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相給【あいきゅう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

相給
あいきゅう
江戸時代,2人以上の地頭 (大名の家臣や旗本) が1村を分割して知行したこと,またはその知行地。地頭の数に応じて両給,三給,五給などともいい,関東地方旗本領に多い。

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世界大百科事典 第2版

あいきゅう【相給】
江戸時代,1村が2人以上の地頭または領主によって領知されること,またはその知行地。1村が分割領有されるので分郷(わけごう)ともいう。江戸時代の知行割は村高を基準に1村単位で給与されるのを原則としたが,相給方式をとることがしばしば行われ,江戸時代知行制の一特色となっている。相給例は地頭の知行所(旗本知行所,藩士知行所)にとくに著しい。公家領,寺社領でも少なくないが,領主の領分(大名領,天領)では少ない傾向にあった。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

相給
あいきゅう
江戸時代の知行(ちぎょう)形態。分給、分郷、相知(あいち)、入会(いりあい)知行ともいう。一円所領、一円知行に対するもので、一村が複数の領主に分割支配された知行またはその土地をいう。領主の数で二給とか三給、四給とよんだ。徳川氏は1590年(天正18)関東入国当初から旗本への所領宛行(あておこない)は相給を原則とし、下野(しもつけ)国(栃木県)には幕領、藩領、旗本領で一村が20給という村もある。また、諸藩家臣の知行地や公家(くげ)領も相給知行が原則で、岡山藩領備前(びぜん)国(岡山県)尾張(おわり)村には26給、公家領山城(やましろ)国(京都府)吉祥院(きっしょういん)村は64給に分割されている。[神彰利]
『『神奈川県史 通史編 2 近世 1』(1981・神奈川県)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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