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結城素明【ゆうき そめい】

美術人名辞典

結城素明
日本画家。東京生。本名森田貞松。東美校卒。川端玉章師事自然主義とする无声会平福百穂らと結成した。また芸術自由個性を主張して、松岡映丘吉川霊華らと金鈴社を興す。大日美術院を創立。東美校教授。帝展審査員・芸術院会員。昭和32年(1957)歿、81才。

出典:(株)思文閣

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

結城素明 ゆうき-そめい
1875-1957 明治-昭和時代の日本画家。
明治8年12月10日生まれ。川端玉章(ぎょくしょう)の門下。平福百穂(ひゃくすい)らと无声(むせい)会を結成。日本画に洋画の写実をとりいれ,文展などで受賞。大正2年から母校東京美術学校(現東京芸大)の教授。14年帝国美術院会員。昭和32年3月24日死去。81歳。東京出身。旧姓は森田。本名は貞松。作品に「囀(さえずり)」「炭窯」など。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ゆうきそめい【結城素明】

出典:株式会社平凡社
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

結城素明
ゆうきそめい
[生]1875.12.10. 東京
[没]1957.3.24. 東京
日本画家。本名は貞松。初め川端玉章に師事,のち東京美術学校で日本画と洋画を学んだ。 1900年平福百穂らと无声 (むせい) 会,16年鏑木清方らと金鈴社を創立,洋風の自然描写を試みて日本画に新風を吹込んだ。帝展審査員をつとめ,23~25年渡欧,帰朝後は東京美術学校教授,帝国美術院会員となった。主著『東京美術家墓所誌』『観賞日本絵画史』。主要作品『歌神』 (1916) ,『夏山三題』 (18) ,『炭窯』 (34) 。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

結城素明
ゆうきそめい
(1875―1957)
日本画家。東京に生まれる。本名貞松。1891年(明治24)川端玉章(ぎょくしょう)の天真画塾に入門し、翌年東京美術学校に入学、1897年に卒業。その後1899年まで西洋画科でも学んだ。同年日本画における自然主義を標榜(ひょうぼう)して平福百穂(ひゃくすい)、福井江亭(こうてい)らと无声(むせい)会を結成、写実表現を追求した。1907年(明治40)開設の文展に第1回展から出品して受賞を重ね、1919年(大正8)第1回帝展で審査員にあげられた。また1916年には鏑木清方(かぶらききよかた)、吉川霊華(きっかわれいか)、松岡映丘(えいきゅう)らと金鈴(きんれい)社を結成した。官展の保守的傾向に飽き足りず、自由で純粋な表現を目ざしたものとされている。1925年帝国美術院会員。1937年(昭和12)川崎小虎(しょうこ)、青木大乗(だいじょう)らと大日本美術院を創立。また1902年から東京美術学校で後進の指導にあたり、1905年助教授、1913年教授となり、1944年までその職にあった。代表作は『囀(さえずり)』『薄光(はくこう)』『山銜夕暉(さんこうせっき)』『炭窯(すみがま)』など。著書に『東京美術家墓所』(1936)ほかがある。[原田 実]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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