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芦浦観音寺跡【あしうらかんのんじあと】

国指定史跡ガイド

あしうらかんのんじあと【芦浦観音寺跡】

滋賀県草津市芦浦町にある寺院跡。芦浦の地は、南は志那(しな)街道、東は中山道の宿駅である守山宿、西は草津三港の一つである志那港に通じ、琵琶湖を隔てて比叡山にも近く、湖南東部の水陸両交通の要衝である。寺伝によると、聖徳太子が開基して秦河勝(はたのかわかつ)が創建したといわれ、境内から発掘された瓦片から7世紀後半の白鳳(はくほう)時代にはすでに寺院が存在し、その後、観音寺廃寺となって室町時代の1408年(応永15)に歓雅(かんが)が天台宗寺院として中興し、初代住持になったという。その後、戦国時代~江戸時代に政治的に大きく力をつけ、9世詮舜(せんしゅん)は豊臣秀吉の下で近江国内の太閤蔵入地(たいこうくらいりち)(豊臣氏の直轄地)代官と琵琶湖の湖上水運全体を監督する船奉行として活躍し、10世朝賢(ちょうけん)は湖南と湖東を中心とする幕領約2万4000石の代官と船奉行となって、永原御茶屋御殿(徳川将軍上洛の際の宿泊所)の作事奉行にもなっている。現在の観音寺境内には、重要文化財に指定された室町時代の建物で京都普勧寺(ふかんじ)から移築された入り母屋造りの阿弥陀堂や、江戸時代初期に建立されて永原御殿から移築されたという書院、多くの什器(じゅうき)や古文書を所蔵する蔵や表門がある。江戸時代初期の『芦浦観音寺境内絵図』に描かれた歴代住持が政務を執行する政所は、明治時代に取り壊されて現存しないが、寺の周囲には堀がめぐり、堀の内側には土塁が築かれて、表門周辺には石垣が築かれており、境内は中世~近世の城郭を想起させる特異な寺観である。発掘調査の結果、中世末~江戸時代初期に掘られて江戸時代末期に埋没した、境内を南北に分ける内堀の存在も確認されている。琵琶湖の湖上交通全体を監督する船奉行として重要な役割を担い、現在も室町から江戸期の建物が多く残り、城郭を思わせる寺観は寺の歴史的役割を具現する遺構と考えられて、わが国の中世から近世にいたる歴史を考えるうえで重要なことから、2004年(平成16)に国の史跡に指定された。JR東海道本線ほか草津駅から近江鉄道バス「芦浦」下車、徒歩約5分。

出典:講談社
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