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福岡藩【ふくおかはん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

福岡藩
ふくおかはん
江戸時代,筑前国 (福岡県) 福岡地方を領有した。慶長5 (1600) 年黒田長政関ヶ原の戦いのにより,豊前中津 (福岡県) から 52万 3100石で入封したのに始る。元和9 (23) 年忠之の代に長興に5万石 (同国秋月藩) ,高に4万石 (同国東蓮寺藩) を分与。延宝5 (77) 年東蓮寺藩長寛が福岡藩宗家の嫡子となり,東蓮寺藩は返還元禄1 (88) 年綱政の代に新墾田5万石を長清に分与して同国直方 (のうがた) 藩を興したが,享保5 (1720) 年除封となり返還。以後代々継続して廃藩置県にいたった。外様,江戸城大広間詰。

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福岡藩
筑前国、福岡(:△福岡県福岡市▽)を本拠地とした外様の大藩藩祖は黒田長政(ながまさ)。幕末まで黒田氏が統治。儒学者・博物学者の貝原益軒、国学者青柳種信などを輩出した。

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藩名・旧国名がわかる事典

ふくおかはん【福岡藩】
江戸時代筑前(ちくぜん)国那珂(なか)郡福岡(現、福岡県福岡市)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。藩校は修猷館(しゅうゆうかん)、甘棠館(かんとうかん)。小早川氏による領有のあと、1600年(慶長(けいちょう)5)、黒田長政(ながまさ)関ヶ原の戦いの戦功により、ほぼ筑前1国を与えられて豊前(ぶぜん)国中津から入封(にゅうほう)して立藩。長政は手狭だった名島(なじま)城を廃して福岡城を築城し、検地を行って表高(おもてだか)50万2000石(内高56万6000石)とした。23年(元和(げんな)9)、2代藩主忠之(ただゆき)が父の長政の遺言により、弟の長興(ながおき)に5万石、高政(たかまさ)に4万石を分与、これにより秋月(あきづき)藩と東蓮寺(とうれんじ)藩(のち直方(のおがた)藩)の2支藩が成立した。32(寛永(かんえい)9)に家老栗山大膳が藩主忠之を訴えた黒田騒動とよばれる御家騒動が起きた。38年島原の乱に派兵、42年からは佐賀藩とともに長崎警備の幕命を受けた。黒田氏による支配は明治維新まで12代続き、幕末には佐幕派の立場をとり、藩内の勤王派を弾圧した。貝原益軒(かいばらえきけん)、国学の青柳種信(あおやぎたねのぶ)、洋学の青木興勝(あおきおきかつ)らを輩出。1871年(明治4)、戊辰(ぼしん)戦争出兵のために発行した贋札(にせさつ)事件が発覚して藩知事が罷免され、代わって有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王が藩知事に任命された。同年の廃藩置県により福岡県となった。◇筑前藩黒田藩ともいう。

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世界大百科事典 第2版

ふくおかはん【福岡藩】
筑前国(福岡県)福岡に藩庁を置いた外様大藩。1587年(天正15)小早川隆景が筑前一国および筑後2郡,肥前2郡,高30万石余を与えられ,粕屋郡名島に居城を定めたのが始まりである。98年(慶長3)秀秋が越前国北ノ庄に移され,筑前は豊臣秀吉直轄領(太閤蔵入地)となったが,99年には再び秀秋が復帰した。関ヶ原の戦(1600)の後,秀秋の岡山移封のあとをうけて豊前国中津の黒田長政怡土(いと)郡の西半分を除くほぼ筑前一国を与えられて入部した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

福岡藩
ふくおかはん
筑前(ちくぜん)国那珂(なか)郡福岡(福岡市)に藩庁を置いた藩。別称筑前藩。藩主黒田氏。外様(とざま)。豊臣(とよとみ)秀吉の九州平定後、小早川隆景(こばやかわたかかげ)が筑前一国および筑後2郡、肥前2郡を与えられ、粕屋(かすや)郡名島に入封。1600年(慶長5)小早川氏は関ヶ原の戦いの戦功によって備前(びぜん)岡山に移り、そのあと豊前(ぶぜん)中津の黒田長政(ながまさ)が怡土(いと)郡の一部を除く筑前一国を与えられて名島に入り、翌年福岡に城を築いてここに移った。1623年(元和9)長政の死後、秋月、東蓮寺(とうれんじ)(のち直方(のおがた))の両支藩を分封。東蓮寺藩は1677年(延宝5)廃藩となったが、秋月藩は廃藩置県まで存続した。東蓮寺藩廃藩後の領知高は47万3000石(秋月藩5万石)。1688年(元禄1)新田5万石を分与してふたたび直方藩を立てたが、1720年(享保5)廃藩。長政のあと忠之(ただゆき)、光之、綱政(つなまさ)、宣政(のぶまさ)、継高、治之(はるゆき)、治高、斉隆(なりたか)、斉清、長溥(ながひろ)、長知(ながとも)と12代続いた。1632年(寛永9)忠之のとき黒田騒動が発生。1641年以後、佐賀藩とともに1年交替で長崎警備を担当した。享保(きょうほう)の大飢饉(ききん)(1732)後、家老の吉田栄年(まさとし)・保年を中心に藩政改革を実施。1784年(天明4)には藩校修猷館(しゅうゆうかん)(東学問所)、甘棠館(かんとうかん)(西学問所)が創立された。1834年(天保5)には眼医白水養禎(ようてい)を登用して天保(てんぽう)の改革を実施したが、失敗に終わっている。1865年(慶応1)長溥は加藤司書ら勤王派を弾圧、以後佐幕的立場をとり明治維新を迎えた。1871年(明治4)7月長知は贋札(にせさつ)事件の責任を問われ、全国的な廃藩置県に先だって藩知事を罷免され、有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王が藩知事となり、同月廃藩置県によって福岡県となった。[柴多一雄]
『『新編物語藩史 第11巻』(1975・新人物往来社)』

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