Rakuten infoseek

辞書

貴族【きぞく】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

貴族
きぞく
peerage; Adel; noblesse
ヨーロッパ史の諸段階に現れ各国の社会の支配階級を構成し,血統,支配権力,資産および戦争の功績などに基づいて形づくられた最高級の社会階層。発生的には人種上の階層変動や民族の移動,征服,被征服などから形成されることも多く,古代ギリシアの都市国家の場合はその典型である。一般に,西ヨーロッパでは民族移動後のゲルマン諸部族国家の確立期以来,イギリスでは近代的変化をとげながらも現代まで続いているが,フランスでは 1848年の二月革命以降,ロシアでは 1917~18年のロシア革命以降廃止された。ドイツでは三月革命以降実質的には存在しなくなったが,貴族の尊称は姓のなかに組込まれてその名残りをとどめている。中世,近代初期の西ヨーロッパでは,領主階層,騎士階層と貴族階層とを同義に用いたこともある。貴族の特権は国王への勤務と結びついており,中世には政策上の理由から国王が盛んに貴族を創設した。 15世紀以来,イギリス,フランス,ドイツでは伝統的な高級貴族層の崩壊が進み,1450年から 1600年頃にかけて,新興商業資本家階層が土地集積を通じて封建的大土地所有者に転身し,新興貴族層を形成する現象が一般に進行した。近代に入るとドイツの農民解放,ロシアの農奴解放の過程を通じて社会構造の変化に従い,貴族層の社会的地位と政治的性格も大きく質的な転換をとげ,近代市民社会に適合した合理化が貴族層内部においても顕著に認められる。日本では8世紀頃令制上層官人から起り,平安時代末期から江戸時代には公家と呼ばれた。明治維新以降は,公家に加えて大名家や国家に勲功のあった者等に爵位を与えて華族としたが,第2次世界対戦後廃止された。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

き‐ぞく【貴族】
身分や家柄の尊い人。また、社会的な特権を世襲している上流階級に属する人。明治憲法では華族といったが、第二次大戦後消滅。
特権を持つ者や優雅な生活をする者のたとえ。「労働貴族」「独身貴族

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

きぞく【貴族 nobilitas[ラテン]】

西洋
 西洋の歴史において貴族とは,一般に大規模な世襲的土地所有を経済基盤として,生活のための手の労働から解放され,その卓越した軍事的役割と,高貴な血統による排他的門閥形成を通じ,国家の政治的指導の面で大きな特権をもつ身分を指す。英語ではnobility,フランス語ではnoblesse,ドイツ語ではAdel。
[古典古代]
 ギリシアのポリスでは,前8~前6世紀,王政から民主政への過渡期に,貴族政(アリストクラティアaristokratia)が実現された。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

きぞく【貴族】
家柄・身分の高い人。代々、血統・門地により、社会的特権をもつ階級。日本では古くは藤原一族や公卿の家柄などがこれに相当し、明治維新後は華族令による華族をさしたが、第二次大戦後消滅した。
(比喩的に)ある特権をもつ者。 「労働-」 「独身-」

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

貴族
きぞく
一つの社会において、格段に高い政治的ないし法的な特権と栄誉をもつことを社会的かつ伝統的に承認された集団。一面において血統の観念と強く結び付く傾向があり、いわゆる「貴種」として自他ともに認められるのが本来的なあり方で、その地位は世襲されるのが普通である。新たに貴族の地位を与えられた者が「成り上がり貴族」として、「生まれながらの貴族」に比して、ややもすれば民衆からも軽んぜられるのはそのためである。他面において貴族は、政治的あるいは宗教的権威の存在を前提とすることが多い。とくに王権によって新貴族が創出されるため、歴史的には貴族層内部に絶えず交代が生じた。近代市民社会では、貴族は消滅したわけではないにしても、影響力を失うのが普通である。[渡辺昌美]

ヨーロッパ

ギリシアの貴族(エウパトリダイeupatridai)は、伝説の時代の王やその側近の子孫と信じられた血統貴族で、アテナイ(アテネ)の例のように執政官職や元老院の議席を独占し、騎兵ないし戦車兵として軍事の主力を形成したが、民主政治の展開につれて地位を失った。ローマの貴族(パトリキ)は、なかば伝説の時代に支配的な氏族や部族を構成した者たちの子孫で、族籍をもたない平民(プレブス)と区別された。共和政期のなかばまで貴族は実質的にローマの支配者で、身分闘争が高揚する紀元前445年までは平民との通婚も禁止されていた。しかし伝統貴族の損耗はかなり激しく、前5世紀におよそ50氏族いたものが、前4世紀なかばには22氏族81家門、共和政末には14氏族30家門となり、帝政期の貴族はほとんどが皇帝によって元老院議員に登用された新興の大土地所有者である。なお騎士(エクィテスequites)はこれに次ぐ身分であるが、普通、貴族とはいわない。
 民族移動後のガリアには2系列の貴族が存在した。一つはローマ系のセナトリアル貴族で、第一級の大土地所有者であるばかりでなく、多くは教会行政に影響力を有し古典的教養を最後まで持ち伝えた、甚だ特徴的な集団である。ラテン文学史の最終ページを飾るシドニウス・アポリナリスSidonius Apollinaris(430ころ―486ころ)にその典型をみる。いま一つはゲルマン系の血統貴族で、たとえば『バイエルン部族法典』は、大公の一族のほかに5氏族の名をあげ、自由人の「2倍の栄誉」「2倍の人命金」を定めている。両系列ともやがて中世的貴族のなかに解消する。
 カロリング帝国は大陸の主要部分を統一して地方官を配置した。デュクduc、ヘルツォークHerzog(公)、マルキmarquis、マルクグラーフMarkgraf(辺境伯)、コントcomte、グラーフGraf(伯)などの官職と管区が知行(ちぎょう)化、世襲化するとともに、これら知行地を領有し、かつての官職を称号として用いる家系が中世貴族の最上層を形成した。
 イギリスについては、9世紀『聖アレクサンダー移葬記』の著者ルドルフが「貴族、自由人、解放奴隷、奴隷」の4種類の人間が住み、貴族は劣位の者との婚姻を慎重に避ける、と記している。この段階の貴族は、他のゲルマン系諸族と同じく血統貴族であったと考えられる。ノルマン・コンクェスト以後、大陸の慣行が導入されたが、ここで貴族序列を決定したのは、王との関係、直臣か陪臣かの関係であった。
 中世において、一般に土地領主は貴族であったと考えられたが、その下限、境界、身分資格はかならずしも明確でない。それが問題化するのは、王権が貴族身分の認定権を独占した中世末期、絶対王政期である。こうして証書による貴族が登場する。旧制度(アンシャン・レジーム)下の「法服(ローブ)の貴族」はブルジョアのなかから成長した新貴族で、これに対し伝統貴族を「剣(エペ)の貴族」とよんだ。[渡辺昌美]

中国

中国の魏晋(ぎしん)南北朝および隋(ずい)・唐の時代には、貴族が政治、社会、文化のあらゆる面にわたって主導的役割を果たし、貴族制社会とよばれる体制をつくりあげた。これら貴族は、後漢(ごかん)末の宦官(かんがん)を中心とするいわゆる濁流勢力に対抗して形成されたいわゆる清流勢力に起源をもち、社会の与望を担った家柄がしだいに門閥貴族として固定化した。門閥貴族には天下の全体に名の知られた琅邪(ろうや)の王氏や陳郡の謝氏などを第一流とするさまざまの家格が存在し、家格のつりあった家どうしで通婚が繰り返されたほか、魏晋南北朝時代を通じて、個人の能力ではなしに家格に応じてしかるべき官職が与えられる官吏任用法、すなわち「九品官人法(きゅうひんかんじんほう)」が行われたのである。当時の政治はまさしく天子と貴族の合議制とよぶべきものであった。晋代に行われた「王と馬と天下を共にす」ということばは、貴族の代表である王氏と晋の王室の司馬氏との共同政権との意味であり、唐代においても、中央政府を構成する中書、門下、尚書の三省のうち、門下省は天子の意志をチェックする権限を与えられ、貴族勢力の牙城(がじょう)となった。貴族たちの間には、家格の決定をはじめとして、天子たりとていかんともしがたい独自のルールが存在し、しかも興亡を繰り返す王朝とは無関係に門閥は延命を続けた。こうした安定のうえに、貴族は高度に洗練された生活と文化を追求し享受しえたのである。
 しかし、6世紀、北朝においては六鎮(りくちん)の乱が、南朝においては侯景(こうけい)の乱が貴族社会の安定にかつてない動揺をもたらし、さらに隋・唐時代に至って九品官人法にかわる科挙制度が開始されると、しかるべき対応に失敗した貴族は没落を免れなかった。そして8世紀中葉の安史(あんし)の乱、9世紀末葉の黄巣(こうそう)の乱によって門閥貴族は完全に消滅し、科挙官僚を中心とする宋(そう)代の士大夫(したいふ)社会が準備されるに至った。[吉川忠夫]

日本

律令(りつりょう)官人の上層部をいう。律令の規定では三位(さんみ)以上を貴、四、五位者を通貴(つうき)といい、あわせて貴族とされた。このうち大臣、納言(なごん)、参議および三位以上を公卿(くぎょう)とか上達部(かんだちめ)といい、昇殿を許された四、五位者を殿上人(てんじょうびと)とよんだ。蔭子(おんし)・蔭孫の制をはじめ諸種の特権を与えられ、六位以下の官人との間には明確な格差があった。古代豪族が本籍地を離れて京師に集住する都市民となり、宮城にある官司へ出仕する官人になることが、貴族成立の指標で、そのためには官司=官人制度や給与制度の整備が要件であった。歴史的には7世紀の末から8世紀の初め、藤原京から平城京の時代にかけて出現したといえる。官人の数は8000~9000人に上ったが、そのうち貴族は100人以下で、増加した平安時代でも150人を超えることはなかった。その中核は大化前代以来の旧族の子孫であったが、平安初期に至り、他氏排斥や皇室との血縁関係を通じて政権を掌握した藤原氏(とくに北家(ほっけ))が卓越し、藤原氏が貴族の同義語とさえなった。それに伴い、貴族間に格差の増大と固定が進み、権門と寒門に分化した。地方官を歴任する中下級貴族=受領(ずりょう)層が形成されたのも平安中期である。
 貴族は、給与が「代耕の禄(ろく)」といわれたように、土地所有と無縁であることをたてまえとし、事実、上層貴族の間には田舎(いなか)(地方)に所領をもち産業にかかわることを忌避する風潮があったが、国家財政の弛緩(しかん)に伴い、中下級貴族や地方豪族から所領の寄進を受けることが多くなった(いわゆる寄進地系荘園(しょうえん))。その結果、平安後期には摂関(せっかん)家が皇室と並ぶ二大荘園領主(本所(ほんじょ))となり、中小貴族・官人はその傘下に組み込まれた。貴族政治の盛期には、日本的な美意識に基づく文学や芸術が発展したが、ことに政治の構造にかかわって女房(にょうぼう)文学が展開、これは貴族と消長をともにした。
 貴族は、武家勢力が台頭し政権を樹立するに及び、中世には政治権力を喪失する。そこで中世以降は武家に対比する意味もあって公家(くげ)(公家は天皇あるいは朝廷の意)の称が一般化した。この時期には仕えるべき官司も事実上消滅し、江戸時代には京都御所の周辺に集住して公家町を形成した。公家は明治以後華族(かぞく)に吸収されたが、第二次世界大戦後、華族制度が廃止され、消滅した。[村井康彦]
『倉本一宏著『摂関政治と王朝貴族』(2000・吉川弘文館) ▽増田繁夫著『源氏物語と貴族社会』(2002・吉川弘文館) ▽マイケル・L・ブッシュ著、指昭博・指珠恵訳『ヨーロッパの貴族――歴史に見るその特権』(2002・刀水書房) ▽芝川治著『ギリシア「貴族政」論』(2003・晃洋書房)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

き‐ぞく【貴族】
〘名〙
① 家柄や身分のとうとい人。また、社会の上流にあって、通例特権を世襲している階級。
西洋事情(1866‐70)〈福沢諭吉〉二「世祿の貴族愈々盛なるに従ひ王室の威権次第に衰へ」 〔晉書‐列女〕
② (比喩的に) ある特権に安住している者。「労働貴族」「独身貴族」

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

貴族」の用語解説はコトバンクが提供しています。

貴族の関連情報

他サービスで検索

「貴族」のスポンサー検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE GROUP, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.