Rakuten infoseek

辞書

連帯【れんたい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

連帯
れんたい
Solidarność
1980年9月に設立されたポーランドの自主管理労働組合。1980年7月に政府が発表した食肉,肉製品の値上げに対し,同年 8月グダニスクのレーニン造船所をはじめとして各地で労働者のストライキが発生し,同造船所の電気工レフ・ワレサを委員長とする「工場間スト委員会」が結成された。委員会は政府との交渉の末,自主管理労働組合「連帯」の設立を認めさせた。1981年初頭には連帯に加盟した労働者は 1000万人にも達した。連帯はしだいに急進化し,ポーランドを「自主管理共和国」に改造することなどを求め,政府との対立を激化させた。ソビエト連邦の軍事介入が懸念されるなかで 1981年12月ウォイチェフ・W.ヤルゼルスキ首相はポーランド全土に戒厳令を施行,連帯は非合法化され,中心的メンバーはほとんど逮捕された。戒厳令は 1983年7月解除され,政治・経済危機解決の国民的合意を得るために政府は連帯との妥協の道を探ることになった。かくして 1989年2月から同年 4月まで政権側と反体制の連帯が円卓会議を開き,連帯の合法化,1989年6月の選挙実施などで合意した。選挙では連帯が圧勝し,同年 8月には連帯のタデウシュ・マゾウィエツキを首相とする新政権が発足した。この年の 12月末に国名をポーランド共和国とし,「共産党の指導的役割」を憲法から削除した。その後内部で対立が発生,反ワレサ派は 1990年7月民主同盟を結成,大統領選挙ではワレサ候補に対抗してマゾウィエツキを擁立したが,選挙の結果ワレサが勝利し,1990年12月大統領に就任した。連帯はその後も分裂を重ね,連帯に対する国民の支持も大幅に低下,1993年9月の選挙では旧共産党系の民主左翼同盟に敗れた。1996年には連帯を中心とする選挙連合「連帯選挙運動」を組織した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

れん‐たい【連帯】
[名](スル)
二つ以上のものが結びついていること。「連帯感」
「奥山の話は榛野(はんの)という男の事に―して出るのが」〈鴎外ヰタ‐セクスアリス
二人以上の者が共同である行為または結果に対して責任を負うこと。「連帯して事に当たる」

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

れんたい【連帯】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

れんたい【連帯】
( 名 ) スル
お互いが、結びついていること。気分が一つになっていること。 「 -感」 「奥山の話は榛野といふ男の事に-して出るのが常になつてゐる/ヰタ・セクスアリス 鷗外
二人以上の者が共同で責任をとること。 「 -して債務を負う」

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

連帯
れんたい
Solidarno
1980年にポーランドで誕生した独立労働組合。当時のソ連圏では労組は党権力の意向を労働者に伝える「伝導帯」でしかなく、党権力から独立した全国労組が公認されたことは画期的事件であった。80年7月に政府が発表した食糧品等の大幅値上げに反対し、グダニスク等のバルト海沿岸地方で労働者のストが発生、全国化の形勢が現れたので、政府はグダニスクの連合スト委員会と交渉を重ね、8月31日に政労合意が成立した。それにより政府から独立した労組が公認され、スト権を与えられることになった。9月17日に36の組織の代表500名がグダニスクに集まり、22日に「連帯」という名の全国連合組織の規約を採択し、レーニン造船所電気工ワレサを議長に選出した。ワルシャワ地裁がその規約に難色を示し対立が発生したが、11月10日に最高裁が規約を承認、労組は正式に発足した。その後、組織は全国的に拡大、学生、農民にも広がり、組合員は940万にもなったが、指導部は政府との対立のなかでしだいに急進化した。81年12月の戒厳令により幹部の大半が拘禁され、残った幹部が82年4月に地下で暫定委員会を結成、労働者に抵抗を訴えた。10月に新労組法が成立、「連帯」は正式に非合法化された。弾圧を受けたのちの「連帯」は、主として政治運動として生き延びた。「連帯」は急速に力を失ったが、政府の改革案も国民の支持を得ることはできなかった。
 1988年8月、全国規模のスト収拾のため政府は「連帯」との対話を決定、89年「連帯」復権や自由選挙の実施などで合意した。6月の総選挙では、「連帯」が圧倒的な勝利を収め、首相にはマゾビエツキが就任した。マゾビエツキ政権は、経済再建のために市場経済導入などの政策をとったが、これをきっかけにして経済改革論争が起こり「連帯」はワレサ派、マゾビエツキ派などに分裂した。90年の大統領選では、ワレサがマゾビエツキらを破って当選した。91年10月の総選挙でも「連帯」系の民主同盟が第一党を確保した。しかし、93年9月の総選挙では「連帯」系の諸政党は敗退し、旧共産党系政権が誕生した。95年の大統領選ではワレサも敗北した。96年6月「連帯」の拠点であったグダニスクの「レーニン造船所」が倒産した。どん底の「連帯」であったが、その同じ6月「連帯」を中核とする政治集団「連帯選挙行動」が発足、97年9月総選挙では「連帯選挙行動」が第一党に進出した。「連帯選挙行動」は2000年まで第一党であったが、同年10月の大統領選挙で「連帯」系のクシャクレフスキが大敗したことにより、2001年9月の総選挙に向けての分裂・再編が始まり、同年5月労組「連帯」は「連帯選挙行動」から離脱した(「連帯選挙行動」は同選挙で惨敗)。同年6月、ワレサの側近であった「連帯」出身のレフ・カチンスキは、双子の弟ヤロスワフ・カチンスキとともに中道右派の政党「法と正義」を結成、「法と正義」は2005年の総選挙で勝利し第一党に進出した。[木戸 蓊]
『J・スタニシキス著、大朏人一訳『ポーランド社会の弁証法』(1981・岩波書店) ▽工藤幸雄監修『ポーランド『連帯』の挑戦』(1981・柘植書房) ▽ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ著、工藤幸雄監訳『ポーランドを生きる――ヤルゼルスキ回想録』(1994・河出書房新社) ▽水谷驍著『ポーランド「連帯」――消えた革命』(1995・拓植書房) ▽アダム・ミフニク著、水谷驍他編訳『民主主義の天使――ポーランド・自由の苦き味』(1995・同文舘出版) ▽田口雅弘著『ポーランド体制転換論――システム崩壊と生成の政治経済学』(2005・御茶の水書房)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

れん‐たい【連帯】
[1] 〘名〙
① 二つ以上のものを結びつらねること。互いに関係をもちあうこと。連係。
※将来之日本(1886)〈徳富蘇峰〉一「海濱の砂石も〈略〉互に相接し相共に聯帯一致の運動をなす者なれば」
② 法律で、二人以上の者が共同してある行為またはその結果に対して責任をもつこと。〔仏和法律字彙(1886)〕
[2] (Solidarność の訳語) ポーランド自主管理労組の全国組織。一九八〇年九月設立。次第に統一労働者党に対する政治勢力としての立場を強めていったため八二年に非合法化されたが八九年に復権。九〇年の大統領選に連帯初代委員長レフ=ワレサが当選した。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

連帯」の用語解説はコトバンクが提供しています。

連帯の関連情報

関連キーワード

黒人問題印僑醸造業RCA情報化社会平山郁夫ウェンツェル工業薬品工業自動車工業鈴木志郎康

他サービスで検索

「連帯」のスポンサー検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE GROUP, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.