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石川雅望【いしかわ まさもち】

美術人名辞典

石川雅望
江戸後期の国文学者。江戸生。字は子相、雅望は名、号は六樹園、別号に五老斎・逆旅主人、狂名に宿屋飯盛独学和漢を修め、歌学者・狂歌師として有名。狂歌は大田蜀山人の門。書多数。文政13年(1830)歿、78才。

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デジタル大辞泉

いしかわ‐まさもち〔いしかは‐〕【石川雅望】
[1754~1830]江戸後期の狂歌師・国学者。江戸の人。号、宿屋飯盛(やどやのめしもり)。石川豊信の子で、家業は宿屋。狂歌を四方赤良(よものあから)に学ぶ。和漢の学に通じ、著書に「しみのすみか物語」「源注余滴」「雅言集覧」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

石川雅望 いしかわ-まさもち
1754*-1830 江戸時代中期-後期の狂歌師,国学者。
宝暦3年12月14日生まれ。石川豊信の5男。家は江戸小伝馬町の旅籠(はたご)屋。津村淙庵(そうあん)に国学を,頭光(つむりの-ひかる),大田南畝(なんぽ)に狂歌をまなぶ。のち「源氏物語」などの研究や戯作(げさく)にもうちこみ,おおくの著書をのこした。文政13年閏(うるう)3月24日死去。78歳。字(あざな)は子相。通称は糠屋(ぬかや)七兵衛。号は六樹園,五老山人など。狂号は宿屋飯盛。編著に「万代狂歌集」「雅言集覧」,読み本に「飛弾匠(ひだのたくみ)物語」など。

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世界大百科事典 第2版

いしかわまさもち【石川雅望】
1753‐1830(宝暦3‐天保1)
江戸後期の国学者,狂歌師,読本作者。浮世絵師石川豊信(覚翁)の子。江戸に生まれる。字は子相。通称糠屋七兵衛,のち中村屋五郎兵衛。号は宿屋飯盛(やどやのめしもり),六樹園,蛾術斎,五老翁,五老山人など。家業は旅籠屋。国学を津村宗庵に,狂歌を頭光(つぶりひかる),四方赤良(よものあから)(大田南畝)に学ぶ。博覧強記。その著《源註余滴》《雅言集覧(がげんしゆうらん)》は国語学史上評価が高い。狂歌師としても著名で頭光,鹿都部真顔(しかつべのまがお),銭屋金埒(ぜにやのきんらつ)とともに狂歌四天王の一人として勢力を張る。

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大辞林 第三版

いしかわまさもち【石川雅望】
1753~1830 江戸後期の国学者・狂歌師。江戸の人。通称、糠屋ぬかや七兵衛。狂名は宿屋飯盛やどやのめしもり、号、六樹園など。石川豊信の子。家業は宿屋。狂歌を頭光つむりひかる・四方赤良よものあからに学ぶ。狂歌・狂文のほかに和漢の書にも通じ、狂歌師中の学者と称され、「雅言集覧」「源註余滴」「しみのすみか物語」などの著もある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

石川雅望
いしかわまさもち
[生]宝暦3(1753).12.14. 江戸
[没]天保1(1830).閏3.24.
江戸時代後期の国学者,狂歌作者。狂歌名,宿屋飯盛 (やどやのめしもり) 。号,六樹園,五老。日本橋小伝馬町の宿屋の主人。国学はほとんど独学で,『雅言集覧』『源註余滴』などの著書がある。『都の手ぶり』『北里十二時 (ほくりじゅうにとき) 』 (『吉原十二時』) などの雅文,『しみのすみか物語』 (1805) ,『近江県 (おうみあがた) 物語』 (08) などの雅文小説もある。狂歌は四方赤良 (よものあから) 門下で四天王の一人と数えられ,頭角を現すが,寛政3 (1791) 年江戸払いとなり,いったん沈黙。その後文化1 (1804) ~2年頃復帰,当時の流行児鹿都部真顔 (しかつべのまがお) と競い合った。赤良の直系をもって任じ,軽妙な天明狂歌の復活を主張,門人数千と称された。狂歌集に『吾妻曲 (ぶり) 狂歌文庫』 (1786) ,『古今狂歌袋』 (87) ,『絵本天の川』 (87) ,『万代狂歌集』 (1811) などの撰集その他がある。書を沢田東江に学ぶなど当時の典型的文人であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

石川雅望
いしかわまさもち
(1753―1830)
江戸後期の狂歌師、戯作者(げさくしゃ)、国学者。狂名宿屋飯盛(やどやのめしもり)、号六樹園(ろくじゅえん)、五老。江戸・小伝馬町(東京都中央区)で旅籠(はたご)を営み、通称は糠屋(ぬかや)七兵衛。父はかたわら浮世絵師石川豊信(とよのぶ)として名高かった。雅望は学を志して、津村淙庵(そうあん)に和学を、古屋昔陽(せきよう)に漢学を学んだが、狂歌流行とともに四方赤良(よものあから)(蜀山人(しょくさんじん))に入門してたちまち狂歌、狂文に頭角を現した。1784年(天明4)に狂歌本『大木(たいぼく)の生限(はえぎわ)』『太(ふとい)の根(ね)』を編したのを最初に、著述が多く、江戸狂歌の新進として鹿津部真顔(しかつべのまがお)と並称された。しかし1791年(寛政3)家業のことで無実の罪を得、江戸払いとなって近郊に10余年蟄居(ちっきょ)する非運に泣いたが、この間に国学の学殖を深めて、辞書『雅言集覧(がげんしゅうらん)』、注釈書『源注余滴』を著し、また狂文『都の手ぶり』『吾嬬那万里(あづまなまり)』や雅文体の読本(よみほん)『飛騨匠(ひだのたくみ)物語』などを残した。狂歌界は、飯盛の不在中は真顔が独占の形で俳諧歌(はいかいか)と称し、天明(てんめい)期(1781~89)の狂歌を非難したのに対して、飯盛は1807、1808年(文化4、5)ごろ江戸復帰後の『狂歌百人一首』で反撃して機知と笑いを堅持すべしと主張し、いわゆる俳諧歌を圧倒した。
 晩年は霊岸島新湊(しんみなと)町(東京都中央区)に住み、子息塵外楼清澄(じんがいろうきよずみ)とともに職業狂歌師として『万代狂歌集』をはじめ多数の狂歌本を著した。文政(ぶんせい)13年閏(うるう)3月24日没。
 歌よみは下手こそよけれあめつちの動き出してはたまるものかは[浜田義一郎]

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367日誕生日大事典

石川雅望 (いしかわまさもち)
生年月日:1753年12月14日
江戸時代中期;後期の国学者;狂歌師;読本作者
1830年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

いしかわ‐まさもち【石川雅望】
江戸後期の狂歌師、国学者。狂名、宿屋飯盛(やどやのめしもり)。浮世絵師石川豊信の子。家は代々宿屋。狂歌を頭光(つむりひかる)、四方赤良(よものあから)に学んで一家をなし、狂歌四天王の一人と呼ばれた。主著「雅言集覧」「源註余滴」「都の手ぶり」「しみのすみか物語」など。宝暦三~天保元年(一七五三‐一八三〇

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