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近松門左衛門【ちかまつ もんざえもん】

美術人名辞典

近松門左衛門
江戸中期の歌舞伎狂言浄瑠璃作者。出生地は不明。幼時より京都で育ち、一時近江の近松寺に遊び、近松の姓はこれに因んだものといわれている。名は信盛、通称を平馬、号は平安堂巣林子不移山人等。竹本義太夫と提携し多くの浄瑠璃を発表。また坂田藤十郎のために脚本を書く。代表作は『曾根崎心中』『女殺油地獄』等。享保9年(1725)歿、72才。

出典:(株)思文閣

朝日新聞掲載「キーワード」

近松門左衛門
浄瑠璃、歌舞伎作者。しょうゆ屋手代徳兵衛遊女お初の心中を描いた「曽根崎心中」(1703年初演)は、江戸時代庶民の世界を扱った「世話浄瑠璃」の第一作とされ、現在でも文楽の人気演目。
(2008-07-12 朝日新聞 夕刊 2社会)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

ちかまつ‐もんざえもん〔‐モンザヱモン〕【近松門左衛門】
[1653~1725]江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎作者。越前の人。本名、杉森信盛。別号、巣林子(そうりんし)。坂田藤十郎のために脚本を書き、その名演技と相まって上方歌舞伎の全盛を招いた。また、竹本義太夫のために時代物世話物の浄瑠璃を書き、義太夫節の確立に協力した。代表作「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」「曽根崎心中」「心中(しんじゅう)天の網島(あみじま)」「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)」「傾城仏の原」など。
[補説]忌日となる陰暦11月22日は、近松忌のほか巣林子忌巣林忌ともいう。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

近松門左衛門 ちかまつ-もんざえもん
1653-1725* 江戸時代前期-中期の浄瑠璃(じょうるり)・歌舞伎作者。
承応(じょうおう)2年生まれ。京都の宇治加賀掾(かがのじょう)のもとで修業。竹本義太夫(ぎだゆう)とくみ貞享(じょうきょう)2年「出世景清」で名声を博す。歌舞伎では坂田藤十郎と提携し,「傾城(けいせい)仏の原」などの狂言をかく。元禄(げんろく)16年竹本義太夫のためにかいた「曾根崎心中」で世話浄瑠璃を確立し,宝永2年大坂竹本座の座付作者となった。享保(きょうほう)9年11月22日死去。72歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。姓は杉森。名は信盛。通称は平馬。別号に巣林子,平安堂など。代表作はほかに「国性爺合戦」「心中天網島」「女殺油地獄」など。
【格言など】虚にして虚にあらず,実にして実にあらず,この間に慰(なぐさみ)がある(穂積以貫「難波土産」)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

ちかまつもんざえもん【近松門左衛門】
1653‐1724(承応2‐享保9)
浄瑠璃作者。歌舞伎作者。本名杉森信盛。幼名次郎吉,長じて通称平馬。ほかに平安堂,巣林子(そうりんし),不移山人などの号がある。近松は父の杉森信義が越前吉江藩の幼主に仕えて福井に在住していたとき次男として生まれたらしいが,父が浪人したため15~19歳のころに一家とともに京都に移住し,やがて後水尾帝の弟一条恵観(えかん)に仕えた。また正親町(おおぎまち)公通らの公家に仕えたともいう。この間,近松は和漢の古典的教養を身に付けたと思われるが,人形浄瑠璃の世界に接近したのもこの時期であった。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ちかまつもんざえもん【近松門左衛門】
1653~1724) 江戸前・中期の浄瑠璃・歌舞伎作者。本名、杉森信盛。別号、平安堂・巣林子。越前の人。浄瑠璃で竹本義太夫と、歌舞伎で坂田藤十郎と協力、数々の傑作を生んだ。最新の事件を劇化した際物きわもの「曽根崎心中」の成功で世話浄瑠璃をもっぱらとし、義理人情の葛藤かつとうにより生じる悲劇を多く著した。浄瑠璃「出世景清」「国性爺こくせんや合戦」「心中天網島」「女殺油地獄」、歌舞伎「けいせい仏の原」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

近松門左衛門
ちかまつもんざえもん
[生]承応2(1653).越前,吉江?
[没]享保9(1724).11.22. 大坂
江戸時代前期の浄瑠璃歌舞伎狂言の作者。本名杉森作左衛門信盛。号は巣林子,平安堂。越前吉江藩士であった父が浪人したのを機に上京,堂上貴族の一条恵観,正親町公通らに仕えた。宇治加賀掾門下を経て,貞享2 (1685) 年竹本義太夫のために『出世景清』を書き,以後義太夫と組んで活躍。また坂田藤十郎との提携を通じて,元禄期を代表する歌舞伎『けいせい仏の原』 (1699) ,『けいせい壬生大念仏』 (1702) なども書いた (→元禄歌舞伎 ) 。元禄 16 (1703) 年初めての世話物浄瑠璃『曾根崎心中』を書き好評を得て,以後浄瑠璃に専念。時代物世話物ともに優れ,従来の古浄瑠璃と一線を画した功績は大きく,井原西鶴松尾芭蕉と並ぶ江戸文学界の巨頭。代表作『けいせい反魂香 (はんごんこう) 』 (1708) ,『冥途の飛脚』 (1711) ,『国性爺合戦』 (1715) ,『博多小女郎波枕』 (1718) ,『心中天の網島』 (1720) ,『心中宵庚申 (しんじゅうよいごうしん) 』 (1722) など。 (→元禄文化 )

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

近松門左衛門
ちかまつもんざえもん
(1653―1724)
江戸前期の浄瑠璃(じょうるり)・歌舞伎(かぶき)作者。本名杉森信盛(のぶもり)。通称平馬。別号は平安堂、巣林子(そうりんし)、不移(ふい)山人。承応(じょうおう)2年越前(えちぜん)吉江藩士杉森信義(のぶよし)の二男として福井に生まれたが、父が浪人となったため、近松15、16歳のころ家族とともに京都に移り、公家(くげ)の一条恵観(えかん)家(正親町(おおぎまち)家、阿野(あの)家とも)に仕えた。20歳のとき主人の死にあったのを機に主家を辞した。その後作者になるまでの消息は明らかでないが、一時近江(おうみ)国(滋賀県)の三井寺高観音(みいでらたかかんのん)の近松(ごんしょう)寺に遊学したことがあり、筆名の「近松門左衛門」はその縁でつけたという説もあるが、真偽は不明である。その時期に和漢の古典を学び、仏教に関する知識も習得したものと思われる。そして1677年(延宝5)25歳ごろまでには、京都の宇治加賀掾(うじかがのじょう)のもとで浄瑠璃作者となったらしい。武士の出の近松が、賤視(せんし)されていた芸能の世界へ身を投じたのは、当時としては思いきった転身であったが、結果的には幸いした。以来72歳で没するまでの四十数年間に、歌舞伎脚本30余編、時代浄瑠璃80余編、世話浄瑠璃24編を書き、日本最大の劇詩人とたたえられる輝かしい業績を残した。その作家活動は、だいたい四つの時期に分けられる。[山本二郎]

第1期

浄瑠璃作者になってから1692年(元禄5)、近松40歳ごろに至るいわば習作時代である。加賀掾のために書いたと推定される『以呂波(いろは)物語』『赤染衛門栄花物語(あかぞめえもんえいがものがたり)』『世継曽我(よつぎそが)』など十数編の古浄瑠璃、竹本義太夫(たけもとぎだゆう)のために書いた『出世景清(しゅっせかげきよ)』『天智(てんじ)天皇』『蝉丸(せみまる)』などがある。なかでも1685年(貞享2)の『出世景清』は従来の浄瑠璃に新風を吹き込み、浄瑠璃の歴史を新旧に二分するほどの画期的な作で、それ以前を古浄瑠璃、以後を新浄瑠璃と称するようになった。しかし、このころの近松は、経済的には都万太夫(みやこまんだゆう)座の道具直しや、堺(さかい)で講釈師をして生計をたてるような厳しい生活だった。[山本二郎]

第2期

1693年41歳から1703年51歳ごろまでの、おもに歌舞伎狂言を書いた時代である。近松は貞享(じょうきょう)(1684~88)初年ごろから京都の都万太夫座で歌舞伎作者の修業をしたと伝えられるが、1693年ごろからおもに名優坂田藤十郎(とうじゅうろう)のために歌舞伎狂言を書いた。『仏母摩耶山開帳(ぶつもまやさんかいちょう)』『夕霧七年忌』『大名なぐさみ曽我』『一心二河白道(いっしんにがびゃくどう)』『傾城仏の原(けいせいほとけのはら)』『傾城壬生大念仏(みぶだいねんぶつ)』などを書き下ろし、元禄(げんろく)歌舞伎隆盛の基礎をつくった。それらはだいたい御家騒動の世界を扱い、神仏の霊験譚(れいげんたん)を取り入れてはいるが、中心は廓(くるわ)の場面におけるやつし事、傾城事の世話的な場景を写実的に描いたものであった。こうした、浄瑠璃よりはるかに現代性の濃い歌舞伎での経験は、世話浄瑠璃を創始するうえに大いに役だった。[山本二郎]

第3期

世話浄瑠璃中心の時代で、最初の世話浄瑠璃『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』を執筆した1703年51歳から、義太夫(筑後掾(ちくごのじょう))が没した14年(正徳4)62歳ごろまで。曽根崎の心中は事件直後ほうぼうの歌舞伎で上演されたが、近松はそれを人形浄瑠璃に持ち込み、世話浄瑠璃のジャンルを創始した。この作の興行は大成功で、竹本座はこれまでの負債を一挙に返済することができた。これを機にやがて筑後掾は座本(ざもと)の位置を竹田出雲(いずも)に譲ったが、引き続き太夫として活躍、近松は竹本座の座付作者となって浄瑠璃に専念することになった。そしてこの期には『堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)』『五十年忌歌念仏(うたねぶつ)』『心中重井筒(かさねいづつ)』『心中万年草(まんねんそう)』『丹波(たんば)与作待夜(まつよ)の小室節(こむろぶし)』『冥途(めいど)の飛脚(ひきゃく)』『夕霧阿波鳴渡(あわのなると)』などの世話浄瑠璃16編と、『用明天王職人鑑(ようめいてんのうしょくにんかがみ)』『傾城反魂香(はんごんこう)』『碁盤太平記』『嫗山姥(こもちやまんば)』などの時代浄瑠璃がつくられた。世話浄瑠璃を確立したことは、その後の浄瑠璃を複雑多彩なものにすることになったのでその意義は大きい。[山本二郎]

第4期

晩年の円熟大成した時代で、竹本政太夫(まさたゆう)(2代目義太夫)をもり立てて健筆を振るった。1714年に筑後掾が没して竹本座は危機を迎えたが、翌年座本出雲の意見を取り入れて書いた『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』が、3年越し17か月の大当りをとり、座の経営は安泰した。その後近松はいよいよ円熟した筆で、時代浄瑠璃では『日本振袖始(にほんふりそではじめ)』『平家女護島(にょごのしま)』『信州川中島合戦』など、世話浄瑠璃では『大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)』『鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)』『山崎与次兵衛寿(やまざきよじべえねびき)の門松(かどまつ)』『博多小女郎浪枕(はかたこじょろうなみまくら)』『心中天網島(てんのあみじま)』『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』『心中宵庚申(よいごうしん)』などの名作を残した。そして24年(享保9)正月に上演された『関八州繋馬(かんはっしゅうつなぎうま)』を絶筆として、同年11月22日72歳で没した。尼崎(あまがさき)市の広済寺(こうさいじ)に墓があり、また近松記念館が設けられている。なお、大阪市中央区法妙寺(妻の実家の菩提(ぼだい)寺)跡にも墓だけ残っている。
 近松は古浄瑠璃を当世風に改めて浄瑠璃を大成させたが、時代浄瑠璃では本来の夢幻性のなかに浪漫(ろうまん)的な要素と現実的な要素を巧みに調和させ、世話浄瑠璃では義理と人情との相克のうちに生きる庶民の姿を、生き生きとしかも愛情をもって描き、人々の心を動かした。それらの作の多くは不変の人間性を深く追求しているため、現代的生命をもち続けているものが少なくない。またその構想、趣向、文章が後世の戯曲に大きい影響を与えていることも、彼の偉大さを物語るものであろう。ただ『冥途の飛脚』『心中天網島』など上演度の高い作品は、原作のままの上演は初演だけで、その後は後人の入れ事の多い改作物が舞台に上(あが)っていた。これは近松以後の時代には演劇性に富んだはでな作が多くなり、それに対応して改作が行われたものと思われる。第二次世界大戦後は近松再検討の声がおこって原作による上演が増えてきている。なお、穂積以貫(ほづみこれつら)の『難波土産(なにわみやげ)』にみられる「芸は虚(うそ)と実(じつ)との皮膜(ひにく)の間にあり」という近松の芸術観は、彼の演劇に対する態度を明らかにしたことばとして有名である。[山本二郎]
『『近松全集』全12巻(1925~28・大阪朝日新聞社) ▽『近松歌舞伎狂言集』全2巻(1927・六合館) ▽『日本古典文学大系 49・50 近松浄瑠璃集 上下』(1958、59・岩波書店) ▽『日本古典文学全集 43・44 近松門左衛門集』(1972、75・小学館) ▽守随憲治訳注『近松世話物集』(1976・旺文社) ▽広末保著『近松序説』(1957・未来社) ▽河竹繁俊著『近松門左衛門』(1958・吉川弘文館) ▽『国語国文学研究史大成 10 近松』(1964・三省堂) ▽重友毅著『近松の研究』(1972・文理書院) ▽諏訪春雄著『近松世話浄瑠璃の研究』(1974・笠間書院)』

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精選版 日本国語大辞典

ちかまつ‐もんざえもん【近松門左衛門】
江戸前期の浄瑠璃・歌舞伎作者。本名杉森信盛。越前(福井県)吉江藩士杉森信義の子。別号巣林子(そうりんし)など。宇治加賀掾座、竹本義太夫座などのために浄瑠璃を書き、四〇歳頃からは坂田藤十郎のために歌舞伎の作を書いた。再び浄瑠璃にもどって世話浄瑠璃を創始した。作品「出世景清」「曾根崎心中」「冥途の飛脚」「国性爺合戦」「心中天の網島」「女殺油地獄」など。承応二~享保九年(一六五三‐一七二四

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