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葛飾北斎【かつしか ほくさい】

美術人名辞典

葛飾北斎
江戸後期浮世絵師江戸生。幼名は時太郎、のち鉄蔵、春朗・宗理等三十余の別がある。浮世絵狩野派土佐派画法を学び、司馬江漢などの洋風銅版画にも関心を寄せるなど、破天荒な修業生活を送る。嘉永2年(1849)歿、90才。

出典:(株)思文閣

朝日新聞掲載「キーワード」

葛飾北斎
今の墨田区亀沢付近で生まれ、生涯のほとんどを区内で過ごし、93回も引っ越した。各地から望む富士を描いた「富嶽三十六景」が有名。 ゴッホやモネら海外の画家にも影響を与えたとされる。衣食などに頓着せず、散らかった部屋で作画ざんまいの暮らしだったといわれている。
(2016-11-19 朝日新聞 朝刊 東京都心・1地方)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

かつしか‐ほくさい【葛飾北斎】
[1760~1849]江戸中・後期の浮世絵師。江戸の人。幼名、時太郎、のち鉄蔵。初号、春朗、ほかに画狂人・為一など。初め勝川春章に学んだが、狩野派土佐派琳派(りんぱ)洋風画など和漢洋の画法を摂取し、読本挿絵絵本、さらに風景画新生面を開いた。「北斎漫画」や「富嶽三十六景」が有名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

葛飾北斎 かつしか-ほくさい
1760-1849 江戸時代中期-後期の浮世絵師。
宝暦10年9月23日生まれ。勝川春章に入門し,勝川春朗と号して役者絵を発表。のち狩野(かのう)派,住吉派,琳派,さらに洋風銅版画の画法をとりいれ独自の画風を確立。70年間にわたり旺盛な作画活動をつづけ,画域は風景・花鳥・美人・戯画とひろく,錦絵,版本挿絵,肉筆画にすぐれた作品をのこした。奇行で知られ,生涯に93回も引っ越しをした。嘉永(かえい)2年4月18日死去。90歳。江戸出身。姓は川村,のち中島。別号に画狂老人,戴斗,為一(いいつ),卍など。作品に「冨岳三十六景」「北斎漫画」など。
格言など】九十歳よりは,又々画風をあらため,百歳の後に至りては,此道を改革せんことをのみ願ふ(「絵本彩色通」)

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江戸・東京人物辞典

葛飾北斎
1760〜1849(宝暦10年〜嘉永2年)【浮世絵師】70年間描き続けた画狂人に、ヨーロッパ画壇も震撼。 浮世絵師。江戸出身。葛飾派。宗理、画狂人、卍など多くの号を持つ。はじめ勝川春章に学び、狩野派・土佐派・洋画など諸画法を習得。大胆な構成とすぐれた描写で独特な様式を作りあげ、あらゆるジャンルに渡り作画した。錦絵、摺物、絵本、肉筆画など膨大な作品を70年に及ぶ活動で残した。代表作『富嶽三十六景』『北斎漫画』などはヨーロッパ後期印象派に大きな影響を与えている。

出典:財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
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世界大百科事典 第2版

かつしかほくさい【葛飾北斎】
1760‐1849(宝暦10‐嘉永2)
江戸後期に活躍した浮世絵師。本姓は川村氏で,江戸本所割下水(わりげすい)に生まれる。幕府御用鏡師の中島伊勢の養子となり,幼名時太郎,のち鉄蔵と改める。〈北斎〉とは一時の画号で,生涯に30回ほどの改号をする。〈画狂人〉とも号して,画三昧の生活を送り,浮世絵師中で最も作域が広い。1778年(安永7),勝川春章の門に入り,翌年に春朗と号して役者絵を発表,以後,役者絵,角力絵,浮絵,黄表紙の挿絵を描く。94年ころ,勝川派を破門された後,狩野,住吉,琳派,洋風画派を学び,2世俵屋宗理を名のり,30歳代後半に至って自己の画風を確立,97年に北斎と初めて号した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

かつしかほくさい【葛飾北斎】
1760~1849 江戸後期の浮世絵師。江戸生まれ。春朗・宗理・画狂人などたびたび号を変えた。勝川春章の門で浮世絵を学ぶ。また、狩野派・土佐派・西洋画などからも画技を学び、風景版画に新生面を開いた。その画風はヨーロッパ印象派の発生に大きな影響を与えた。代表作「富嶽三十六景」「北斎漫画」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

葛飾北斎
かつしかほくさい
[生]宝暦10(1760).江戸
[没]嘉永2(1849).4.18. 江戸
江戸時代末期の浮世絵師。幼名時太郎,10歳のとき鉄蔵と改名。 14,15歳頃,木版彫刻師の徒弟となり,安永7 (1778) 年勝川春章に師事。翌8年勝川春朗と称する。ひそかに狩野派を学んで春章門を追われ,堤派の堤等琳,土佐派の住吉内記に師事。また司馬江漢の銅版画に感化を受け,和漢洋のあらゆる画法を体得した。画域も役者絵,美人画,風景画,花鳥画,社会風俗画,挿絵,版本など広い分野にわたり,画狂人の自称どおり生涯に3万枚以上の作品を描いた。改名癖があり,二十数回も改号し,その都度画風も異なる。北斎と号したのは寛政 10 (98) 年からで,この号を用い風景版画を発表。『富嶽三十六景』 (1830年から出版) が評判となり,浮世絵における風景版画創始者の地位を確立。作品は早くから海外にも知られ,マネ,モネらフランス印象派の画家に大きな影響を与えた。また文化年間 (04~18) には読本挿絵に専念し,次いで『北斎漫画』を続刊した。その他の主要作品は狂歌本『東都名所一覧』挿絵,絵本『隅田川両岸一覧』挿絵,錦絵『近江八景』『諸国滝廻り』『千絵 (ちえ) の海』,肉筆画『二美人図』。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

葛飾北斎
かつしかほくさい
(1760―1849)
江戸中期から後期にかけての浮世絵師。江戸・本所割下水(わりげすい)に川村某の子として生まれる。幼年時の事柄についてはあまり明らかではないが、幼名を時太郎といい、後年鉄蔵と改めた。4、5歳のころに一時、幕府御用鏡師中島伊勢(いせ)の養子となったといわれるが、その間の事情は伝わっていない。14、15歳のころ木板版下彫りを学び、また貸本屋の徒弟となったともいわれ、絵は6歳ごろから好んで描いていたと自ら後年に述懐している。しかし、本格的に浮世絵の世界に入ったのは、1778年(安永7)とされ、当時役者絵の大家として知られていた勝川春章(かつかわしゅんしょう)の門に入ってからである。
 画界にデビューしたのは早くもその翌年で、春章の別号旭朗井(きょくろうせい)から朗の字をもらって勝川春朗と号し、細判(ほそばん)役者絵『瀬川菊之丞(きくのじょう)の正宗娘おれん』ほか2図をほぼ同時に発表している。この後、約15年間を勝川派の絵師として錦絵(にしきえ)や黄表紙、洒落本(しゃれぼん)などの挿絵を描いて過ごしたが、1794年(寛政6)中には勝川派を離れ、琳派(りんぱ)の俵屋宗理(たわらやそうり)を襲名して狂歌絵本や摺物(すりもの)などを数多く描いて活躍した。またこのころには戯作(げさく)も行い、時太郎可候(かこう)の名で数種の黄表紙を発表している。しかし、1798年には宗理号を家元に戻し、北斎を号して独立独歩の作画活動を開始することとなる。
 まず1804年(文化1)ごろから1813年ごろにかけては読本(よみほん)挿絵の分野に多くの名作を残している。そのなかでもとくに、曲亭馬琴(きょくていばきん)とのコンビによって出版された『新編水滸(すいこ)画伝』や『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』、また柳亭種彦(りゅうていたねひこ)とによる『近世怪談霜夜星(しもよのほし)』などは、この時期の読本を代表するものとして著名である。1814年ごろより、連年数種の作品を発表してきた読本挿絵は急激に減少し、かわって絵の教習本ともいえる絵手本(えてほん)に傾注し始める。この方面でもっとも知られるのは、同年より没後も刊行され続けた『北斎漫画』である。全巻を通して約3000余図が載せられており、まさに絵の百科事典ともいえる性格をもっていて、日本はむろん、古くからヨーロッパにも「ホクサイスケッチ」とよばれ、多大な影響を及ぼしている。ほかにもこの方面では『略画早指南(りゃくがはやおしえ)』『三体画譜(さんていがふ)』『一筆画譜』など、特殊な描法を紹介した絵手本も発表されており、1848年(嘉永1)には『絵本彩色通(えほんさいしきつう)』で油彩画やガラス絵、銅版画などの制作方法を開陳している。このように絵手本は北斎晩年期に一貫して出版され続けたが、その間、文政(ぶんせい)(1818~1830)初年ごろから天保(てんぽう)(1830~1844)初年ごろにかけては、風景画の代表作『冨嶽(ふがく)三十六景』(全46枚)、『諸国滝廻(たきめぐ)り』(全8枚)、『諸国名橋奇覧』(全11枚)などのシリーズが集中的に出版されている。その後、1834年(天保5)ごろを境として、しだいに肉筆画に傾注するが、1843年ごろから日課として描いた『日新除魔(にっしんじょま)』と題されているおびただしい数の獅子(しし)の図には、老年期の画風とは思えぬみずみずしい作品が多数含まれていることに注目される。しかし、不屈の人北斎も病を得て嘉永(かえい)2年4月18日、浅草聖天町遍照院内に没した。
 なお、北斎については多くの奇行が伝えられ、生涯のうち転居すること93回、また画号を改めること二十数度で、そのおもだった号だけでも画狂人(がきょうじん)、戴斗(たいと)、為一(いいつ)、画狂老人(がきょうろうじん)、卍(まんじ)など多くが知られている。しかし、約70年にも及んだ作画生活は終生刻苦勉学に貫かれていて、その情熱は当時の絵師としてはまれにみるところであった。[永田生慈]
『岡畏三郎編『浮世絵大系8 北斎』(1975・集英社) ▽辻惟雄著『日本の美術31 北斎』(1982・小学館) ▽松木寛著『名宝日本の美術23 北斎・広重』(1983・小学館)』

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367日誕生日大事典

葛飾北斎 (かつしかほくさい)
生年月日:1760年9月23日
江戸時代後期の浮世絵師
1849年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

かつしか‐ほくさい【葛飾北斎】
江戸後期の浮世絵師。葛飾派の祖。本姓、中島。幼名、時太郎、のち鉄蔵。別号、春朗、宗理、可候。江戸の人。勝川春章に師事して役者絵、美人画、絵本、さし絵などを描き、さらに狩野派、土佐派、琳派や、中国風、洋風の画法を修める。人間や自然を厳しく探求し、構成的で力強く、動きのある筆法により、人物画や風景版画に独自の画境を達成。その影響はフランスの印象派にまで及んだ。代表作「北斎漫画」「富嶽三十六景」「千絵の海」など。宝暦一〇~嘉永二年(一七六〇‐一八四九

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旺文社日本史事典 三訂版

葛飾北斎
かつしかほくさい
1760〜1849
江戸後期の浮世絵師
江戸の人。30余の号をもち,93度転居。勝川春章に浮世絵を学んだが,狩野派・土佐派,司馬江漢の西洋画法など諸流を研究し,個性の強い画風を確立。終生絵画への情熱を持ち続けた。美人画・役者絵・風景画・花鳥画などを描いたが,特に風景画にすぐれた。『富嶽三十六景』は傑作。フランス印象派の画家たちに大きな影響を与えた。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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