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那波活所【なば かっしょ】

美術人名辞典

那波活所
江戸前期の儒者姫路の人。名は方、のち觚、は道円、通称は平八郎。藤原惶窩に師事し、林羅山堀杏庵松永尺五とともに惶窩門四天王と称された。和歌山藩主徳川頼宣に仕えた。正保5年(1648)歿、54才。

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デジタル大辞泉

なわ‐かっしょ〔なはクワツシヨ〕【那波活所】
[1595~1648]江戸初期の儒学者。播磨(はりま)の人。字(あざな)は道円。は「な」とも読む。藤原惺窩(ふじわらせいか)に学び、のち、紀伊徳川頼宣に仕えた。「人君明暗図説」「活所遺稿」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

那波活所 なば-かっしょ
1595-1648 江戸時代前期の儒者。
文禄(ぶんろく)4年3月生まれ。那波木庵の父。京都の藤原惺窩(せいか)に師事し,林羅山(らざん)らとともに藤門四天王と称された。寛永12年紀伊(きい)和歌山藩主徳川頼宣(よりのぶ)につかえ「人君明暗図」をあらわした。正保(しょうほ)5年1月3日死去。54歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。初名は信吉,のち方,觚(こ)。字(あざな)は道円。通称は平八。著作はほかに「活所備忘録」など。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

なわかっしょ【那波活所】
1595‐1648(文禄4‐慶安1)
江戸前期の朱子学派の儒者。初名は方,のち觚,字は道円,号は活所。播磨の人で,初め熊本藩の俸禄を受けたが,その後紀州藩主徳川頼宣に仕え,頼宣の思想的ブレーンとなった。藤原惺窩の高弟で,林羅山らとともに藤門四天王と称された。活所の儒学思想は朱子学からしだいに陽明学に接近し,法と諫言を重視した。著書には《人君明暗図説》《活所備忘録》などがある。【石毛 忠】

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

なわかっしょ【那波活所】
1595~1648 江戸初期の儒者。字あざなは道円。播磨の人。藤原惺窩の高弟。著「人君明暗図説」「活所遺稿」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

那波活所
なばかっしょ
[生]文禄4(1595).姫路
[没]正保5(1648).1.3.
江戸時代前期の朱子学派の儒学者。名は觚,字は道円。京都に出て藤原惺窩に学び,林羅山らとともに藤門四天王と称された。紀伊の徳川頼宣らに仕えた。著書『通俗四書註者考』 (1696) 。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

那波活所
なわかっしょ
(1595―1648)
江戸初期の儒学者。名は方、のちに觚。字(あざな)は道円。活所と号す。播磨(はりま)(姫路市)の豪商の家に生まれる。家業に従わず、18歳のとき藤原惺窩(ふじわらせいか)に入門、朱子学を根幹としつつ独自の学問・思想を形成する。初め肥後の加藤侯に仕え、1634年(寛永11)には紀伊侯徳川頼宣(とくがわよりのぶ)に仕えて、その思想的ブレーンとなる。その著『人君明闇(めいあん)図説』は、紀州歴代藩主の教導書となる。木庵(もくあん)(1614―1683)は彼の長子である。[玉懸博之]

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精選版 日本国語大辞典

なわ‐かっしょ【那波活所】
江戸初期の儒者。播磨国(兵庫県)の人。名は觚、字(あざな)は道円。藤原惺窩の門に入り、程朱の学を学び、林羅山らとともに「藤門四天王」の一人に数えられた。熊本藩儒・紀州藩儒を歴任し、詩をよくした。その校訂した木活字本白氏文集は、北宋刊本の旧を伝えたものとして、中国の四部叢刊に収められる。主著「人君明暗図説」「活所備忘録」など。文祿四~慶安元年(一五九五‐一六四八

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