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良寛【りょうかん】

美術人名辞典

良寛
江戸後期歌人越後出雲崎生。光照寺玄乗に従い得度大愚良寛と称する。のち備中玉島円通寺国仙の法を嗣ぎ、以来二十数年間諸国行脚し、奇行に富んだ飄逸の生活を送る。万葉風の和歌及び書風天衣無縫で高い評価を得ている。天保2年(1831)寂、74才。

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デジタル大辞泉

りょうかん〔リヤウクワン〕【良寛】
[1758~1831]江戸後期の曹洞宗の僧・歌人。越後の人。号、大愚俗名、山本栄蔵。備中(びっちゅう)円通寺の国仙和尚に師事。のち、諸国を行脚し、生涯寺を持たず、故郷の国上山(くがみやま)の五合庵に隠棲(いんせい)して独自の枯淡な境地を和歌・書・漢詩に表現した。弟子貞心尼編による歌集「蓮(はちす)の」がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

良寛 りょうかん
1757/58-1831 江戸時代中期-後期の僧,歌人,書家。
宝暦7/8年生まれ。曹洞(そうとう)宗。越後(えちご)(新潟県)出雲崎の名主の子。備中(びっちゅう)(岡山県)円通寺の国仙の法をつぐ。のち帰郷して国上(くがみ)山の五合庵にすみ,托鉢の合間に詩歌や書をたのしんだ。詩集に「草堂集」,歌集に弟子の貞心尼編「蓮(はちす)の露」がある。天保(てんぽう)2年1月6日死去。74/75歳。俗名は山本栄蔵。字(あざな)は曲(まがり)。号は大愚(たいぐ)。
【格言など】うらを見せおもてを見せて散るもみぢ(辞世)

出典:講談社
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とっさの日本語便利帳

良寛
しかし、災難に逢[あう]時節には、災難に逢がよく。死ぬ時節には、死ぬがよく候。はこれ災難をのがるヽ妙法にて候。\良寛
禅僧(一七五八~一八三一)。

出典:(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」

世界大百科事典 第2版

りょうかん【良寛】
1758‐1831(宝暦8‐天保2)
江戸後期の禅僧にして歌人,書家。本名は山本栄蔵,のち文孝。字は曲(まがり)。号は大愚(たいぐ)。現在の新潟県,越後の出雲崎で代々名主と神官を兼ねる旧家の長男として生まれた。屋号は橘屋,父泰雄(通称次郎左衛門)は俳号を似南と号する近在では知られた俳人であった。長じて名主見習役になったが,1775年(安永4)18歳の年に隣村尼瀬の曹洞宗光照寺に入って剃髪,良寛を名のり,大愚と称した。79年光照寺に来た備中国玉島(現,岡山県倉敷市)円通寺の国仙の得度を受け,国仙に従って円通寺へ赴いた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

りょうかん【良寛】
1758~1831 江戸後期の歌人・禅僧(曹洞宗)。越後出雲崎の人。字あざなは曲、号は大愚。俗名、山本栄蔵。諸国を行脚修行して1796年ごろ帰郷。国上山くがみやまの五合庵に住み、農民や子供らと交わり超世俗的な一生を送った。詩・書もよくした。歌集に弟子の貞心尼編「蓮はちすの露」があり、二人の愛の贈答歌を収める。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

良寛
りょうかん
[生]宝暦8(1758).越後,出雲崎
[没]天保2(1831).1.6. 越後,島崎
江戸時代後期の曹洞宗の僧,歌人。越後の名主の長男。名は栄蔵,のち文孝。字は曲 (まがり) 。安永4 (1775) 年あるいは同9年出家,大愚良寛と名のる。曹洞宗光照寺から備中玉島の円通寺に行き,国仙和尚のもとで 12年ほど修行し,国仙の死後諸国行脚をして帰国。国上 (くがみ) 山五合庵,国上山麓の乙子神社境内の草庵,島崎村の能登屋木村氏の邸内別舎などを転々,かたわら和歌に親しんだ。歌風平明,率直な万葉調で,約 1200首が残る。長歌も知られる。文政9 (1826) 年若い貞心尼が弟子入りし,師弟の交情厚く贈答歌も多い。中央歌壇との交渉がなく,生前は一般には知られなかったが,明治末期~大正に評価が高まった。和歌のほか漢詩,書にすぐれる。作品に,和歌『布留散東 (ふるさと) 』 (自筆歌稿) ,『蓮の露』 (後貞心尼編) ,漢詩『草堂集』 (2巻) ,『良寛道人遺稿』など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

良寛
りょうかん
(1757/58―1831)
江戸後期の歌人、漢詩人。越後(えちご)出雲崎(いずもざき)町(現新潟県出雲崎町)の名主兼神職の橘(たちばな)屋山本左門泰雄(やすお)の長子として生まれた。母は佐渡相川(あいかわ)山本庄兵衛の女(むすめ)。幼名栄蔵、のち文孝(ふみたか)、字(あざな)は曲(まがり)、剃髪(ていはつ)して良寛、大愚(たいぐ)と号した。18歳のとき一時家を継いだが、同年、突如、隣町尼瀬(あまぜ)町曹洞(そうとう)宗光照(こうしょう)寺の玄乗破了和尚(げんじょうはりょうわじょう)の徒弟となり出家して良寛と称した。1775年(安永4)7月備中(びっちゅう)国玉島(たましま)(岡山県倉敷市)円通寺(えんつうじ)の国仙(こくせん)和尚が光照寺滞在中感銘し、随行して玉島に赴き20年間師事する。中国、四国、九州を行脚(あんぎゃ)し、京都から高野山(こうやさん)に上り40歳を過ぎてから越後に帰った。
 越後へ帰国後は郷本(ごうもと)(現長岡(ながおか)市寺泊(てらどまり)郷本)、中山、寺泊を転々し、それよりさらに国上(くがみ)山山腹の草庵五合(そうあんごごう)庵にひとりで住み、ここで15、6年を過ごした。のち、69歳国上山麓(さんろく)の乙子(おとご)神社境内に庵(いおり)をつくって移ったが、老衰のため、三島(さんとう)郡島崎村(現長岡市島崎)の豪商能登(のと)屋木村元右衛門邸内の庵に移って供養を受けた。そのころ若い尼貞心(ていしん)尼の来訪を受け、没するまで密接な交遊があった。5年目の天保(てんぽう)2年正月6日ここで没した。墓は長岡市真宗大谷派隆泉(りゅうせん)寺境内木村家墓地内にある。
 良寛は僧ではあっても生涯寺をもたず無一物の托鉢(たくはつ)生活を営み位階はない。人に法を説くこともせず、多くの階層の人と親しく交わった。子供を好み、手毬(てまり)とおはじきをつねに持っていてともに遊んだ。正直で無邪気な人であって、人と自然を愛して自然のなかに没入していた。無一物でありながら、震えている乞食(こじき)に着物を脱いで与えたこともあるなど、自作の詩歌や『良寛禅師奇話』(解良栄重(けらよししげ)著)などに伝える。
 彼は、歌と詩と書に優れていて、多くの作品を残した。どれも一流であるが、どれにも師がなかったらしい。歌人としての良寛がもっとも広く知られているが、和歌の師は『万葉集』で、人に借りてこれを愛読し、進んでその影響を受けた。越後へ帰国前のわずか十数首であるが残っている歌には『万葉集』の影響はみられない。帰国後の歌には『万葉集』の語句を多く使っているが、それは模倣したのではなく、『万葉集』を愛読のあまり、つい口をついてその語句が出るようになり、『万葉集』即良寛という境地になったのであろう。彼の歌は正直で純真である。人間と自然に対して純真な愛を感じ、その心のままを正直に平易に詠み、個性が赤裸々に出て人を感動させる。
 漢詩の才にも恵まれ、自筆の『草堂詩集』(未刊)、『良寛道人遺稿』がある。良寛の書は古典を正確に学び、人格がにじみ出ていて高く評価され愛好する人が多い。歌集の自筆稿本はなく、没後に弟子貞心尼編『蓮(はちす)の露』、村山半牧編『良寛歌集』、林甕雄(かめお)編『良寛和尚遺稿』などがあるにすぎない。まとまった歌集としては、『良寛歌集』がようやく1879年(明治12)に出版された。多くの人から親しまれ愛された良寛の遺跡として、生家跡に良寛堂、国上山五合庵跡に小庵、乙子神社の庵跡には良寛の詩と歌を刻んだ碑が建てられ、島崎の木村家邸内には遷化(せんげ)跡の標示と良寛遺宝堂、出雲崎町に良寛記念館がある。[辻森秀英]
 飯乞(いひこ)ふと我(わ)が来(こ)しかども春の野に菫(すみれ)つみつつ時を経にけり
『東郷豊治編著『良寛全集』全1巻(1959・東京創元社) ▽吉野秀雄校注『日本古典全書 良寛歌集』(1952・朝日新聞社) ▽入谷義高著『禅の古典12 良寛詩集』(1982・講談社) ▽相馬御風著『歴代歌人研究10 良寛和尚』(1938・厚生閣) ▽良寛全集刊行会・谷川敏朗編著『良寛全集 別巻1 良寛伝記・年譜・文献目録』(1981・野島出版) ▽小島正芳著『良寛の書の世界』(1988・恒文社)』

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367日誕生日大事典

良寛 (りょうかん)
生年月日:1758年10月2日
江戸時代中期;後期の歌人;漢詩人
1831年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

りょうかん リャウクヮン【良寛】
江戸後期の禅僧。歌人。越後国(新潟県)出雲崎の人。俗名山本栄蔵。号は大愚。諸国を行脚し各地に漂泊転住、寛政九年(一七九七)故郷の国上山五合庵に身を落ち着ける。書にすぐれ詩にも通じた。生涯著述は行なわなかったが、弟子貞心尼の編んだ歌集「蓮(はちす)の露」などがある。宝暦八~天保二年(一七五八‐一八三一

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旺文社日本史事典 三訂版

良寛
りょうかん
1758〜1831
江戸後期の歌人・禅僧
俗称山本栄蔵。越後(新潟県)の人。出家して諸国巡歴ののち帰郷,人びとに敬愛され,奇行が多く,200近い逸話が伝わる。和歌・俳句・詩・書にすぐれ,特に万葉調の和歌で聞こえ,『蓮 (はちす) の露』『僧良寛歌集』『良寛漢詩集』がある。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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