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赤穂城跡【あこうじょうあと】

国指定史跡ガイド

あこうじょうあと【赤穂城跡】

兵庫県赤穂市上仮屋にある城跡。別名、加里屋(かりや)城。千種(ちくさ)川が播磨(はりま)灘に注ぐ海岸近くの右岸、三方を山に囲まれた場所に位置する。本丸を同心円状に囲む二の丸があり、その北側に三の丸が配された、変形輪郭式と呼ばれる配置である。本丸には5層の天守が建てられる予定で、規模の大きい天守台の石垣が残っているが、実際には築かれなかった。現在では櫓(やぐら)のある本丸門、厩口門が復元され、本丸御殿の跡も示され、三の丸の大手門・隅櫓も復元された。江戸幕府開府以来50年が経ってからの築城ながら、戦いを意識した造りで、複雑に折れ曲がった石垣や角度を変える門に特徴がある。もとは15世紀に岡氏が築いた加里屋城があり、1600年(慶長5)に姫路藩主池田輝政の弟、長政が赤穂領主となり、赤穂城の前身である陣屋形式の大鷹城を築いた。その後、笠間藩主であった浅野長直(ながなお)が赤穂に入り、1648年(慶安1)に築城が開始された。設計は家老で軍学師範の近藤正純が行い、二の丸門虎口などに著名な軍学者であった山鹿素行(やまがそこう)の意見も取り入れ、13年の歳月を経て完成した。1701年(元禄14)、赤穂藩主浅野長矩(ながのり)の吉良義央(よしなか)に対する江戸城中での刃傷沙汰のため浅野氏は改易、城は龍野藩主・脇坂安照預かりとなる。翌1702年(元禄15)、大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士が吉良邸に討ち入った事件は、『忠臣蔵』として知られている。浅野氏廃絶後、永井氏が入り、1706年(宝永3)に森長直が入城して以来、森氏の居城として明治を迎える。毎年12月14日には赤穂義士祭が行われている。1971年(昭和46)に国の史跡に指定され、本丸庭園と二の丸庭園が2002年(平成14)に国の名勝に指定された。JR赤穂線播州赤穂駅から徒歩約17分。

出典:講談社
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