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白河天皇【しらかわてんのう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

白河天皇
しらかわてんのう
[生]天喜1(1053).6.20. 京都
[没]大治4(1129).7.7. 京都
第 72代の天皇 (在位 1072~86) 。名は貞仁。後三条天皇の第1皇子,母は中納言藤原公成の娘,贈皇太后藤原茂子。延久4 (72) 年4月受禅即位。当時摂関家の勢力減退に乗じて実権を伸ばし,応徳3 (86) 年第3皇子善仁親王 (堀河天皇) に譲位したが,その後も上皇として政務をとり,いわゆる院政を開始した。仏教に帰依し,永長1 (96) 年剃髪して法皇となり,法名を融覚と称したが,依然として院政をとり,堀河,鳥羽,崇徳の3代にわたっている。法勝寺をはじめとする多くの造寺造仏や鳥羽離宮などの大土木工事は富裕な受領層の力によることが多かった。その治世は普通「天下三不如意」の「山法師賀茂川の水,双六のさい」として伝えられているが,これは当時の世相の混乱を示すものである。陵墓は京都市伏見区竹田浄菩提院町の成菩提院陵。

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デジタル大辞泉

しらかわ‐てんのう〔しらかはテンワウ〕【白河天皇】
[1053~1129]第72代天皇。在位1073~1087。後三条天皇の第1皇子。名は貞仁。譲位後も、堀河鳥羽崇徳天皇の3代にわたって43年間院政を行った。深く仏教に帰依し、社寺参詣もしきりに行った。法名、融覚。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

白河天皇 しらかわてんのう
1053-1129 平安時代中期-後期,第72代天皇。在位1073*-87*。
天喜(てんぎ)元年6月19日生まれ。後三条天皇の第1皇子。母は藤原茂子。父の譲位をうけて即位。在位中に後三年の役や富士山の噴火があった。譲位後は院政をしき堀河・鳥羽・崇徳(すとく)3天皇の43年間,政治の実権をにぎった(院政のはじめ)。北面の武士をおいて御所と僧兵の騒乱などにそなえ,また仏教を信じ法勝寺などを建立した。大治(だいじ)4年7月7日死去。77歳。墓所は成菩提院陵(じょうぼだいいんのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は貞仁(さだひと)。別名に六条院。法名は融観。日記に「白河院御記」。
【格言など】静かなるけしきぞしるき月影の八百(やほ)よろづ代を照らすべければ(「玉葉和歌集」)

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世界大百科事典 第2版

しらかわてんのう【白河天皇】
1053‐1129(天喜1‐大治4)
第72代に数えられる天皇。在位1072‐86年。後三条天皇第1皇子。母は藤原公成女(同能信養女)茂子。諱(いみな)は貞仁。1065年(治暦1)元服。69年(延久1)東宮。72年12月即位。翌年父上皇没。また摂関家の重鎮であった前関白藤原頼通,上東門院彰子が翌74年(承保1)に,75年には関白教通が没,関白は頼通の子師実が継いだ。そして摂関家の衰勢に対し,先朝以来の村上源氏の進出が目だつが,同氏は本来摂関家と姻戚関係が深く,両者は必ずしも対立的ではなかった。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

しらかわてんのう【白河天皇】
1053~1129) 第七二代天皇(在位1072~1086)。後三条天皇の第一皇子。名は貞仁。譲位後、上皇として院政を創始。以後43年間朝政を掌握した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

白河天皇
しらかわてんのう
(1053―1129)
平安後期の天皇(在位1072~86)。名は貞仁(さだひと)。天喜(てんき)元年6月20日生まれ。後三条(ごさんじょう)天皇の第1皇子。母は藤原能信(よしのぶ)の娘茂子(藤原公成(きんなり)の養女となる)。父から譲位され即位、第1皇子の夭逝(ようせつ)後、第2皇子善仁(たるひと)親王8歳のときに位を譲り(堀河(ほりかわ)天皇)、院政を行った。親政、院政期を通じて、1075年(承保2)、99年(康和1)、1107年(嘉承2)、27年(大治2)などに荘園(しょうえん)整理令を発し、父の政治路線を引き継いだ。また、叙位、任官について独裁的な発言力をもち、受領(ずりょう)を優遇した。院の武力として北面(ほくめん)の武士を創設し、新興の源・平氏をこれにあてた。仏教への傾倒も著しく、1096年(永長1)出家して法皇となり、「国王の氏寺(うじでら)」とうたわれた法勝寺(ほっしょうじ)などを建立した。堀河天皇の死後、5歳の宗仁(むねひと)親王を即位させ(鳥羽(とば)天皇)、さらに譲位させ、鳥羽の皇子顕仁(あきひと)親王を皇位につけた(崇徳(すとく)天皇)。3代の天皇の在位期間を通じて「治天の君(ちてんのきみ)」の地位にあり、親政時代を含めると半世紀を超えて権力を握っていた。とくにその後半は絶対的な専制政治を行ったことによって「天下三不如意(てんかさんふにょい)」(賀茂(かも)川の水、双六(すごろく)の賽(さい)、山法師(やまほうし))の話が生まれた。藤原宗忠(むねただ)は彼が死んだとき、「法皇の威光は四海に満ち、天下これに帰服した」とその日記『中右記(ちゅうゆうき)』に評した。大治(だいじ)4年7月7日死去。墓は京都市伏見(ふしみ)区竹田浄菩提院(じょうぼだいいん)町の成菩提院陵。[川島茂裕]
『安田元久著『日本の歴史7 院政と平氏』(1974・小学館)』

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367日誕生日大事典

白河天皇 (しらかわてんのう)
生年月日:1053年6月19日
平安時代後期の第72代の天皇
1129年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

しらかわ‐てんのう しらかはテンワウ【白河天皇】
第七二代天皇。後三条天皇の第一皇子。母は藤原茂子。名は貞仁。延久四年(一〇七二)即位。応徳三年(一〇八六)幼少の堀河天皇に譲位の後も、上皇として院政をはじめ、堀河、鳥羽、崇徳天皇の三代、四三年間執政した。嘉保三年(一〇九六)出家して法皇となる(法名融覚)。仏教に深く帰依したが、造寺や寺社参詣をしきりに行ない、その財源を富裕な受領層に求めた。その治世の破綻は、「天下三不如意」(山法師・賀茂川の水・双六のさい)として伝えられる。天喜元~大治四年(一〇五三‐一一二九

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