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象徴的分類【しょうちょうてきぶんるい】

日本大百科全書(ニッポニカ)

象徴的分類
しょうちょうてきぶんるい
symbolic classification
どんな民族もそれぞれ自然界や自らの社会をいろいろな形に分類している。父、母、オジ、オバ、イトコなど親族の分類の仕方が社会によって異なることはかなり以前から知られており(たとえばある社会では、父の兄弟と父とが同じ語であるなど)、最近では、動植物の分類法もいくつかの社会について実証的な研究が行われている。このような一定の社会特有の分類は「民俗分類」folk classificationといわれる。
 このような分類とともに象徴的分類といわれる分類があり、これは一例として北アメリカのズニZuni・インディアンにおけるように、社会や宇宙が広く二つに分類されているものがあげられる。この分類法は象徴的二元論といわれるが、二元論のほかに、三元論ないし三分法、四元論、四分法、五元論、五分法などが共存している社会もある。つまり社会生活のそれぞれの局面において二元論が際だったり、五元論が表れたりすることがある。たとえばバリ島では、象徴的二元論が際だっており、「山の方」と「海の方」という二分法は、浄と不浄、聖と穢(けがれ)、天界と地界、上と下、上座と下座、右と左という対立に関連している。それとともにここでは三分法や五分法、十一分法がそれぞれ異なる儀礼において表れるのである。
 象徴的分類に関するおそらく最初の研究はアメリカのカッシングF. H. Cushingによるズニ・インディアンの世界観に関するもの(1800)であるが、象徴的分類の真の開拓者はフランスのデュルケームとモースで、彼らは1903年の共著の論文で、象徴的分類の基礎を社会に求め、象徴的二元論は社会が二つに分かれている双分制に由来すると考えた。つまり、集団の分類が先に行われ、それに従って自然や宇宙の分類が行われるというのである。ところが、ニーダムが述べているように、違う形態の分類が同じ形の社会組織をもつ社会にみいだされるし、また同様な分類の形態が違う形の社会にみいだされる。したがって、分類の形態と社会組織との関係を、単純に前者が後者の結果であると割り切ることは間違いであり、社会の分類も、広い分類の一部にすぎないと考えるべきである。それにしても、デュルケームとモースの分類の研究は、その後の象徴的分類の研究をさらに生むことになった。同じくフランスのエルツは「右手の優越」(1907)という古典的な論文で、左右の象徴的二元論(右が強、善、正、男などに象徴的に結び付くのに対して、左が弱、悪、邪、女に結び付く象徴体系)についての画期的な考察を行った。
 象徴的分類に関する研究をさらに発展させたのはニーダムで、おもにベルナルディB. Bernardiの調査資料を基にケニアの農耕民メルMeruの社会において、右/左、男/女、昼/夜、東/西、白/黒などの対立があり、右が尊ばれるにもかかわらず、最高祭司ムグウェの左手が神聖視される理由を探った。ニーダムは現実の世界における権力者、司法者としての長老と祭司ムグウェが対比されていることに注目し、前者が右、男、昼などに象徴的に関連するのに対して、ムグウェは聖職者、宗教的権威者として、左、女、夜などに結び付く。祭司は男性であるが、象徴的には女性、左、黒などに結び付いているために、その左手が祭司職の象徴とされると論じた。
 ニーダムはさらにアフリカのバントゥー系民族ニョロNyoroに関するビーティーの調査資料その他を基にして、その象徴的二元論を明らかにした。ニョロにおいて右/左、王/王妃、男/女、天/地、善/悪、白/黒などの象徴的対立において、占い師が象徴的に左や女と関連する点をニーダムは力説し、そこに占い師の左手が尊重される理由を求めている。さらにニーダムは、象徴的分類も一つの集合表象であって、それはその社会の成員個々人にかならずしも意識されているとは限らないこと、象徴的二元論は他の分類法(一元論、多元論など)と共存しうること、あるいは二元論が無意味な社会もあること、象徴的二元論は社会に関する諸資料の分析の結果得られる秩序であることなどを力説した。
 フランスのルイ・デュモンLouis Dumontは、エルツに由来する右と左の象徴的対立に関する研究は間違っていると批判した。デュモンは、善は悪と反対のものであるが、悪のない世界が善であるはずがないから、善は悪を含んでいると論じる。しかし、ニーダムが述べたように、悪の属性は紛れもなく善のそれと相いれないものだから、善は悪を含むというのはおかしい。デュモンのいうことは、「聖」が「俗」や「穢(けが)れ」を含むということと同じように間違っている。
 また象徴的分類の研究法で重要なことは、社会的状況ないしコンテクスト(関係、背景)との関連で分析することである。つまり、同じ物でもコンテクストが違うと反対の意味になるということである。たとえば、バリ島の人々にとって、祭儀のときの海は、祭りに使う祭具を海水で清めるところだが、葬式のときは、海は火葬の後の灰を流す汚れたところである。日本では日常生活に用いるワラジやゾウリの緒が「右ない」であるのに対して、葬式のとき、棺を縛る縄は「左ない」であり、農作業などに用いる縄が「右ない」であるのに対し、野辺送りのワラジやゾウリの緒も「左ない」であったし、出棺の際、棺を「左まわり」にするが、神社にかざる注連縄(しめなわ)が「左ない」であるし、神事でも左手、左が重視される。また「左ない」の縄は妖怪や邪霊を撃退させる力をもつとされる。象徴される物は、その社会的状況ないしコンテクストとの関連でのみ意味をもつ。
 象徴的意味がコンテクストに左右されるのは、何もバリ島や日本に限られてはいない。ニーダムによると、アフリカのメル社会にはムグウェといわれる男の司祭がいる。ムグウェは象徴的には女であり、政治的コンテクストでは象徴的に男に位置づけられる長老のほうがムグウェより偉い。ところが、儀礼のコンテクストではムグウェのほうが長老より上位に位置づけられる。デュメジルによると、古代インド・ヨーロッパでは、天は大地と対比されるときは、象徴的に男であり、大地は女である。ところが、天が太陽と対比されるときは、天は象徴的に女であり、太陽は男である。同様に、あるコンテクストではミトラ神は象徴的に右で、バルナ神は左であるが、別のコンテクストでは逆になるという。普通は、ミトラとバルナは、それぞれ昼と夜、太陽と月に結び付くが、別のコンテクストではこのような対比は行われない。[吉田禎吾]
『R・エルツ著、吉田禎吾・内藤莞爾・板橋作美訳『右手の優越』(1980・垣内出版) ▽R・ニーダム著、吉田禎吾・白川琢麿訳『象徴的分類』(1993・みすず書房) ▽松永和人著『左手のシンボリズム』(1996・九州大学出版会)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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