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相模原台地【さがみはらだいち】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

相模原台地
さがみはらだいち
神奈川県中部にある洪積台地相模川境川にはさまれ,南北 30km,東西 7km。相模川の形成した扇状地が隆起したもので,3つの段丘に分れ,いずれも砂礫層の上にローム層が厚く堆積している。段丘の崖下には古代から集落が開かれ,海老名市国分には相模国国府がおかれていた。上位段丘面は江戸時代まで原野として残されたが,幕末に横浜港が開かれてからは養蚕が発達。第2次世界大戦後は相模川から引水する灌漑施設の建設が進み,畑地が広がった。 1950年代末からは住宅地の造成とともに工場の進出が著しく,首都圏でも人口急増地域となっている。日中戦争がってからは多数の軍事施設が建設され,第2次世界大戦後はアメリカ軍,自衛隊に引継がれている。

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世界大百科事典 第2版

さがみはらだいち【相模原台地】

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日本大百科全書(ニッポニカ)

相模原台地
さがみはらだいち
神奈川県のほぼ中央部、相模川と境(さかい)川との間に広がる洪積台地。相模原、座間(ざま)、海老名(えびな)、大和(やまと)、綾瀬(あやせ)の5市と寒川(さむかわ)町、それに藤沢、茅ヶ崎(ちがさき)両市の北部にわたっている。地質時代(更新世)に相模川がつくった扇状地が隆起したもので、地形上からは上位・中位・下位の3段の段丘に分けられ、西部には多摩丘陵と同じ高さの丘陵が連なっている。台地の表面は一面に関東ローム層(火山灰土)で覆われるので、風食を受けやすく、冬には霜柱が長期間みられ、地下水位が低く、狭長な侵食谷壁や谷底低地のほかは、地下水位が低く採水が困難で、村の成立や開発が遅れていた。各段丘の崖下(がいか)には湧水(ゆうすい)がみられ、縄文・弥生(やよい)土器の出土地や高塚古墳があり、勝坂遺跡(かっさかいせき)(相模原市)は国指定史跡。古代には海老名に相模国府が設けられて相模の行政中心地となり、台地面を北東へ横切って東海道がつくられ、浜田の駅家(うまや)が設けられ、また国分寺跡(国指定史跡)が残されている。平安後期には、国司として来任していた相模平氏その他による侵食谷底低地の開拓が行われた。しかし、上位段丘面は水利が悪くて平地林のままに推移し、江戸時代の新田開発も不成功に終わったものが少なくなかった。幕末の開国に伴って生糸輸出の道が開け、貿易港横浜に近い相模原台地は急速に桑園化されて、養蚕地域になった。第二次世界大戦中には、軍の学校、工廠(こうしょう)、病院、飛行場がいくつも設けられたが、戦後まもなく食糧増産のために、相模川河水統制事業が進められ、畑地灌漑(かんがい)による水田化、畑作物増産のモデル地域となった。これと相前後して、現JR横浜線、小田急線、東京急行電鉄田園都市線、相模鉄道の沿線に住宅地開発と工場進出が相次ぎ、台地の5市は首都圏内でも人口増加率の最高地域となっている。北西の田名(たな)地区と南の小出(こいで)地区は、それぞれ大規模有畜(養鶏、養豚)や野菜栽培を中心とする近郊農業の典型地域として知られる。[浅香幸雄]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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