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空海【くうかい】

美術人名辞典

空海
平安前期の真言宗讃岐生。弘法大師と称する。高野山金剛峯寺を建立する。仏教に関する多数。また大師流書道を創始する。承和2年(835)寂、62才。

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デジタル大辞泉

くうかい【空海】
[774~835]平安初期の僧。真言宗開祖讃岐(さぬき)の人。俗姓佐伯氏諡号(しごう)、弘法大師。延暦23年(804)入、翌々年帰朝。高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)を建立し、東寺(教王護国寺)を真言道場とした。また、京都に綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開いた。詩文にもすぐれ、書は三筆の一。著「三教指帰(さんごうしいき)」「十住心論」「文鏡秘府論」「篆隷(てんれい)万象名義」「性霊集」など。遍照金剛

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション

くうかい【空海】
高知の芋焼酎。室戸産の原料芋を室戸海洋深層水を用いて仕込む。原料は金時、米麹。アルコール度数25%、37%。蔵元の「菊水酒造」は弘化元年(1844)創業。清酒菊水」の醸造元。所在地は安芸市本町。

出典:講談社
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デジタル大辞泉プラス

空海
1984年公開の日本映画。監督:佐藤純彌、特撮監督:矢島信男、脚本早坂暁。出演:北大路欣也加藤剛小川真由美西村晃丹波哲郎、森繁久彌ほか。

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空海
香川県、香川ブルワリーが製造する地ビール。ヴァイツェンタイプ。

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世界大百科事典 第2版

くうかい【空海】
774‐835(宝亀5‐承和2)
弘法大師,俗に〈お大師さん〉と略称する。平安時代初期の僧で日本真言密教の大成者。真言宗の開祖。讃岐国(香川県)多度郡弘田郷に生まれた。生誕月日は不明であるが,後に不空三蔵(705‐774)の生れかわりとする信仰から,不空の忌日である6月15日生誕説が生じた。父は佐伯氏,母は阿刀(あと)氏。真雅智泉真然,智証大師円珍,また一族実恵,道雄ら,平安時代初期の宗教界を代表する人物が輩出した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

くうかい【空海】
774~835 平安初期の僧。日本の真言宗の開祖。諡号しごう、弘法大師。讃岐の人。804年最澄さいちようらとともに入唐し、長安の青竜寺恵果けいかに学ぶ。806年帰朝して高野山金剛峰寺こんごうぶじを開く。嵯峨天皇より東寺(教王護国寺)を賜り、その翌年には大僧都に任ぜられた。日本最初の庶民学校である綜芸種智院しゆげいしゆちいんを設立。書にすぐれ三筆の一人にあげられ、「風信帖」などの名品がある。また、詩文にも秀でた。後世、広く庶民信仰の対象として尊ばれた。著「三教指帰さんごうしいき」「十住心論」「弁顕密二教論」「性霊しようりよう集」「文鏡秘府論」「篆隷てんれい万象名義」ほか。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

空海
くうかい
[生]宝亀5(774).6.15. 讃岐
[没]承和2(835).3.21. 高野山
真言宗の創設者。弘法大師といわれる。姓は佐伯氏,幼名は真魚 (まお) 。 15歳で上洛。 18歳のとき大学寮に入り官吏としての学問を修めたが,仏教に転じて,儒教,道教を離れた。仏教に転じたその思索の過程を記して『聾瞽指帰』 (のち『三教指帰』と称される) を著わした (797) 。遣唐使とともに入唐 (804) 。青竜寺の恵果阿闍梨のもとで密教の伝授を受け,諸地をめぐり文献や法具をたずさえ帰朝 (806) 。その後約1年間筑紫の観世音寺にとどまり,大同4 (809) 年には高雄山寺を本拠に布教を開始し,最澄らに灌頂を授けている (812) 。弘仁7 (816) 年には高野山を開き金剛峰寺を建立し,同 14年に東寺を天皇より与えられ,以後高野山と東寺を中心とした宗教活動を行なったほか,さまざまな社会福祉事業も手がけた。また綜芸種智院を創立 (828) 。高野山にて入寂した。その思想の特色として,顕教に対する密教を確立した点,即身成仏の思想,十住心の段階を述べて菩提心の展開を明かしたことなどがきわめて重要である。空海は諸芸にすぐれていたという伝説があり,実際彼の在世中には密教彫刻や仏画,法具類が多数制作され,その一部は東寺や高野山などに伝来する。しかし空海自身の手になる遺品としては書跡のみである。三筆の一人として書家としての名声はきわめて高く,顔真卿流の書風が特色で,『風信帖』,神護寺の『灌頂歴名』,仁和寺の『三十帖策子』などの自筆が現存する。主著『秘蔵宝鑰』『弁顕密二教論』『十住心論』『即身成仏義』。その著書のすべては『弘法大師全集』 (16巻) に収められている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

空海
くうかい
(774―835)
平安初期の僧。真言宗の開祖。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(しごう)で知られる。[宮坂宥勝]

生涯

宝亀(ほうき)5年、讃岐(さぬき)国多度郡(たどのこおり)屏風ヶ浦(びょうぶがうら)(香川県善通寺市善通寺)で、佐伯直田公(さえきのあたいたきみ)と阿刀(あと)氏出身の母(伝説では玉寄姫(たまよりひめ))の三男として生まれた。幼名は真魚(まお)。幼少のころ、神童(しんどう)、貴物(とうともの)などとよばれたという。母方の叔父(舅(きゅう))阿刀大足(あとのおおたり)に就いて漢籍を学んだ。15歳で京に上り、18歳で大学に入って、味酒浄成(うまざけのきよなり)に『毛詩』『尚書』を、岡田牛養(おかだのうしかい)に『春秋左氏伝』などを学んだ。あるとき一人の修行者に出会い、求聞持法(ぐもんじほう)を授かった。そこで、阿波(あわ)(徳島県)の大滝岳、土佐(高知県)の室戸(むろと)岬、伊予(愛媛県)の石鎚(いしづち)山、大和(やまと)(奈良県)の金峰山(きんぶせん)などの聖地を巡り歩いて修行に励んだ。こうして出家の決意を固め、24歳のとき『三教指帰(さんごうしいき)』(別本または草稿本は高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)蔵の『聾瞽指帰(ろうこしいき)』。国宝)を著した。それは思想劇の形をとり、儒教・道教・仏教の優劣を論じ、大乗仏教をもっとも優れた教えであるとする一種の比較思想論である。以後、約7年間の行跡はまったく不明であるが、奈良六宗のほかに、すでに密教も学んでいたと思われる。また高野山を発見したのも弱年のころであったとみられる。
 804年(延暦23)31歳のとき、遣唐大使藤原葛野麻呂(ふじわらのかどのまろ)(755―818)の船に橘逸勢(たちばなのはやなり)らと同乗し、途中、暴風雨にあい九死に一生を得て入唐(にっとう)。この年12月に長安に入った。翌805年、長安醴泉寺(れいせんじ)の般若三蔵(はんにゃさんぞう)らに就いてサンスクリット(梵語(ぼんご))やインドの学問を学習し、同年6月から半年間、青龍寺の恵果(けいか)から密教の伝授を受けて、真言密教の第八祖を継いだ。同年12月15日、恵果が60歳で没したとき、門下から選ばれて追悼の碑文を書いた。長安滞在中は、唐の仏者たちのみならず多くの文人墨客と交流し、広く文化を摂取した。806年(大同1)10月に帰国、膨大な密教の典籍、仏像、法典、曼荼羅(まんだら)、その他の文物を日本にもたらし、12月に『請来(しょうらい)目録』を朝廷に差し出した。809年に京都高雄山寺(たかおさんじ)(神護寺)に入り、翌810年、国家を鎮める修法を行った。812年(弘仁3)には比叡山(ひえいざん)の最澄(さいちょう)や弟子に灌頂(かんじょう)(水を頭に注いで仏位につかせる儀式)を授けた。816年6月、43歳のとき、高野山を国家のために、また修行者の道場とするために開きたいと嵯峨(さが)天皇に上奏し、7月8日に勅許を得、819年5月から伽藍(がらん)の建立に着手した。このようにして高野山は、天台宗の比叡山とともに平安初期の山岳仏教の拠点となる。一方、821年9月には四国讃岐の満濃池(まんのうのいけ)(香川県まんのう町)を修築し、農民のために尽力している。また823年1月、京都の東寺(教王護国寺)を給預されたので、ここを京都における真言密教の根本道場に定め、後進の育成に努めた。828年(天長5)12月東寺の東隣に日本最初の庶民教育の学校として綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開設した。835年(承和2)1月、宮中真言院で後七日御修法(ごしちにちみしゅほう)を行い、同年3月21日に高野山で入滅した。齢62歳。921年(延喜21)醍醐(だいご)天皇から弘法大師の諡号が贈られた。[宮坂宥勝]

業績・著書

空海は在唐中にインド直伝の密教を学び、帰国後、それらの組織化、総合化に努め、『大日経(だいにちきょう)』系と『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』系の密教を両部としてまとめることに成功した。また、一宗の開祖にとどまらず、中唐後期の大陸の文化を幅広く移入し、平安初期の日本の文化全般に寄与したことは計り知れないものがある。
 著書には、一般仏教(顕教(けんぎょう))と密教とを対比し密教の特色を明らかにした『弁顕密(べんけんみつ)二教論』や、人間精神の発達段階と世界思想史とを組み合わせた『秘密曼荼羅十住心論(まんだらじゅうじゅうしんろん)』(『十住心論(じゅうじゅうしんろん)』)と『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』、また『即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)』『声字実相義(しょうじじっそうぎ)』『吽字義(うんじぎ)』の三部書、さらに『般若心経(はんにゃしんぎょう)』の注解書である『般若心経秘鍵(ひけん)』その他がある。文学的業績では、『三教指帰』をはじめ、日本最初の辞典『篆隷(てんれい)万象名義』(1114年書写、高山寺蔵、国宝)の編集や、文芸評論と作文概論を兼ねた『文鏡秘府論(ぶんきょうひふろん)』『文筆眼心抄』などの著がある。また、空海の詩文を拾集したものに弟子の真済(しんぜい)編『遍照発揮性霊集(へんじょうほっきしょうりょうしゅう)』(『性霊集』)があるほか、書簡類を集成した『高野雑筆集』がある。このほか、密教芸術の指導、医学、科学に至るまで、その活動はすこぶる多方面にわたっている。
 なお、空海の伝記には、真済の『空海僧都(そうず)伝』、藤原良房(よしふさ)の『大僧都空海伝』などがある。『今昔(こんじゃく)物語』には高野山開創など四つの説話を収める。大師にまつわる伝説は各地にあり、全国でその数3000~4000といわれる。[宮坂宥勝]

空海の書

空海は同時代の嵯峨(さが)天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)と並んで三筆の一人として名高い。その書は、奈良朝以来の伝統的な王羲之(おうぎし)書法を根幹としている。これに、入唐(にっとう)当時流行した顔真卿(がんしんけい)、徐浩(じょこう)(703―782)ら唐代中期の能書の感化を受け、独自の書風を完成した。ふところを広くとる造字法、重厚な筆遣いは、スケールの大きい、表現力豊かなものである。空海以前にはみられない書風で、日本書道史に一つの転機をもたらし、後世の書壇にも大きな影響を与えた。近世初期には、その書流は松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)らによって、大師流の名で盛んに行われたことは注目される。今日まで伝えられる空海の書として、入唐前24歳で書いた『聾瞽指帰(ろうごしいき)』があり、すでに非凡な才能を十分発揮している。さらに在唐中に記録をとった『三十帖冊子(さんじゅうじょうさっし)』(京都・仁和寺(にんなじ)、国宝)、812年(弘仁3)から翌813年にかけて灌頂(かんじょう)を授けたときの記録『灌頂歴名(かんじょうれきめい)』(京都・神護寺、国宝)はいずれも卒意の書(心のおもむくまま自由に書いた書、普段着の書)で、盛唐の書の影響がみられる。もっとも著名な『風信帖』(京都・東寺、国宝)は伝教大師最澄にあてた書状3通を1巻に調巻したもので、空海の最高傑作といえよう。また、『真言七祖像賛並行状文』(東寺)は飛白(ひはく)(刷毛(はけ)で書いたようなかすれ書きの書)体の珍しいもので、各書体に堪能(たんのう)であった空海を物語る遺墨である。このほかにも多くの遺墨があり、いずれも名筆として尊重される。[島谷弘幸]
『『弘法大師全集』全8巻(1965~1968/全11巻・1991~1997・密教文化研究所) ▽『弘法大師空海全集』全8巻(1983~1986・筑摩書房) ▽渡辺照宏・宮坂宥勝著『沙門空海』(1967・筑摩書房/ちくま学芸文庫) ▽中田勇次郎編『書道芸術12 空海』(1975・中央公論社) ▽斎藤昭俊編著『弘法大師伝説集』全3巻(1976・国書刊行会) ▽北條賢三著『空海と伝説』、宮崎忍勝著『大師信仰の秘密』(松長有慶監修『弘法大師空海』所収・1984・毎日新聞社) ▽宮崎忍勝著『四国遍路』(1985・朱鷺書房) ▽金岡秀友編『空海辞典』新装版(1999・東京堂出版) ▽岸田知子著『空海と中国文化』(2003・大修館書店) ▽阿部龍樹著『空海の般若心経』(2004・春秋社) ▽加藤豊仭著『空海筆「風信帖」の形を読む』(2004・世界書院) ▽頼富本宏著『空海と密教――「情報」と「癒し」の扉をひらく』(PHP新書)』

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367日誕生日大事典

空海 (くうかい)
生年月日:774年6月15日
平安時代前期の真言宗の開祖
835年没

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精選版 日本国語大辞典

くう‐かい【空海】
[1]
① 空と海。
② 海のように、はてしない大空。また、空のようにはてしない海原。空の海。
※光悦本謡曲・白楽天(1464頃)「八大竜王は八りんの曲を奏し、空海にかけりつつ、舞ひ遊ぶ小忌衣(おみごろも)の」
[2] 平安初期の僧。真言宗の開祖。俗姓佐伯氏。幼名真魚(まお)。諡号(しごう)弘法大師。讚岐の人。延暦二三年(八〇四)入唐して長安青龍寺の恵果(けいか)に真言密教を学ぶ。大同元年(八〇六)帰国、高野山に金剛峯寺を建立。弘仁一四年(八二三)には東寺を与えられ、これを国家鎮護の祈祷道場とした。綜芸(しゅげい)種智院を設立して子弟を教育。承和二年(八三五)真言宗年分度者三人の設置が勅許された。書にすぐれ、三筆の一人といわれる。死後、大僧正、法印大和尚位を贈られた。著に「三教指帰」「文鏡秘府論」「文筆眼心抄」「篆隷(てんれい)万象名義」「性霊集」「十住心論」「秘蔵宝鑰(ほうやく)」「即身成仏義」、書簡「風信帖」など。宝亀五~承和二年(七七四‐八三五

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旺文社日本史事典 三訂版

空海
くうかい
774〜835
平安初期の高僧。真言宗の開祖
讃岐(香川県)の人。父は佐伯氏,母は阿刀 (あと) 氏。幼名は真魚 (まお) 。官人あるいは学者への道を捨て仏道を志し,804年入唐。唐僧恵果らから密教を学び,帰国後真言宗を一宗として確立した。816年,紀伊(和歌山県)の高野山に金剛峰寺 (こんごうぶじ) をつくり,823年には嵯峨天皇から京都の東寺(教王護国寺と名づけた)を与えられた。また讃岐の満濃池を修築し,京都に庶民の教育機関として綜芸種智院 (しゆげいしゆちいん) を建て社会事業につとめた。文学にも才能を発揮し,漢詩集として『性霊集』,漢詩文のつくり方などを論じた『文鏡秘府論』を著した。書道では嵯峨天皇・橘逸勢 (たちばなのはやなり) とともに三筆の一人に数えられた。死後弘法大師の号を贈られた。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
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