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聖徳太子伝暦【しょうとくたいしでんりゃく】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

聖徳太子伝暦
しょうとくたいしでんりゃく
聖徳太子平氏伝』ともいわれる。漢文,編年体の詳細な聖徳太子伝記。2巻。編者は平安時代前期の歌人藤原兼輔 (877~933) 。延喜 17 (917) 年成立。難波の百済寺の老僧所伝の古書により編述。鎌倉時代以後に現れた多くの太子伝は,主としてこの書によった。欽明 31 (570) 年太子の父用明天皇が穴穂部間人 (あなほべのはしひと) 皇女としたときから太子の出生,在世中,没後の大化1 (645) 年まで年代を追って記している。その記事は必ずしも信をおきがたいが,後世太子信仰に及ぼした影響はきわめて大きい。『続群書類従』所収。

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世界大百科事典 第2版

しょうとくたいしでんりゃく【聖徳太子伝暦】
聖徳太子の事績を編年体に記した伝記。藤原兼輔が,917年(延喜17)に撰したとみるのが通説であったが,近時これを疑う説もある。2巻。《平氏伝》とも呼ばれる。先行の太子伝を集大成したもので,神秘的な説話が主調をなす。平安中期に成立以来,もっとも中心的な太子伝として広く行われ,太子信仰の基盤となった。《続群書類従》《大日本仏教全書》《聖徳太子全集》所収。【飯田 瑞穂

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日本大百科全書(ニッポニカ)

聖徳太子伝暦
しょうとくたいしでんりゃく
平安時代の聖徳太子伝。通称、伝暦。数多くの聖徳太子伝承・伝記は、すべてここに集大成され、ふたたびここから流布していった。917年(延喜17)に藤原兼輔(かねすけ)の書いたものだとする藤原猶雪(ゆうせつ)説が、一時、定説化したきらいがあるが、今日では、強く疑問視されて、その成立年代・撰者(せんじゃ)とも、振り出しに戻って検討されている。
 延喜(えんぎ)年間(901~923)の成立かとも憶測されている『本朝月令(ほんちょうげつれい)』、および1008年(寛弘5)ごろの成立とみられる『政事要略』に引用された「聖徳太子伝」や、984年(永観2)成立の『三宝絵詞(さんぼうえことば)』で参照された「平氏撰聖徳太子伝」は、その内容からみて、いずれも伝暦と深いかかわりが認められる。伝暦の原形か、それに先行する伝の可能性がある。これらの関係をさらにつきつめて、984年以前に、一巻本の「平氏撰聖徳太子伝」(太子49歳入滅とする)があり、これを増補(闕暦(けつりゃく)を補入して伝暦とする)して992年(正暦3)に、二巻本の「聖徳太子伝暦」(太子37歳をもって上巻を終え、50歳入滅とする)が成立し、さらに遅くとも平安時代末期までには、今日伝わるような体裁(太子36歳をもって上巻を終える)に整えられたとする具体的な試案も出されている。[新川登亀男]
『『聖徳太子全集 第3巻 太子伝(上)』(1944・龍吟社) ▽林幹彌著『太子信仰の研究』(1980・吉川弘文館) ▽田中嗣人著『聖徳太子信仰の成立』(1983・吉川弘文館)』

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