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藤原時平【ふじわらのときひら】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

藤原時平
ふじわらのときひら
[生]貞観13(871).京都
[没]延喜9(909).4.4. 京都
平安時代の廷臣。基経の長子。光孝天皇の擁立に功のあった父のおかげで,仁寿殿で天皇から加冠された。寛平2 (890) 年従三位,昌泰2 (899) 年左大臣。藤原氏の専権抑制のため登用された右大臣菅原道真大宰権帥に左遷し,藤原氏の地位を不動にした。『日本三代実録』『延喜式』の撰修参与,また律令制の維持に努め,封戸 2000戸を給された。彼が病死すると,世人はこれを道真のたたりとし,「右 (道真) 流,左 (時平) 死」の語が流布した。没後正一位,太政大臣を追贈

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デジタル大辞泉

ふじわら‐の‐ときひら〔ふぢはら‐〕【藤原時平】
[871~909]平安前期の公卿基経の子。菅原道真大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷して藤原氏の地位を確保。最初の荘園整理令を発し、班田収授の法を施行して、律令制の維持に努力。「三代実録」「延喜式」の編集に参画

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

藤原時平 ふじわらの-ときひら
871-909 平安時代前期-中期の公卿(くぎょう)。
貞観(じょうがん)13年生まれ。藤原基経の長男。母は人康(さねやす)親王王女。寛平(かんぴょう)3年(891)参議昌泰(しょうたい)2年左大臣となり,4年右大臣菅原道真を左遷して政権の座を確保。荘園整理令の公布など醍醐(だいご)朝の「延喜(えんぎ)の」をすすめる。延喜9年4月4日死去。39歳。贈正一位太政大臣。その死は道真の(たた)りといわれた。通称は本院大臣。

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世界大百科事典 第2版

ふじわらのときひら【藤原時平】
871‐909(貞観13‐延喜9)
平安前期の廷臣。太政大臣基経長男。母人康親王女。本院大臣ともいう。886年(仁和2)光孝天皇の加冠により宮中で元服,正五位下。翌年従四位下,左近衛中将,蔵人頭。890年(寛平2)従三位,891年父が没するが参議,892年権中納言,897年6月大納言,左大将氏長者となる。同時に宇多天皇に抜擢された菅原道真権大納言右大将となり,同年7月天皇は醍醐天皇に譲位,二人に新帝幼少の間政務を委任した。899年(昌泰2)左大臣,道真は右大臣となるが,宇多院の信任は道真の方が厚かった。

出典:株式会社平凡社
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ふじわらのしへい【藤原時平】

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大辞林 第三版

ふじわらのときひら【藤原時平】
871~909 平安前期の廷臣。基経の子。左大臣。通称、本院大臣・中御門左大臣。菅原道真を大宰権帥だざいのごんのそつに左遷して藤原氏の地位を確保。最初の荘園整理令を発し、「三代実録」「延喜式」撰修に参画した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

藤原時平
ふじわらのときひら
(871―909)
平安前期の律令(りつりょう)官人。太政(だいじょう)大臣基経(もとつね)の長子。母は四品弾正尹(だんじょうのかみ)人康(ひとやす)親王の女(むすめ)。名は「しへい」とも読む。886年(仁和2)光孝(こうこう)天皇に加冠されて正五位下に叙して以来、父祖の勢威を背景に要職を歴任、899年(昌泰2)左大臣に進む。しかし、同時に右大臣に任じられた菅原道真(すがわらのみちざね)が、藤原氏の専権を抑えるために宇多(うだ)天皇以来重用されていたので、家格を超えた道真の立身を非とし菅原氏の優勢を嫌う勢力と謀ってこれを排斥、901年(延喜1)道真を大宰権帥(だざいごんのそち)に貶(おと)して藤原氏の地位を確保した。時平は律令制の維持に努める諸策を進め、また『日本三代実録』『延喜式(えんぎしき)』の撰修(せんしゅう)に関与したが、延喜9年4月4日、39歳で死去。厳格な政策が恨まれ、その早逝は道真の祟(たた)りといわれた。著書に『時平草子』『外記蕃記(げきばんき)』などがある。[谷口 昭]

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精選版 日本国語大辞典

ふじわら‐の‐ときひら【藤原時平】
平安初期の公卿。左大臣、正二位。通称、本院大臣・中御門左大臣。父は基経、母は人康(さねやす)親王の娘。菅原道真を大宰権帥に左遷して藤原氏の地位を確立し、国司交替の厳守、一二年一班の班田収授の法励行、最初の荘園整理令を発し、権門の山川藪沢独占の禁止など律令制の維持につとめたが、三九歳で死亡。後世、道真の祟りと信ぜられた。著に「時平草子」「外記番記」、国史の編纂として「日本三代実録」「延喜式」の撰修に参画。貞観一三~延喜九年(八七一‐九〇九

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旺文社日本史事典 三訂版

藤原時平
ふじわらのときひら
871〜909
平安前期の公卿
通称本院大臣・中御門左大臣。関白基経の長男。901年左大臣のとき右大臣菅原道真 (すがわらのみちざね) を讒言 (ざんげん) により大宰府に左遷して,朝廷実権を握った。902年最初の荘園整理令(延喜の荘園整理令)を出すなど律令制の維持に努力。また『日本三代実録』『延喜格式』を撰修した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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