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評定衆【ひょうじょうしゅう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

評定衆
ひょうじょうしゅう
鎌倉,室町幕府職名執権のもとで裁判政務合議した職員。執権を中心とする合議体制の整備確立を意図して嘉禄1 (1225) 年北条泰時が新設。政所執事問注所執事引付頭人はいずれも評定衆を兼務し,幕府権力の中枢であった。最初 11名であったが,一定せず,過半数は北条氏一門で占められ,それに大江,中原,三善などの事務家,三浦,二階堂などの有力御家人が任命された。しかし得宗 (とくそう) 専制政治の強化により次第に衰えた。室町幕府にも設置されたが,評定が儀式化したため有名無実で,15世紀中頃には幕府職員の身分を表わすにすぎなくなった。

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デジタル大辞泉

ひょうじょう‐しゅう〔ヒヤウヂヤウ‐〕【評定衆】
鎌倉幕府の職名。評定所に出仕して、執権連署とともに裁判・政務などを合議裁決した。室町幕府もこれを引き継いだが、幕府の衰退とともに有名無実となった。

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世界大百科事典 第2版

ひょうじょうしゅう【評定衆】
鎌倉・室町幕府の職制。鎌倉幕府が承久の乱(1221)後に評定衆を置いて,政務・裁判の評議を行うこととしたのに始まるが,その淵源は1199年(正治1)将軍源頼家の独裁を排除し,北条時政以下13人の有力御家人の合議による評定が行われたことにある。それ以後,北条氏を中心とする有力御家人による評定がしだいに定着してゆくが,執権北条義時と政子の相つぐ死去の後,1225年(嘉禄1)に執権北条泰時によって評定衆がはっきりした制度として置かれ,評定会議は幕府の政務・裁判の最高評議機関として確立した。

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大辞林 第三版

ひょうじょうしゅう【評定衆】
鎌倉幕府の職名。執権・連署とともに幕府の最高意思決定機関を構成し、政務一般および訴訟の裁断について合議した。鎌倉後期には次第に空名化し、室町幕府に至ってほとんど有名無実の存在となった。
の影響下、院政機構に設置された職制。院に出仕して政務・訴訟を議し、上皇(法皇)の諮問にこたえるべく選ばれた公卿・殿上人をいう。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

評定衆
ひょうじょうしゅう
鎌倉幕府において、重要政務・訴訟を、執権・連署とともに審議したメンバー。1225年(嘉禄1)に執権北条泰時(やすとき)によって、三浦義村(よしむら)、二階堂行盛(にかいどうゆきもり)ら11人が任命されたことに始まる。人数はおおむね15名程度で、北条氏一門・有力御家人(ごけにん)と文筆系職員とで構成されたが、のちしだいに北条氏一門の占める割合が高くなっていった。1249年(建長1)に訴訟専門機関として引付(ひきつけ)が設置されると、評定衆は引付に分属して訴訟審理にあたった。引付頭人(とうにん)は評定衆から選任された。また政所(まんどころ)執事、問注所(もんちゅうじょ)執事も評定衆から選任された。評定衆の名は室町幕府にも受け継がれたが、しだいに実質を失って衰退した。
 朝廷においても、後嵯峨(ごさが)院政期に、上流廷臣と実務家中流廷臣とからなる評定衆が置かれ、以後5~10人ほどが任命された。この評定衆による評定は、院政の政務処理機関の一つとして、鎌倉時代を通じて独自の発達を遂げた。[山村博也]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ひょうじょう‐しゅう ヒャウヂャウ‥【評定衆】
〘名〙 (「ひょうじょうしゅ」とも)
① 鎌倉・室町時代の職名。鎌倉時代には執権連署の出席する評定所の会議に出仕し、政務を評議決定する職。引付衆から転補されるのがつねであり、多く世職。六波羅探題府、九州探題府にもこの職があった。室町幕府の評定衆は引付衆の別称。
※吾妻鏡‐天福元年(1233)八月一八日「召評定衆、被沙汰
② 鎌倉時代後期、天皇や上皇を補佐して政事を議する公卿
※増鏡(1368‐76頃)一三「院文殿、議定所にうつされひゃうぢゃうしゅなど、少々かはるもあり」
③ 江戸時代、評定所の会議にあずかる人々。
※御当家令条‐三四・御評定所張紙・寛永一二年(1635)一二月二日「評定衆寄合場え卯刻半時罷出」

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