコトバンクが提供しています。

鄴の関連情報

他サービスで検索

「鄴」のスポンサー検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.