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義倉【ぎそう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

義倉
ぎそう
中国,朝鮮,日本で古くからおかれた備荒貯蓄のための倉庫,またその制度をいう。中国には,隋唐以来設置され,日本もこれにならって『養老令』に,9段階の等級に応じて,粟 (ぞく) または雑穀をここにたくわえさせる規定があり,奈良時代には有用な施設であったが,のち衰滅した。江戸時代幕府諸藩によりこの名の制度が復活し,特別賦課または義捐によって維持されたが,明治維新以後廃止された。

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デジタル大辞泉

ぎ‐そう〔‐サウ〕【義倉】
飢饉(ききん)に備えて穀類を蓄えておく制度。また、そのための。中国、代に始まり、日本では律令時代雑税の一種として収納、備蓄用に当てた。江戸時代の幕府・諸藩の特別課徴および義捐(ぎえん)による備荒貯穀をもいう。

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世界大百科事典 第2版

ぎそう【義倉】
凶作に備えて米穀を蓄えておく倉庫。中国や朝鮮,日本で行われた。中国の義倉は,まず均田制とともに発達し,租税同様に徴収され,積み立てられた米穀を,飢饉のさい無償で配給した。北斉のとき,均田農民1人につき5斗を供出させ,州県に蓄えて非常時に備えたのが始まりで,のちに義倉・社倉と呼ばれるようになった(584)が,農民の餓死逃亡を防ぐのがのねらいであった。隋では社(村落)ごとに設置され義倉米に応じて徴収されることが法制化された。

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大辞林 第三版

ぎそう【義倉】
凶年に備えて、貧富の差に応じて徴収された穀物の倉庫。また、その制度。中国隋代に始まる。日本では奈良・平安時代に設けられ、江戸時代にも幕府・諸藩で三倉の一つとして設置された。 → 社倉常平倉

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日本大百科全書(ニッポニカ)

義倉
ぎそう
中国で凶作の際、農民に食料と種子を支給するための貯蔵倉。社倉ともよばれた。隋(ずい)代の585年、25戸よりなる社に設けられ、社司(村役人)の管理のもとに、貧富の程度によって粟麦(ぞくばく)を納めさせたが、隋末に弛廃(しはい)した。唐初はこれに倣おうとし、628年、改めて1畝(ほ)(約544平方メートル)当り粟麦または粳稲(こうとう)(うるち)2升を徴する一方、田のない商人からも多くは応分の粟を出させた。のち、しだいに税化するにつれて州県に置かれて官吏がつかさどるようになり、財政不足のおりに流用され、ことに安史の乱に荒廃した。しかし憲宗(在位805~820)のとき復活が試みられた。宋(そう)代には両税法により税額1石につき1斗を課し、凶作のとき、種、食を給し、ついで貸付けも行った。しかし、商業都市が発達するにつれて、州・県・鎮など都市の近くのものが多くなり、県倉に納めることも許されたので、農村にはかえって少なくなり、農民の利用に不便となった。したがって義倉本来の機能よりは、都市近傍のもの、または都市民への貸付けが多くなり、北宋には置廃を繰り返した。遼(りょう)や元(げん)もこれを置いたが名のみで、金(きん)は置かず、明(みん)は社倉のみであった。清(しん)は初期から置き、公選の有力者や商人に運営させ、民間の寄付その他によったが、太平天国の乱に弛廃し、復活が試みられたが実効はあがらなかった。[青山定雄]
 日本では令制(りょうせい)下の各戸を貧富の差によって9等に分け、その等級に応じて一定額の粟(稲・麦・豆でもよい)を納めさせ、保管運用する制度。本来は凶作に備えて食糧を貯蓄し、必要に応じて困窮者に給付するものであったが、実際には毎年賦課される付加税となった。しかし奈良時代の農村で納税者の中核となるべき富裕者はごく少数で、大多数は救貧の対象となる貧窮者によって成り立っており、たとえば、現存する750年(天平勝宝2)の安房(あわ)国(千葉県)義倉帳によると、9等の基準にすら該当しない等外戸が全体の約80%を占めるごとくで、そのため、義倉の収支はつねに大幅な赤字とならざるをえず、平安時代になるとついに廃絶した。この制度は、江戸時代になってふたたび幕府や諸藩の備荒貯蓄として採用され、社倉・常平倉とともに三倉の一として復活した。[平田耿二]

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精選版 日本国語大辞典

ぎ‐そう ‥サウ【義倉】
〘名〙
① 飢饉に備えるための貯穀。また、それを納めた倉。令制で、雑税の一種として各戸から粟(稲、麦、大豆、小豆でもよい)を収納して当てた。
※三代格‐一四・慶雲三年(706)二月一六日「自今以後、取中々已上戸之粟、以為義倉」 〔隋書‐長孫平伝〕
② 近世の備荒貯穀。常平倉、社倉とともに三倉と称された。幕府、諸藩の特別の課徴および富裕者の義捐によって成り立っていた。
※江戸から東京へ(1923)〈矢田挿雲〉八「福山領内に義倉(ギサウ)を建てて領民の飢餓を救ひ」

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旺文社世界史事典 三訂版

義倉
ぎそう
中国および朝鮮で行われた凶年に備えての非常米貯蔵制度
均田制に結びついた義倉は,北斉 (ほくせい) の義租に始まって隋・唐におよび,租税として徴収して飢饉に備えた。均田制崩壊後の唐の憲宗に始まる常平義倉は,宋・から元代まで行われ,租のほかに,秋に買い上げ端境期に売るという需給調整機能が加わった。明・清では税として徴収するのをやめ,民間の寄付により,都市には義倉,農村には社倉が置かれた。朝鮮では高麗 (こうらい) に始まり,李氏朝鮮でも行われた。

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旺文社日本史事典 三訂版

義倉
ぎそう
凶作に備えて穀物を貯蔵する倉,またその制度
律令時代に国司が農民の貧富に応じて粟・・豆などを徴収,国衙の倉に貯蔵して窮民に給与した。平安時代になり律令制衰退とともに廃絶したが,江戸時代に復活して幕府・諸藩に設けられ,富裕者の義捐,農民への課徴による穀物をたくわえた。常平倉 (じようへいそう) ・社倉 (しやそう) とともに三倉という。明治時代に廃絶した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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