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葵祭【あおいまつり】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

葵祭
あおいまつり
天皇からつかわされた勅使が京都の賀茂御祖神社下鴨神社)および賀茂別雷神社上賀茂神社)に奉幣する祭り。正式には賀茂祭といい,参列者や社殿,諸用具に葵(フタバアオイ)を飾ることから,葵祭と呼ばれている。旧暦 4月中のの日に行なわれていたが,1884年以降は 5月15日の祭りとなった。宮中の儀,路頭の儀,社頭の儀の大きく分けて 3種の行事からなる。宮中の儀は京都御所で行なわれる勅使の出発の儀式で,御所から下鴨神社と上賀茂神社に参詣に向かう行列が路頭の儀,両神社での奉幣の儀式と走馬が社頭の儀と呼ばれる。暴風雨を起こした賀茂大神のたたりをしずめるために始まったと伝えられる平安時代以来の勅祭(→勅祭社)だが,応仁の乱で中断し,元禄7(1694)年に再興された。その後も何度かの断絶と再興を経て今日にいたっている。十二単(→唐衣裳)で牛車に乗る斎王代(→斎院)などの華やかな女人列は 1956年に始められた。祭りに先立って,5月12日に下鴨神社では御蔭祭(みかげまつり),上賀茂神社では御阿礼神事(みあれしんじ)が行なわれ,それぞれの神社の神霊が生まれ変わる。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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知恵蔵

葵祭
京都三大祭の一つで、京都最古の祭り。正式名称は賀茂祭(かもさい)。賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)の例祭で、毎年5月15日に行われる。平安時代以来、国家的な行事として開催されてきており、平安中期の貴族の間では、祭りといえば葵祭のことをさすほど有名だった。また、石清水八幡宮の祭りを南祭というのに対し、北祭とも呼ばれた。壮麗な行事の数々に、毎年多くの見学者が訪れる。
起源は567年と伝えられる。風水害による不作が続き、賀茂の大神を敬う伊吉若日子(いきわかひこ)が占うと、賀茂の神々の祟(たた)りとでた。そこで勅命が下り若日子が4月吉日に祭礼を行うと、風雨はおさまり、豊作になったという。祭りは819年には国家的行事になったが、1467年から77年まで続いた応仁の乱で中止となり、その後1694年にようやく再開。当初「賀茂祭」と呼ばれていた祭りは、この時から「葵祭」と呼ばれるようになった。
祭儀は「宮中の儀」「路頭の儀」「社頭の儀」の三つで構成され、現在行われているのは「路頭の儀」と「社頭の儀」。「路頭の儀」は、勅使や検非違使(けびいし)、内蔵使(くらつかい)、山城使、牛車(ぎっしゃ)、風流傘(ふりゅうがさ)、斎王代など、平安貴族の姿をした人たちが列をつくり約8kmの道のりを進む。京都御所を出発し、賀茂御祖神社へ着き、さらに賀茂別雷神社へと向かう。総勢約500名、さらに馬数十頭、牛、牛車、輿なども加わった大規模な列で、その様は風雅な王朝行列を彷彿とさせる。「社頭の儀」は、行列が賀茂御祖神社と賀茂別雷神社に到着した時、それぞれの社頭で行われる儀式。勅使による御祭文の奏上や御幣物(ごへいもつ)の奉納、さらに、神馬の引き回し、舞人(まいびと)による「東游(あずまあそび)」の舞が奉納される。
また、流鏑馬(やぶさめ)も有名。流鏑馬は祭りの始まった頃は主要な儀式だったが、現在では前儀として葵祭の数日前に行われる。
(富岡亜紀子 ライター / 2009年)

出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」

朝日新聞掲載「キーワード」

葵祭
五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って約1400年前、欽明天皇の頃に始まったとされる上賀茂神社と下鴨神社の祭礼。応仁の乱や太平洋戦争などで何度も中断したが再興され、王朝文化を今に伝える。正式名称は賀茂祭(かもさい)。葵の葉を社殿や装束に飾るため、江戸期には葵祭と広く呼ばれるようになった。 平安から鎌倉初期には皇女らが「斎王」として神社に仕え、その代役で1956年から「斎王代」が行列に加わった。保存会が茶道関係者の推薦をもとに、着物を着慣れた京都ゆかりの女性の中から毎年選ぶ。
(2015-05-14 朝日新聞 夕刊 1総合)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

あおい‐まつり〔あふひ‐〕【葵祭】
賀茂(かも)の祭」に同じ。 夏》「桐の花―はあすとかや/碧梧桐

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世界大百科事典 第2版

あおいまつり【葵祭】
賀茂祭ともいい,京都の賀茂別雷(わけいかずち)(上賀茂)神社,賀茂御祖(みおや)(下賀茂,下鴨)神社の両社の例祭。祭りに参加する斎院をはじめ勅使らが葵の蔓(かずら)を身につけることからこの名を称した。古くは旧暦4月中の酉の日に行われていたが,現在は5月15日に行われる。石清水祭,春日祭とともに三大勅祭の一つ。806年(大同1)官祭となり,810年(弘仁1)斎院がおかれ皇女有智子内親王が斎王になって以来,同祭に奉仕するようになった。

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大辞林 第三版

あおいまつり【葵祭】
京都市の上賀茂神社と下鴨神社両社の祭礼。祭日はもと、4月の中の酉とりの日。現在は5月15日。平安時代に「まつり」といえばこの祭りを意味するほど盛大であった。牛車ぎつしや・社殿・冠などを葵鬘あおいかずらで飾ったところからいう。賀茂祭。北祭。 [季] 夏。 → 御生みあれ御蔭祭みかげまつり

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日本大百科全書(ニッポニカ)

葵祭
あおいまつり
5月15日に行われる京都市北区上賀茂(かみがも)の賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)、左京区下鴨(しもがも)の賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)両社の祭り。元来、賀茂祭(かもまつり)と称し、平安時代に祭りといえば賀茂祭をさすほど有名であった。また石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)(京都府八幡(やわた)市)の祭りを南祭というのに対して、北祭ともよんだ。現在も石清水祭、春日(かすが)祭とともに三大勅祭の一つ。祭日は、明治以前は4月中(なか)の酉(とり)の日(二の酉の年は下の酉の日)であった。葵祭の名称は、祭員の挿頭(かざし)に葵を用い、神社や家々に葵を飾り、物忌(ものいみ)のしるしとすることに基づくもので、同様の呼称は松尾(まつのお)祭(京都市西京区嵐山(あらしやま)宮町の松尾大社、4月下の卯(う)の日~5月上の酉の日)などにもみられる。
 賀茂祭は大宝(たいほう)(701~704)の神祇(じんぎ)令にはまだみえず、嵯峨(さが)天皇の819年(弘仁10)に至って初めて中祀(ちゅうし)に列せられた。しかし、前日(申(さる)の日)に山城(やましろ)国司の行う賀茂国祭は早く698年(文武天皇2)に行われたことが『続日本紀(しょくにほんぎ)』にみえる。『本朝月令(ほんちょうがつりょう)』の引く秦(はた)氏本系帳の説によると、祭りの起源は、欽明(きんめい)天皇朝、暴風雨の害が賀茂神の祟(たた)りによると占われたので、4月吉日を選び、馬に鈴をかけ走駆させ祭ったところ、五穀成就豊年を迎えたことに由来するという。賀茂祭に走馬(はしりうま)の行われるのもこれに基づくという。つまり、本来、秦氏などの鎮斎していた賀茂神が、京都遷都以降、皇城鎮護の神としてしだいに神威を高めるに及び、その祭りも氏神的祭祀から国家的祭祀へと発展し、賀茂祭の形態を形成するに至った。その古姿の名残(なごり)を伝えたのが賀茂国祭であった。
 現行の次第は、勅使を中心に検非違使(けびいし)、山城使(づかい)、内蔵(くら)使、舞人などの旧儀による行列が京都御所を出発、高野(たかの)川の葵橋を渡って下鴨神社に到着、勅使の祭文(さいもん)奏上などの祭典があり、神馬(しんめ)の引き回し、舞人の東遊(あずまあそび)奏舞などが行われ、祭馬を疾駆させる走馬(はしりうま)が催される。終わってふたたび行列を整え、賀茂川堤を北上し、上賀茂神社に参向、同様の祭典、催しを行い、夕刻御所に帰還する。古くは、祭り前の午(うま)の日または未(ひつじ)の日に賀茂斎院(さいいん)の禊(みそぎ)の儀が行われ、祭り当日は勅使以下とともに賀茂社に参向した。『源氏物語』葵巻などに描かれている賀茂祭の王朝盛儀の模様は、現行の祭りからも十分にしのぶことができる。[倉林正次]

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事典 日本の地域遺産

葵祭

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精選版 日本国語大辞典

あおい‐まつり あふひ‥【葵祭】
〘名〙
① 京都の上賀茂、下賀茂両神社の祭。古くは陰暦四月の中の酉(とり)の日、現在は五月一五日に行なわれる。当日、フタバアオイの葉を社前や桟敷(さじき)・牛車(ぎっしゃ)のすだれなどに懸け、また参列の諸役の衣冠につけたことからいう。中古、単に祭といえば、この祭を意味した。賀茂の祭。北祭。みあれ。《季・夏》
※俳諧・毛吹草(1638)二「四月〈略〉葵祭 中酉」
② 京都、嵐山(あらしやま)の松尾(まつのお)大社の神幸祭。松尾祭の別称。
③ 京都府宮津市籠(こもり)神社の祭礼。籠神社葵大祭の別称。
④ 江戸の山王祭神田祭別称。ともに葵を家紋とする徳川将軍家の上覧があったところからいう。

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