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緑の党【みどりのとう】

知恵蔵

緑の党
旧西ドイツの環境保護運動を中核として反原発運動や女性解放運動などを取り込んだ「新しい社会運動」を結集して、1983年にはドイツ連邦議会選挙で27議席を獲得、一躍西欧の一大政治勢力となった。「68年世代」の支持を受けて、西欧各国で同様の運動が活発化し、89年の欧州議会では10%の得票率を獲得するに至り、「虹」グループを形成した。フランスでは97年6月に環境派代表ボワネが社会党政府に環境相として入閣を果たした。98年に成立したドイツ社会民主党との連立内閣では環境派のフィッシャーが外相として入閣した。緑の党が既成政党に比肩する政党として定着した理由は、既成政党間の伝統的対立(宗教、労使)が弱まり、自然保護、反原発、女性の権利などの新しい争点の定着に成功したからである。しかし、政権に接近するにつれて、現実主義路線が主流になってきている。2004年2月、欧州の緑の党が集結して「欧州緑の党」を結成している。
(渡邊啓貴 駐仏日本大使館公使 / 2007年)

出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」

朝日新聞掲載「キーワード」

緑の党
環境保護、反原発、反戦、フェミニズムといった社会運動を母体にした政党。1970年代のオーストラリアで結成され、欧州にも広まった。90年代にドイツ、フランスなどで連立政権に参加。ドイツでは原発からの段階的撤退、フランスでは高速増殖炉廃止の道筋をつけた。日本では90年代、環境保護や生活者重視を訴える各地の地方議員の連携が活発になり、08年に地方議員らが政治団体「みどりの未来」を結成。これを母体に今年7月28日、国政政党の日本版「緑の党」が発足した。中山氏をはじめ地方議員ら4人が共同代表に就き、「原発のない社会」「公正な税制による所得再分配」「市民が行動・参加する民主主義の実現」を掲げている。
(2012-09-14 朝日新聞 朝刊 新潟全県 1地方)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

みどり‐の‐とう〔‐タウ〕【緑の党】
環境保護を主張する政党に多く使われる党名。1979年の西ドイツ(当時)を皮切りに、欧米を中心に各国で次々と結党された。多く、環境保護のほか反原発・女性解放などの主張も共通する。ドイツではその後、1983年に連邦議会に進出。1998年に社会民主党との連立で与党となった。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
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世界大百科事典 第2版

みどりのとう【緑の党 Die Grünen】
環境保護と反核(反核兵器・反原子力発電)を最大公約数として結集したドイツ(旧,西ドイツ)の政治運動体。〈緑の人々〉とも訳される。ペトラ・ケリーPetra Karin Kelly(1947‐92)らを指導者とする〈緑の党〉は,1983年3月の連邦議会選挙で得票率5%を超え,初めて国政レベルに進出した。1977年以来,西ドイツ各地の原子力発電所や核燃料再処理工場建設予定地での反原発闘争を基盤に,地方議会での〈緑〉派の議席獲得が相次ぎ,80年1月には〈緑の党〉の全国組織がカールスルーエで結成された。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

みどりのとう【緑の党】
1980年に結成されたドイツの政党。反核・環境保護・女性解放・底辺民主主義・非暴力を唱えて活動。ヨーロッパ・北米諸国でも結成された。

出典:三省堂
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知恵蔵mini

緑の党
エコロジー、反核・反原発、参加型民主主義などをテーマに掲げる政党、及び、国際的な政治勢力。1972年、オーストラリアに世界の緑の党の前身となる政治運動団体が誕生(後に政党化)。欧州では80年に旧西ドイツで「緑の党」(直訳では「緑の人々」)が結党されて以降、多くの国で結成された。現在ではアメリカやアジア地域にも存在しており、2001年には90カ国の緑の党による国際組織「グローバル・グリーンズ」が結成された。日本では12年7月、政治団体「みどりの未来」が母体となり「緑の党(Greens Japan)」が結党。同党はグローバル・グリーンズに加盟、人類学者の中沢新一らによる政治運動体「グリーンアクティブ」とも協力し、原発の即時全廃を掲げて国政進出を目指すとしている。
(2012-07-31)

出典:朝日新聞出版
(C)Asahi Shimbun Publications Inc
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日本大百科全書(ニッポニカ)

緑の党
みどりのとう
Die Grnen
エコロジーに適合する社会を目ざす、従来の保革(左翼・右翼)対立を超えたドイツ連邦共和国の政党。「緑の人々」とも称される。東西ドイツの統一後、旧東ドイツの市民政治組織である90年連合Bndnis 90との合体により、1993年から正式名称を90年連合・緑の党Bndnis 90/Die Grnenとする。緑の党は、しばしば環境保護のみをテーマとする単一争点の政党と紹介されるが、これは不正確であり、エコロジーの視点からの産業社会のつくりかえ、福祉社会の構築、男女の平等、多文化社会の実現、平和政策など新しい総合的な社会構想や多様な政策を提案している。2002年に採択されたベルリン党綱領「将来は緑」では、「産業社会の持続可能なエコロジー的作り直し」と、教育や知識・情報へのアクセスの機会の平等、性間の公正、世代間の公正を含む「社会的公正概念の拡大」を主張している。
 緑の党は、1970年代なかば以後に噴出した次のような新しい社会運動の政治組織として誕生した。それは、環境保護運動、反原子力発電所運動、男女平等のための(フェミニズム)運動、少数者保護(高齢者、定住外国人、ロマ、同性愛者などの差別撤廃)運動、福祉の領域での社会的自助グループ運動、新しい都市文化を実践する運動、第三世界との連帯運動、反核・平和運動などである。最初、1970年代後半に、州レベルで「緑のリスト」、「多色のリスト」、「オルタナティブ・リスト」とよばれる候補者リストを作成し、州議会で議席を獲得した後、1980年にカールスルーエで連邦レベルの全国組織として緑の党が結成された。そのため、組織は分権的であり、各州支部は多様な特徴をもっている。緑の党が1983年の連邦議会選挙で初の議席を獲得したときの代表的メンバーは、社会運動家ペトラ・ケリーPetra Karin Kelly(1947―1992)、後に社会民主党に入党(1989)し、1998年シュレーダー政権で内務相に就任した弁護士のオットー・シリーOtto Schily(1932― )、シュレーダー政権の副首相兼外相に就任したヨシュカ・フィッシャーJoschka Fischer(1948― )らである。また、緑の党は当初、「われわれは、右でもなく、左でもなく、前方にいる」と表現された。これは党の創設時、一方で1960年代後半の学生や青年による反権威主義的な抗議運動のひとつであった議会外反対派Auenparlamentarische Opposition(APO)のルディ・ドゥチュケRudi Dutschke(1940―1979)らニュー・レフト(新左翼)のメンバー、他方で旧キリスト教民主同盟議員のヘルベルト・グルールHerbert Gruhl(1921―1993)、アウグスト・ハウスライターAugust Hauleiter(1905―1989)ら保守エコロジストなど、多様な政治グループがかかわったことによる。しかし、早期に保守グループは離脱し、グルールはエコロジー民主党kologisch-Demokratische Partei(DP)を結成するに至った。1980年綱領では、四つの原則として
(1)「エコロジー的kologisch」社会を環境適合型にする改革
(2)「社会的Sozial」社会的公正の実現
(3)「底辺(草の根)民主主義的basisdemokratisch」公開性と参加型民主主義
(4)「非暴力gewaltfrei」戦争などの政治的手段としての暴力の否定
をあげている。また緑の党は創立時において、分権的な政治スタイル(複数代表制、役職の交代制、党役員と議員の兼職の禁止など)を追求し、議会外活動も重視する「運動政党」あるいは「反政党的政党」とよばれた。厳格な議員の交代制などは、実践を通じて修正ないし部分的に廃止されている。
 緑の党の成立背景として、高度の産業化と地球的規模での環境汚染の進行、経済成長指向の物質主義的価値観から生活の質や政治参加を重視する脱物質主義的価値観への変化、既存の政党がこれらの変化に十分に対応できないことなどがあげられる。緑の党の出現はドイツの既成政党に影響を与え、1980年代後半には、環境保護は共通の政策課題となった。1983年の選挙で連邦議会に議席を獲得して以来、緑の党は旧西ドイツの政党制に定着した。
 ドイツの早急な統一に反対した西ドイツの緑の党は、1990年統一選挙では議席を獲得できず、東ドイツでわずかな議席を得たにとどまった。東西ドイツ統一後、緑の党と90年連合との1993年合同大会では、基本価値として「人権、エコロジー、民主主義、社会的公正、男女の社会的平等、非暴力」が掲げられた。この90年連合・緑の党は1994年の連邦議会選挙では全国で得票率7.3%、49議席を獲得し、復活を果たした。
 創立当初から、選挙綱領・政策や連立問題をめぐって原理派と現実派の間で激しい党内論争が続いていた緑の党だが、1990年代に入り、ニーダーザクセン州、ノルトライン・ウェストファーレン州、ヘッセン州などの州レベルで社会民主党(SPD)との連立政権に参加した。この経験を通じて政権担当能力を身につけ、1998年連邦議会選挙後、連邦レベルで初めてシュレーダー連立政権に参加した。シュレーダー政権(1998~2005)は、SPDと緑の党のシンボルカラーから「赤と緑の連立政権」とよばれた。このシュレーダー政権下で緑の党は「持続可能な産業社会」への新しい政策の主導権を握った。脱原発、エコロジー税制改革の実施、国籍法の改定と移民法の制定があり、さらにとくに緑の党の主導権によって再生可能エネルギーの促進、消費者保護のための政策、同性の結婚を認める「生活パートナーシップ法」が制定された。また、緑の党が提案した反差別法が「一般均等待遇法」として、大連立政権期(2006)に成立している。2009年選挙では、過去最高の10.7%を獲得したが、第5党である。しかし、5政党制のもとで、緑の党は二大政党との間で、連立の主導権を握る可能性をもっている。役職者および議員候補者について女性の50%割当制を実施しており、党役員・連邦議会議員の半数以上が女性である。支持者は、当初に比べ世代効果により年齢が上昇しているが、とくに40代なかば以下の年齢層、高学歴層、ホワイトカラー、公務員、自由業に多い。党員数は約4万5000人(2007)。
 緑の党は、ドイツのみならず、1980年代から1990年代にかけて、ヨーロッパの多くの国々で議席を獲得した。国政レベルでは、イタリアの「オリーブの木」中道左派政権や、フランスのジョスパン社会党主導政権などに参加した。国際的な連合体として「ヨーロッパ緑の連合」があったが、2004年にヨーロッパレベルの政党として新たに「ヨーロッパ緑の党」が設立された。2009年ヨーロッパ議会選挙では、14か国20政党55議員が当選し、同議会において他の政治グループとの統一会派「緑の党・ヨーロッパ自由連盟」に属している。[坪郷 實]
『仲井斌著『緑の党』(1986・岩波書店) ▽坪郷實著『新しい社会運動と緑の党』(1989・九州大学出版会) ▽S・スプレットナク、F・カプラ著、吉福伸逸・田中三彦・谺田栄作訳『グリーン・ポリティックス』新版(1992・青土社) ▽坪郷實著『環境政策の政治学――ドイツと日本』(2009・早稲田大学出版部)』

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精選版 日本国語大辞典

みどり‐の‐とう ‥タウ【緑の党】
(Die Grünen の訳語) 環境保護や反核、非暴力、女性解放などの市民運動を母胎として西ドイツで生まれた政治勢力。東西ドイツ統一後も一定の勢力を保つ。

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