Rakuten infoseek

辞書

調所広郷【ずしょひろさと】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

調所広郷
ずしょひろさと
[生]安永5(1776).3. 鹿児島
[没]嘉永1(1848).12.18. 江戸
江戸時代後期の薩摩藩家老。通称笑左衛門。薩摩藩士川崎主右衛門の次男で調所清悦の養子となり,藩主島津斉興の側用人となった。藩主の祖父で隠居後も藩政を指導していた島津重豪に重用され,文政年間 (1818~30) から天保年間 (30~44) にかけて藩の財政改革を推進し,重役に昇進。奄美大島や三島の砂糖など藩内産物を買上げて藩の専売とし,藩債を富豪に強制的に買わせて巨額の資金を調達して財政を立直そうとはかった。この改革によって薩摩藩の財政はとみに豊かになったが,密貿易が幕府に発覚しその責めを負って自決した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

ずしょ‐ひろさと【調所広郷】
[1776~1849]江戸後期の薩摩(さつま)藩家老。島津重豪(しまづしげひで)・斉興(なりおき)に仕えて藩の財政を再建したが、密貿易が幕府に発覚して自殺。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

調所広郷 ずしょ-ひろさと
1776-1849* 江戸時代後期の武士。
安永5年2月5日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。側用人,家老となる。砂糖の総買い入れ専売制実施,藩債500万両の250年賦償還などにより藩財政を再建。琉球を通じての密貿易の責任をとって嘉永(かえい)元年12月18日自殺。73歳。本姓は川崎。通称は笑左衛門(しょうざえもん)。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ずしょひろさと【調所広郷】
1776‐1848(安永5‐嘉永1)
江戸後期,薩摩藩の財政担当者。通称笑左衛門。茶坊主より昇進して1833年(天保4)家老となる。1830年島津重豪(しげひで)より,破局財政再建のため,(1)以後10年間に50万両の貯蓄,(2)50万両のほかに平時ならびに非常時手当金の貯蓄,(3)500万両の古借証文の回収を命ぜられる。まず経済学者佐藤信淵の意見を聞き,また出雲屋孫兵衛ら経済専門家を配下に集めて着手した。改革の主柱としたのは大島,徳之島,喜界島3島の黒糖の総専売であり,ハゼ蠟,コウゾ,ナタネ,ウコン等の諸国産の開発専売を強行した。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

ずしょひろさと【調所広郷】
1776~1848) 江戸後期の薩摩藩の家老。通称、笑左衛門。藩債の整理、砂糖の専売などで藩の財政を再建、のちの薩摩藩の維新活動の基礎を築いた。密貿易が幕府に露見して、引責自殺。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

調所広郷
ずしょひろさと
(1776―1848)
江戸後期の薩摩(さつま)藩家老。安永(あんえい)5年2月5日、鹿児島城下の下級武士川崎家に生まれ、のち調所家の養子となった。幼名良八、のち笑悦(しょうえつ)、笑左衛門と改めた。前藩主島津重豪(しげひで)付きの茶坊主となったことからそのお気に入りとなり、累進して御側用人(おそばようにん)となった。薩摩藩では重豪の隠居後急速に藩債が増加して、文政(ぶんせい)(1818~30)の末には500万両の巨額に達した。1827年(文政10)調所はその財政改革主任を命ぜられ、以来死力を尽くして改革にあたった。顕著な方策としてまず奄美(あまみ)大島、徳之島、喜界(きかい)島三島の砂糖専売政策をとり、三島砂糖の売買を厳禁し、違反者は死刑などの極刑に処し、上納後の余分の黒糖についても島民の日用品と交換する仕組みで、それを大坂市場価格の4分の1ぐらいで引き取った。また藩債500万両を年2万両ずつ返済する藩債250年賦償還法をとり、さらに米、菜種その他の国産品改良や密貿易などで利益をあげた。こうしてついにみごと財政改革に成功、天保(てんぽう)(1830~44)末期には藩庫備蓄金50万両のほか、諸営繕費用200万両余に達したという。財政改革の功により家老となり、開明派の世子斉彬(なりあきら)と対立したが、幕府より密貿易の嫌疑を受け、嘉永(かえい)元年12月18日急死、自殺という。[芳 即正]
『原口虎雄著『幕末の薩摩』(中公新書)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

367日誕生日大事典

調所広郷 (ずしょひろさと)
生年月日:1776年2月5日
江戸時代後期の薩摩藩の財政家
1849年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

ずしょ‐ひろさと【調所広郷】
江戸後期の薩摩藩の家老。通称笑左衛門。島津重豪(しげひで)付御側御用人となり、文政一〇年(一八二七)藩財政の改革に着手。国内産物の専売、藩債の強制などで財政を再建したが、密貿易が発覚し、責任を負って自殺した。安永五~嘉永元年(一七七六‐一八四八

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

調所広郷」の用語解説はコトバンクが提供しています。

調所広郷の関連情報

関連キーワード

アメリカ史チュルゴー蕪村デラウェア[州]ゴローブニン上田秋成ゴローニングアテマラトロピーニンロス

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.