Rakuten infoseek

辞書

菅原孝標女【すがわらのたかすえのむすめ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

菅原孝標女
すがわらのたかすえのむすめ
[生]寛弘5(1008)
[没]?
平安時代中期の女流日記文学,物語作者。父の菅原孝標は道真の玄孫。母は藤原倫寧 (ともやす) の娘。 13歳までの4年間を父の任地である上総で暮したが,同行していた継母は後一条院の女房で歌人の上総大輔 (たいふ) である。孝標女はこの継母や姉から聞いた『源氏物語』の話によって,物語への趣味をうえつけられた。長暦3 (1039) 年後朱雀天皇の祐子内親王に出仕,長久1 (40) 年橘俊通と結婚し仲俊を産んだ。康平1 (58) 年夫に死別。『更級 (さらしな) 日記』はその頃書かれたと推定される。なお藤原定家『更級日記』に付した奥書によると『みつの浜松』 (『浜松中納言物語』) ,『よはのねざめ』 (『夜の寝覚』) ,『あさくら』『みづからくゆる』などの作者であるという。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

すがわら‐の‐たかすえのむすめ〔すがはら‐たかすゑのむすめ〕【菅原孝標女】
[1008~?]平安中期の女流文学者。父孝標は道真の玄孫。母は藤原倫寧(ともやす)の娘で、道綱母異母妹。30歳を過ぎて祐子内親王出仕、橘俊通の妻となった。生涯を回想的に描いた「更級(さらしな)日記」があり、「浜松中納言物語」「夜の寝覚(ねざめ)」の作者ともいわれる。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

菅原孝標女 すがわらの-たかすえの-むすめ
1008-? 平安時代中期の日記作者,歌人。
寛弘(かんこう)5年生まれ。母は藤原倫寧(ともやす)の娘。藤原道綱の母の姪(めい)。「更級(さらしな)日記」の作者。32歳で祐子(ゆうし)内親王につかえ,33歳で橘俊通(たちばなの-としみち)と結婚,51歳で死別した。「夜半の寝覚」「浜松中納言物語」の作者ともつたえられる。歌は「新古今和歌集」などにのこる。
【格言など】(「源氏物語」をえた喜びにくらべれば)后の位も何にかはせん(「更級日記」)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

すがわらのたかすえのむすめ【菅原孝標女】
1008(寛弘5)‐?
平安時代の女流文学者。父孝標は菅原道真の5世孫。母は藤原倫寧(ともやす)の娘で,《蜻蛉(かげろう)日記》の作者道綱母の異母妹。10歳の1017年(寛仁1)父の上総介赴任に伴われて下国,1020年帰京,その後《源氏物語》を耽読して夢多き娘時代を過ごした。32歳の39年(長暦3)祐子内親王家に出仕したが,宮仕え生活になじまずときおり出仕する程度であった。33歳,橘俊通と結婚して長男仲俊ほか女子をもうけ,地道に家庭生活の安穏を願ってしばしば社寺に参詣したが,51歳の58年(康平1)夫と死別し,孤独な晩年であった。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

すがわらのたかすえのむすめ【菅原孝標女】
1008?~?) 平安中期の歌人。母は、藤原道綱母の異母妹。一〇歳の時、父と共に任地上総国に下向、のち上京し、三〇歳頃祐子内親王に出仕。橘俊通と結婚。死別後「更級日記」を著す。「夜半の寝覚」「浜松中納言物語」の作者ともいわれる。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

菅原孝標女
すがわらのたかすえのむすめ
(1008―?)
平安中期の女流文学者で『更級(さらしな)日記』の作者。実名は不明。父孝標は右大臣菅原道真(みちざね)5世の孫で、代々学問の家柄であったが、彼のみは大学頭(だいがくのかみ)、文章博士(もんじょうはかせ)の顕職から除かれ、わずかに受領(ずりょう)として上総介(かずさのすけ)、常陸(ひたち)介を歴任するにとどまった。母は藤原倫寧女(ともやすのむすめ)、『蜻蛉(かげろう)日記』作者(藤原道綱母)の異母妹にあたる。少女期を父の任国上総(千葉県中央部)で過ごし、物語世界への憧憬(しょうけい)を培われた。13歳のおりに上京、以後、夢見がちな文学少女として成長していく。32歳で後朱雀(ごすざく)天皇の皇女祐子(ゆうし)内親王家に出仕したが、翌年橘俊通(たちばなのとしみち)と結婚、一子仲俊をもうけた。34歳のおり、夫の下野(しもつけ)国(栃木県)赴任に同行せず、再出仕、源資通(すけみち)との交流も生まれた。結婚生活を経るなかで、しだいに現実に目覚めたが、一方、物詣(ものもう)でに熱中するなど生活上の安定は得ていたらしい。その夫とも死別し、晩年は子供とも離れて孤独の生活を送ったらしい。『更級日記』のほか、『夜の寝覚(ねざめ)』『浜松中納言(ちゅうなごん)物語』などが彼女の作として伝えられる。[多田一臣]
『津本信博著『更級日記の研究』(1982・早稲田大学出版部)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

すがわら‐の‐たかすえ‐の‐むすめ【菅原孝標女】
平安中期の女流文学者、歌人。父孝標は道真五世の孫、母の藤原倫寧(ともやす)女は、「蜻蛉日記」の作者である道綱母の異母妹。三二歳のとき祐子内親王に仕え、三三歳で橘俊通と結婚。夫の死後、一三歳で父に従って上総国から上京して以来の生涯を回想した「更級日記」を書いた。また、「浜松中納言物語」「夜の寝覚」などの作者と目される。寛弘五年(一〇〇八)生。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

菅原孝標女」の用語解説はコトバンクが提供しています。

菅原孝標女の関連情報

関連キーワード

花山天皇紫式部日記赴・趣源氏物語千年紀古典の日花山天皇韓琦後一条天皇広韻

他サービスで検索

「菅原孝標女」のスポンサー検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE GROUP, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.