Rakuten infoseek

辞書

禅宗【ぜんしゅう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

禅宗
ぜんしゅう
自己の性を内観することを目的とする仏教一派仏心宗ともいう。特に坐禅を重んじることに特徴がある。インドの菩提達磨によって中国に伝えられたので,達磨を宗祖とする。第5祖弘忍の門下慧能神秀が出て,2派に分れ,を盛んにした。慧能の系統を南宗といい,神秀の系統を北宗という。南宗はさらに2派に分れ,青原 (せいげん) が曹洞宗を興し,南嶽は臨済宗を興した。日本へは鎌倉時代にこの2派が道元と栄西によって伝えられ,現在にいたっている。江戸時代に明の隠元が日本に渡って黄檗宗を伝えた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

朝日新聞掲載「キーワード」

禅宗
仏教の一派。6世紀初頭にインドから中国に渡り、禅の教えを伝えた達磨を初祖とする。日本には鎌倉時代に本格的な導入が始まる。救仁郷研究員によれば、経典を重視せず、座禅師匠との問答などの修行を通し、自らの仏性を自覚することを目指す。
(2016-10-25 朝日新聞 夕刊 文化芸能)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

ぜん‐しゅう【禅宗】
仏教の一派。もっぱら座禅を修行し、内観・自省によって心性の本源を悟ろうとする宗門達磨(だるま)が中国に伝え、日本には鎌倉初期に栄西臨済禅を、次いで道元曹洞禅を、それぞれ入ののち伝えて盛んになった。江戸時代に明の隠元が来朝して黄檗(おうばく)の一派を開き、現在この三派が並び行われている。以心伝心教外(きょうげ)別伝を重んじ、仏の心をただちに人々の心に伝えるのをとするので、仏心宗ともいう。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

ぜんしゅう【禅宗】
中国と日本の仏教宗派の一つ。日本では,鎌倉時代より江戸時代の初期にかけて,中国より伝えられる24流48伝がそのすべてで,今では臨済,曹洞,黄檗の3派に大別される。 禅は,インドに起き,禅宗は,中国で始まる。座禅を意味するインド仏教の禅に対し,禅宗は自派の起源を次のように主張する。仏陀晩年霊鷲山で説法していると,梵天(ヒンドゥー教の神)が一枝の花を献ずる。仏陀は,これを大衆に示す。大衆には,何のことか判らぬ。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

ぜんしゅう【禅宗】
大乗仏教の宗派の一。日本では臨済宗・曹洞宗・黄檗宗の総称。その先行形態はインドに見られたが、六世紀前半達磨だるまが中国へ伝えてから発達した。七世紀には六祖慧能の南宗と神秀の北宗とに分かれ、主流となった前者から曹洞宗と臨済宗が派生した。日本へは鎌倉時代の初めに栄西が臨済宗を、道元が曹洞宗をそれぞれ伝え、江戸時代には隠元が黄檗宗を伝えた。座禅を中心においた修行によって心の本性が明らかにされ悟りが得られるとし、不立文字ふりゆうもんじ・教外別伝きようげべつでん・直指人心じきしにんしん・見性成仏けんしようじようぶつを唱える。ただし、道元に始まる日本の曹洞宗は只管打坐しかんたざを説く。仏心宗。禅門。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

禅宗
ぜんしゅう
中国と日本の、仏教の一派。6世紀の初め、インド僧の達磨(だるま)(ボーディダルマ)が開宗、唐より宋(そう)初にかけて、中国文明の再編とともに、民族自らの宗教として独自の教義と歴史をつくり、鎌倉時代以後、日本にきて結実する。経論の学問によらず、坐禅(ざぜん)と問答によって直接に仏陀(ぶっだ)の心に目覚める、見性悟道を説く。近世中国の仏教はみな禅宗を名のるが、日本では他の諸宗に伍(ご)して、曹洞(そうとう)、臨済(りんざい)、黄檗(おうばく)の3派を数える。[柳田聖山]

中国

禅宗では、仏陀が霊鷲山(りょうじゅせん)で説法していると、梵天(ぼんてん)が金婆羅華(こんぱらげ)を献じ、仏陀は黙って花を大衆に示すと、摩訶迦葉(まかかしょう)がひとり破顔微笑(みしょう)したので、仏陀は迦葉に正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)を伝えた、という説があり、それが立宗の基となっている。正法眼蔵とは、仏教のエッセンスを意味する。迦葉より二十八伝して、達磨が中国にきて初祖となり、六伝して慧能(えのう)(638―713)に至る。慧能は新州(広東(カントン)省新興市)の生まれで、生涯ほとんど嶺南(れいなん)を出ず、眼(め)に一丁字(いっちょうじ)もなかったが、労働と参禅によって正法眼蔵を得る。そのことばを集める『六祖壇経(ろくそだんきょう)』によると、外ではどんな環境にいても、心のおこらぬのが坐(ざ)、内では自性に目覚めて、自性の乱れぬのが禅であるという。禅宗は、そうした日常のくふうと、創意を求めるのである。従来、華北の首都を中心に、上層階級の帰依(きえ)によって、高度の学問体系を誇った各派が、唐末五代の社会変動によって一時に衰滅するのと反対に、禅宗は全国各地に支持者を得、五家七宗の盛期を迎える。すなわち、主として湖南に拠(よ)山霊祐(いさんれいゆう)(771―853)と、その弟子仰山慧寂(きょうざんえじゃく)(807―883)の仰宗(いぎょうしゅう)、江西に拠る洞山良价(とうざんりょうかい)(807―869)と、その弟子曹山本寂(そうざんほんじゃく)(840―901)の曹洞宗、河北の鎮州に拠る臨済義玄(りんざいぎげん)(?―866)の臨済宗、嶺南に拠る雲門文偃(うんもんぶんえん)(864―949)の雲門宗、および金陵に拠る法眼文益(ほうげんぶんえき)(885―958)の法眼宗であり、さらに臨済宗8代の黄龍慧南(おうりゅうえなん)(1002―1069)と、楊岐方会(ようぎほうえ)(992―1049)の2人が、それぞれ江南に一派を開くのをあわせて、五家七宗の禅宗が、近世中国仏教を代表するのである。[柳田聖山]

日本

日本の禅宗は、建仁寺の栄西(えいさい)(1141―1215)が黄龍宗を伝え、永平寺の道元(1200―1254)が曹洞宗を伝えるのに始まり、24流を数える宋朝禅が日本で大成されることとなる。とりわけ、楊岐宗の日本伝来は、中国の近世文明を伴うので、新儒教の朱子学をはじめ、文学や美術、建築、日常生活の創意にわたって、日本中世文化の発展に作用する。たとえば、江戸時代の初め、福州黄檗山(おうばくさん)の隠元隆(いんげんりゅうき)(1592―1673)が諸弟子とともに来朝し、将軍徳川家の帰依によって、京都に黄檗山万福寺を開く。隠元の禅は楊岐宗に属するが、中世日本の楊岐宗と異なって、近世中国の文人趣味や、医学、社会福祉など、多方面の新文明を伴って、日本仏教各派の再編を促すのであり、盤珪永琢(ばんけいようたく)(1622―1693)、白隠慧鶴(はくいんえかく)(1685―1768)、卍山道白(まんざんどうはく)(1635―1714)、面山瑞方(めんざんずいほう)(1683―1769)など、臨済・曹洞2派の復古と改革運動が、これに続いて起こる。
 禅宗では、真理はわれわれの言語、文字による表現を超えているとし(不立文字(ふりゅうもんじ))、師から弟子へ直接に心で心を伝える(以心伝心)といわれて、その系譜が重んぜられる(師資相承(ししそうじょう))。[柳田聖山]
『『講座 禅』全8巻(1967~1969・筑摩書房) ▽鈴木大拙著、北川桃雄訳『禅と日本文化』(岩波新書)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

ぜん‐しゅう【禅宗】
〘名〙 坐禅によって仏道をきわめようとする仏教の宗派。一般に五家すなわち臨済・潙仰(いぎょう)・曹洞・雲門・法眼の五宗と、臨済より分かれた楊岐(ようぎ)・黄龍の二派を加えた七宗を総称する。日本に伝わったものは臨済宗、曹洞宗の二宗と黄龍派の末流である黄檗宗の三宗派で、臨済宗は栄西が入宋(一一六八)して伝え、曹洞宗は、道元が入宋(一二二三‐二七)して伝え、黄檗宗は承応三年(一六五四)に明の隠元が渡来して伝えた。菩提達磨を始祖とし、教外別伝・不立文字(ふりゅうもんじ)・直指人心(じきしにんしん)・見性成仏(けんしょうじょうぶつ)を基本思想とし、坐禅によって自己の本性を洞見して成仏するとなすもの。仏心宗。達磨宗。禅。
※興禅護国論(1198)中「三国諸宗興廃有時九宗並行智証大師云。禅宗是八宗之外也」

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社世界史事典 三訂版

禅宗
ぜんしゅう
470年ごろインドから中国を訪れた達磨 (だるま) が開いた仏教の一派
当時の不安な社会情勢の中で,仏教と老荘思想との交流を通じ,座禅修道による簡明直截な安心の道として中国化された。唐代の慧能 (えのう) に至って純化確立され,中国仏教主流となり,思想界に大きな影響を与えた。宋代には守成期にはいり,禅の主脈は日本に移った。鎌倉時代に宋の臨済 (りんざい) ・曹洞 (そうとう) の二派が伝来し,江戸時代には黄檗 (おうばく) 宗が広められた。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

禅宗
ぜんしゅう
坐禅をおもな修行方法とし,みずから悟りを得ようとする仏教の一派
先行形態は古くインドにあったが,6世紀達磨 (だるま) により中国に伝わり,9世紀以降盛んになる。日本には,鎌倉時代に栄西により臨済宗が,道元により曹洞宗が,江戸時代に隠元により黄檗 (おうばく) 宗がそれぞれ伝えられ,武家信仰として広く普及し,その思想学問・文芸・社会生活のうえに大きな影響をもたらした。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

禅宗」の用語解説はコトバンクが提供しています。

禅宗の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.