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興福寺【こうふくじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

興福寺
こうふくじ
奈良市登大路町にある法相本山和銅3 (710) 年遷都に伴い藤原不比等創建養老4 (720) 年に興福寺仏殿司が設けられ,七堂伽藍仏像の造立が相次ぎ,寺観が整備された。藤原氏一門の氏寺として寺領は増大し,平安・鎌倉時代を通じ春日社の実権も掌握して,南都七大寺の1つとなる。数回火災にあい,その都度再建されたが,中金堂の一郭は享保2 (1717) 年の火災後再建されていない。北円堂,五重塔東金堂南円堂三重塔,湯屋などの建造物が現存。このうち北円堂,五重,東金堂,三重塔が国宝。湯屋が重要文化財。天平時代の『十大弟子立像』『八部衆立像』,白鳳時代の旧山田寺蔵の『仏頭』,板彫『十二神将立像』,北円堂の『四天王立像』,運慶作の『無着・世親像』,康慶作の『法相六祖坐像』,康弁作の『天燈鬼・竜燈鬼像』など,多数の国宝仏像彫刻を有する。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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朝日新聞掲載「キーワード」

興福寺
669年、藤原鎌足夫人の鏡女王(かがみのおおきみ)が今の京都府南部に建てた山階寺起源とされる。平城遷都とともに藤原不比等(ふひと)が今の場所に建てた。奈良時代に伽藍(がらん)がほぼ完成=図。南円堂は813年にできた。その後、規模を広げ、最盛期は170あまりの建物があったといわれる。幾度も火災に遭い、再建を繰り返した。1998年に境内の整備構想をまとめ、本格的な調査に着手。中金堂は3年後の完成に向けて再建が進む。
(2015-12-19 朝日新聞 朝刊 奈良1・1地方)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

こうふく‐じ【興福寺】
奈良市登大路町にある法相(ほっそう)宗の大本山。藤原氏の氏寺。南都七大寺の一。開創は7世紀中ごろ、藤原鎌足死後、妻の鏡王女(かがみのおおきみ)山城に建てた山階(やましな)寺に始まると伝えられ、8世紀初め藤原不比等が現在地に移し、現寺号に改めた。平安時代には、大荘園領主として、また多数の僧兵を擁して権勢を誇った。国宝の五重の塔・三重の塔・北円堂・東金堂などのほかに多数の文化財を所蔵する。平成10年(1998)「古都奈良の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。

出典:小学館
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デジタル大辞泉プラス

興福寺
奈良県奈良市にある寺院。法相宗大本山。藤原鎌足の遺志により、山城国につくられた山階(やましな)寺が起源と伝わる。8世紀初頭に藤原不比等が現在地に移転し、寺号を改めた。国宝の五重塔、三重塔、阿修羅像など、数多くの文化財を保有。「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録。南都七大寺のひとつ。南円堂は西国三十三所第9番札所。

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興福寺
長崎県長崎市にある黄檗宗の寺院。山号は東明山、本尊は釈迦如来。福済寺崇福寺と並ぶ唐三ヵ寺のひとつ。「南京寺」「あか寺」とも呼ばれる。大雄宝殿は国の重要文化財に指定

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

こうふくじ【興福寺】
奈良市にあり,法相宗。南都七大寺の一つ。710年(和銅3)平城遷都の直後に藤原不比等が建立した。寺伝では本尊の釈迦三尊像は不比等の父の藤原鎌足の念持仏であり,近江大津京では山階(山科)(やましな)寺,大和藤原京では厩坂(うまやさか)寺に本尊としてまつられたといい,興福寺が藤原氏の氏寺たるいわれや,山階寺と呼ばれるゆえんがわかる。興福寺の寺地は平城京の左京三条七坊(外京)を占め,官営工事も加わって天平盛代には七堂伽藍をそなえた。

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事典・日本の観光資源

興福寺
(奈良県奈良市)
南都七大寺」指定の観光名所。

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事典 日本の地域遺産

興福寺
(奈良県奈良市登大路町48)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

出典:日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」
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精選版 日本国語大辞典

こうふく‐じ【興福寺】
(古くは「こうぶくじ」) 奈良市登大路町にある法相(ほっそう)宗の大本山。南都七大寺の一つ。天智天皇八年(六六九)藤原鎌足の夫人鏡女王(かがみのおおきみ)が、山城国山階(京都市山科区)に山階寺(やましなでら)を創建したのにはじまる。天武天皇元年(六七二)大和国高市郡厩坂(うまやさか)(=奈良県橿原市)の地に移して厩坂寺と呼ばれた。和銅三年(七一〇)平城京遷都に伴い、鎌足の子不比等が現在地に移し、現名に改めた。以後藤原氏の氏寺として栄え、衆徒は延暦寺の山法師に対して奈良法師といわれ、北嶺・南都と並称されて恐れられた。現存する建物は鎌倉時代以後の再建で東金堂、北円堂、三重塔、五重塔が国宝。また、国宝館には重要文化財、国宝を多数所蔵する。南円堂は西国三十三所の第九番札所。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

興福寺
こうふくじ
奈良市登大路町にある法相宗の大本山。南都七大寺の一つで,藤原氏の氏寺
藤原鎌足の妻鏡女王 (かがみのおおきみ) が夫の遺志を継ぎ京都山科 (やましな) に創建した山階寺に始まる。平城遷都とともに奈良に移り,興福寺と改称。藤原氏の隆盛とともに栄え,平安時代以後多くの荘園を持った。平安末期にこの寺の僧兵は寺法師といわれ,春日神社の神木を奉じてしばしば朝廷に強訴 (ごうそ) し,延暦寺とともに南都北嶺と称された。中世には大和の守護を兼ね,大和一国を支配して,多くの座をもっていたが,戦国時代以後しだいに衰微した。また彫刻に『仏頭』(白鳳時代),『阿修羅像』『八部衆像』(天平時代),『無著・世親像』『天灯鬼・竜灯鬼』(鎌倉時代)などのすぐれた作品が残されている。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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