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西周【にし あまね】

美術人名辞典

西周
哲学者・啓蒙学者。津和野藩医の子。通称経太郎・助。甘寐斎・天根と号す。はじめ儒学を、のち蘭学・英語を学び、王政復古に際しては徳川慶喜に近侍したが、維新後山県有朋のもとで新政府軍部官僚となる。一方、明六社に加盟し啓蒙活動にも尽力、『明六雑誌』に哲学論文を発表した。哲学・心理学術語を創り日本近代哲学の父といわれる。貴族院議員。明治30年(1897)歿、69才。

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デジタル大辞泉

せい‐しゅう〔‐シウ〕【西周】

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編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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にし‐あまね【西周】
[1829~1897]哲学者啓蒙思想家。石見(いわみ)の人。津和野藩医の子。オランダ留学、帰国して、開成所教授。森有礼らと明六社を結成し、西洋哲学の紹介、啓蒙思想の普及に努めた。著「百一新論」「致知啓蒙」「百学連環」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

西周 にし-あまね
1829-1897 幕末-明治時代の思想家。
文政12年2月3日生まれ。石見(いわみ)(島根県)津和野藩医の子。オランダに留学,法学,経済学などをまなぶ。維新後は兵部省のち陸軍省で軍制の整備にあたり,軍人勅諭の原案を起草。明六社同人として啓蒙活動にもつとめ,「哲学」などの用語をつくった。貴族院議員。明治30年1月31日死去。69歳。名は時懋(ときしげ)。通称ははじめ周助。号は天根,甘寐斎。著作に「百一新論」,訳書に「万国公法」など。
【格言など】人間には三つの宝がある。健康と知識と富だ(「人世三宝説」)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

せいしゅう【西周 Xī Zhōu】
中国古代の周王朝が,前771年犬戎によっての宗周(西安市西郊)を追われ,東の成周(河南洛陽市)にうつるまでの間をいい,それ以降を東周という。【伊藤 道治

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にしあまね【西周】
1829‐97(文政12‐明治30)
明治前半期の啓蒙思想家。石見国(島根県)津和野藩医の家に生まれる。荻生徂徠の学問に関心をもったが,1853年(嘉永6)江戸に出たのち洋学を学びはじめ,手塚律蔵や中浜万次郎に英語を学んだ。57年(安政4)蕃書調所教授手伝並となり,62年(文久2)幕府派遣留学生として津田真道らとオランダに留学。ライデン大学のフィセリング教授から政治,経済等を学び,留学中コントの実証主義やJ.S.ミルの功利主義,およびカントの恒久平和の思想に感銘した。

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大辞林 第三版

せいしゅう【西周】

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にしあまね【西周】
1829~1897 明治時代の思想家。津和野藩医の子。通称、経太郎。洋学を志しオランダに留学、帰国して開成所教授。維新後明治政府に仕え、軍人勅諭などの起草にあたる。明六社に参加し、近代思想の紹介に努めた。著「百一新論」「致知啓蒙」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

西周
せいしゅう
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西周
にしあまね
[生]文政12(1829).2.3. 石見,津和野
[没]1897.1.31. 大磯
啓蒙思想家。幼名は経太郎,名は時懋 (ときしけ) ,魚人,修亮,周助。明治以降は周と称した。号は天根,甘根,甘寝舎,甘寝斎。津和野藩医西時義の長子。初め儒学を学んだが,安政1 (1854) 年洋学に専念するために脱藩し,手塚律蔵の塾に学び,中浜万次郎に英語を学んだ。同3年蕃書調所教授手伝並となった。文久2 (62) 年幕命により,榎本武揚,津田真道らとオランダに留学,慶応1 (65) 年帰国して開成所教授となった。翌年徳川慶喜の政治顧問として京都に行き,私塾を開いて哲学を講義した。明治1 (68) 年沼津兵学校頭取となったが,同3年兵部省に出仕し,近代軍制の整備にあたった。 1873年福沢諭吉,森有礼,中村正直らと「明六社」の設立に参加。西洋哲学の紹介と啓蒙思想の普及に努めた。東京学士会院会長,元老院議官,貴族院議員を歴任。今日使われている哲学用語の多くは彼の手になる。著書に『致知啓蒙』 (74) ,『百一新論』 (74) ,『百学連環』,訳書に『万国公法』 (68) ,『心理学』 (75~76) ,『利学』 (77) などがある。

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精選版 日本国語大辞典

せい‐しゅう ‥シウ【西周】
中国古代の王朝、周の前半期。武王が殷を滅ぼして建国して以来、紀元前七七一年に犬戎の侵寇によって平王が東遷するまでの時代。都が鎬京(陝西省西安)にあったので西周とよばれ、のちに洛陽(河南省河南)に都した東周と区別される。王室権威が保たれた周の全盛時代。

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にし‐あまね【西周】
幕末・明治の蘭学者、哲学者。男爵。石見国(島根県)の人。通称経太郎、のち周助、維新後は周。文久二年(一八六二)、榎本武揚、津田真道らとオランダに留学。帰朝後、開成所教授となる。幕命によって万国公法の翻訳を大成。維新後、明六社に参加、西欧文明の紹介に努めた。東京学士会院院長、元老院議官を歴任。主著「百一新論」「致知啓蒙」「利学」など。文政一二~明治三〇年(一八二九‐九七

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