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石井光次郎【いしい みつじろう】

美術人名辞典

石井光次郎
政治家。福岡県生。東京高商(現一橋大)を卒業後、内務省を経て朝日新聞入社戦後は総選挙に自由党から出馬し当選。一時期政界を離れ朝日放送初代社長に就いたが、復帰後は吉田内閣運輸相・自由党幹事長・自民党初代総務会長・岸内閣副総理・池田内閣通産相・佐藤内閣法相等を歴任。ほかに日本体育協会会長・日本ゴルフ協会会長なども務めた。昭和56年(1981)歿、92才。

出典:(株)思文閣

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

石井光次郎 いしい-みつじろう
1889-1981 昭和時代後期の政治家。
明治22年8月18日生まれ。久原(くはら)房之助の娘婿台湾総督府参事官などをへて大正11年朝日新聞社にはいり,昭和15年専務。21年衆議院議員(当選10回)。22年商工相,27年運輸相。29年自由党幹事長となって保守合同をまとめる。自民党石井派の領袖として総裁選に2度出馬したが敗れる。通産相,法相をへて,42年衆議院議長。昭和56年9月20日死去。92歳。福岡県出身。東京高商(現一橋大)卒。

出典:講談社
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

石井光次郎
いしいみつじろう
[生]1889.8.18. 福岡,久留米
[没]1981.9.20. 東京
政治家。1914年東京高等商業学校(→一橋大学)専攻部卒業,警視庁や台湾総督府に勤務後,1922年朝日新聞社に入社。1945年同社専務を退き,翌 1946年政界に入った。吉田茂内閣の商工大臣,運輸大臣を経て,1954年自由党幹事長。1955年の保守合同自由民主党総務会長となる。1956年と 1960年に同党総裁選挙に立候補したがいずれも敗れた。岸信介内閣の副総理,池田勇人内閣の通商産業大臣佐藤栄作内閣の法務大臣となり,1967年から 2年間,衆議院議長の座にあった。1972年政界引退。政権獲得の夢は果たせなかったが,幸運,清潔,穏健な保守政治家として終始した。1962~75年日本体育協会(→日本スポーツ協会)会長。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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