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織田信雄【おだ のぶお(のぶかつ)】

美術人名辞典

織田信雄
安土桃山・江戸前期の武将・茶人。尾張生。信長次男北畠具房養子。名は信意・具豊、幼名は茶筅(茶箋)丸・三介、通称は本御所、出家後常真と号す。信長の死後、弟信孝と争い、さらに徳川家康と結んで小牧長久手の戦いを起こし、豊臣秀吉と戦った。のち内大臣となり、大坂の陣後、大和国五万石を領した。また、叔父有楽に茶道を学んだ。寛永7年(1630)歿、72才。

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デジタル大辞泉

おだ‐のぶかつ【織田信雄】
[1558~1630]安土桃山・江戸初期の武将。信長の次男。名は「のぶお」とも。豊臣秀吉と小牧・長久手で戦ったが、その後に和睦(わぼく)。大坂の陣では徳川家康に味方し、大和国宇陀郡松山に5万石を与えられた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

織田信雄 おだ-のぶお
1558-1630 織豊-江戸時代前期の武将。
永禄(えいろく)元年生まれ。織田信長の次男。永禄12年伊勢(いせ)(三重県)国司北畠具房(ともふさ)の養子となる。本能寺の変後清洲城主となり,計100万石を領した。のち豊臣秀吉と対立,転封(てんぽう)命令をこばみ天正(てんしょう)18年領地没収。大坂の陣後,徳川家康から大和(奈良県)松山に5万石をあたえられた。寛永7年4月30日死去。73歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。幼名は茶筅(ちゃせん)。通称は三介。号は常真。名は「のぶかつ」ともよむ。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

おだのぶかつ【織田信雄】
1558‐1630(永禄1‐寛永7)
安土桃山・江戸初期の武将。〈のぶお〉とも読む。信長の次子。幼名茶箋丸,のち三介。法名常真。伊勢国司北畠具房の養子となり名を具豊,さらに信意,信雄と改めた。本能寺の変後,清須城を中心に尾張,伊賀,南伊勢を領した。1583年(天正11)羽柴(豊臣)秀吉と絶ち徳川家康と結んで小牧・長久手に戦うが,講和する。小田原征伐後,領地のことで秀吉の怒りに触れ下野烏山に配流されるが,のちにゆるされる。関ヶ原の戦,大坂の陣では家康につき,戦後,大和国宇陀郡ほかで5万石を与えられた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

おだのぶかつ【織田信雄】
のぶおとも 1558~1630 安土桃山・江戸初期の武将。信長の次男。本能寺の変後、尾張清洲城主。小牧・長久手に豊臣秀吉と対戦。のち秀吉と和解。大坂の陣後、家康より大和に五万石を与えられた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

織田信雄
おだのぶかつ
[生]永禄1(1558).尾張,清洲
[没]寛永7(1630).4.30. 京都
安土桃山時代の武将。「のぶお」ともいう。信長の次男。幼名は茶箋丸または三介,入道して常真。永禄 12 (1569) 年,伊勢国司北畠具教の養子となり,名を具豊,のち信意,さらに信雄と改めた。天正3 (1575) 年,伊勢国司となり,本能寺の変後,清洲会議において弟信孝とともに兄信忠の遺児秀信 (幼名三法師) の後見として清洲を居城とし 100万石を領した。同 11年,信孝を岐阜に攻めて自刃させ,翌年徳川家康と結び,豊臣秀吉と対立し,小牧,長久手に対陣 (→小牧・長久手の戦い ) 。その後,和して秀吉のもとに服した。同 15年正二位内大臣となったが,同 18年除封され,のち家康の仲介により許され秀吉の御伽衆になった。豊臣氏滅亡後,関ヶ原の戦いでは西軍に加担したため,領地を失ったが,元和1 (1615) 年家康から大和国宇陀郡5万石を与えられた。なお信雄の系統は江戸時代を通じて存続した。 (→織田氏 )  

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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精選版 日本国語大辞典

おだ‐のぶかつ【織田信雄】
安土桃山時代の武将。信長の次男。「のぶお」とも。信長の死後、尾張清洲城主となる。徳川家康の助けを得て一時豊臣秀吉と戦う。豊臣氏滅亡後、江戸幕府から大和国宇陀郡等で五万石を与えられた。永祿元~寛永七年(一五五八‐一六三〇

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

織田信雄
おだのぶかつ
1558〜1630
安土桃山〜江戸時代初期の武将
「のぶお」とも読む。信長の2男。本能寺の変(1582)後,弟信孝を攻めて破った。徳川家康と結び豊臣秀吉と対立,小牧・長久手に戦ったが和睦し,尾張(愛知県)・伊勢(三重県)を領有した。のち秀吉の怒りにふれ,一時下野 (しもつけ) (栃木県)烏山に流された。関ケ原の戦い・大坂の役に際しては家康に心を寄せ,豊臣方に属さなかった。戦後,大和(奈良県)松山藩5万石を与えられた。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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