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記録所【きろくしょ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

記録所
きろくしょ
初め記録荘園券契所といい,荘園整理の目的で,後三条天皇により,延久1 (1069) 年設置された。太政官内の朝所 (あいたんどころ) をその事務所とする。天永2 (1111) 年には,荘園記録所といわれ,国司と荘園領主との荘園に関する相論 (訴訟) を審議する機関に変った。職員には,上卿 (しょうけい) ,弁官に加えて,事務官や法律家を主体とする寄人 (よりゅうど) をおいた。その後記録所は次第に朝廷の主要な裁判機関となり,特に天皇の権力が強化された 14世紀初期の後醍醐天皇の治世には,政治の中心機関として重きをなした。しかし南北朝時代を経て,15世紀,室町幕府の独裁体制確立により,その機能を失った。

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デジタル大辞泉

きろく‐じょ【記録所】
記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいじょ)」の略。
源頼朝の要請により、文治3年(1187)訴訟処理を主な目的として朝廷に設置された役所。
南北朝時代、建武政府が設置した、朝廷の重要事項を取り扱う訴訟機関。

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世界大百科事典 第2版

きろくしょ【記録所】
1069年(延久1)創設された〈記録荘園券契所〉の略称。のちにその性格・機能の変遷に応じて,〈記録所〉が正式名称となった。
[記録所の成立]
 後三条天皇は,1069年荘園整理令の発令に引き続いて,太政官の外局的機関として記録荘園券契所を設置した。その機能については当該項目を参照されたい。職員は,上卿(しようけい),弁,寄人(よりうど)から成り,長官の上卿には権大納言源経長,ついで権中納言源隆俊が,弁には蔵人右少弁大江匡房(まさふさ)が任ぜられた。

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大辞林 第三版

きろくじょ【記録所】
〔「記録荘園券契所」の略〕 1069年、後三条天皇によって荘園整理を進めるために設けられた役所。
1333年、後醍醐天皇が親政のため設けた裁断機関。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

記録所
きろくじょ
平安後期から戦国期に断続的に朝廷に設置された機関。(1)荘園券契(しょうえんけんけい)の真偽の勘決、(2)朝廷に関する所領の訴訟勘決などをおもに扱った。職員は、基本的には上卿(しょうけい)(参議以上)・弁(弁官)・寄人(よりゅうど)(外記(げき)・明法家(みょうぼうか)など)によって構成された。後三条(ごさんじょう)天皇の延久(えんきゅう)の記録荘園券契所((1)の機能)に始まり、白河(しらかわ)院政期の天永(てんえい)記録所(おもに(2)の機能)、後白河(ごしらかわ)天皇期の保元(ほうげん)記録所((1)(2)両機能)、後白河院政期の文治(ぶんじ)記録所(おもに(2)の機能)を経て、鎌倉期には訴訟機関として常設化するに至る。しかし、院評定(ひょうじょう)制が整備される鎌倉後期には、院の文殿(ふどの)にその機能を奪われるようになり、天皇親政時以外には設置されなくなった。伏見(ふしみ)天皇は1293年(永仁1)記録所を開き番編成で訴訟を扱った。後醍醐(ごだいご)天皇は1321年(元亨1)親政を開始すると、院政の象徴である「文殿庭中(ていちゅう)」(文殿裁判)を停止し、議定衆(ぎじょうしゅう)、記録所を置いた。これは建武(けんむ)政権の記録所に及んだが、雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)が設置されると、重事のみの裁決を行う機関となった。建武政権崩壊後も天皇親政時には設置され、「記録所庭中」が行われたが、室町期にはしだいに訴訟機関としての実を失った。その後は不明な点が多いが、戦国期までその名がみえる。[飯沼賢司]

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精選版 日本国語大辞典

きろく‐じょ【記録所】
〘名〙
① (「きろくしょうえんけんけいじょ(記録荘園券契所)」の略) 延久元年(一〇六九)、後三条天皇が荘園整理の政策をとり、その機関として設置した役所。弁、寄人などの職員を置いた。のち、数度にわたって再興された。荘園記録所。
※愚管抄(1220)四「延久の記録所とてはじめて置かれたりけるは」
② 天永二年(一一一一)、①にならって白河上皇が設置した役所。国司や荘園領主の訴訟の裁決のため、勘状の作成を行なった。
※中右記‐天永二年(1111)一〇月五日「今日庄園記録所事始也」
③ 保元元年(一一五六)、後白河親政のもとで設置した役所。荘園券契審査と訴訟勘状作成を行なった。
※百練抄‐保元元年(1156)一〇月二〇日「更置記録所
④ 文治三年(一一八七)二月、源頼朝の要請に基づいて朝廷に設置された役所。朝廷の訴訟処理を主な目的とした。その職掌は従来より拡充され、のち、永仁元年(一二九三)伏見天皇の時、職員を当番制にし、神事、仏事、雑訴をそれぞれ集中的に取り扱った。また、元亨元年(一三二一)後醍醐天皇も再興している。
※玉葉‐文治三年(1187)二月二八日「始被記録所、以閑院亭中門南内侍所南廊其所、執権弁定長也、〈略〉諸司諸国并諸人訴訟、及庄薗券契、於記録所、宣決理非
⑤ 建武中興政府が設置した訴訟機関。朝廷の大事を裁決した。土地に関する訴訟など一般の訴訟を雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)が扱ったのに対する。新政府が倒れた後も名目だけは存続した。
※梅松論(1349頃)上「重事に於ては記録所に於て裁許あり」

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