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畔上楳仙【あぜがみ ばいせん】

美術人名辞典

畔上楳仙
曹洞宗第三代管長・永平寺貫主。総持寺独住第二世。信濃国生。幼名は亀蔵、諱は楳仙、道号は大岡、号は随時道人。七才で得度。明治16年より永平寺貫主と一年交代で管長職を務める。長野県永寿院を開き、東京小石川茗荷谷林泉寺に退董した。著書は『三根坐禅説略解』『曹洞宗義大綱』等多数。明治34年(1901)寂、64才。

出典:(株)思文閣

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

畔上楳仙 あぜがみ-ばいせん
1825-1901 江戸後期-明治時代の僧。
文政8年7月15日生まれ。曹洞(そうとう)宗。下総(しもうさ)孝顕寺の月山,相模(さがみ)松石寺の国隠らにまなび,郷里の信濃(しなの)(長野県)にかえり興隆寺の活英の法をつぐ。おおくの寺の住職をつとめたのち,明治13年総持寺貫主,翌年曹洞宗管長。明治34年12月27日死去。77歳。号は大岡。諡号(しごう)は法雲普蓋禅師。著作に「坐禅用心記落草談」など。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)

畔上楳仙
あぜがみばいせん
(1825―1901)
幕末から明治期の曹洞(そうとう)宗の僧。号は大岡。法雲普蓋(ふがい)禅師の勅賜号を得た。信濃(しなの)国(長野県)下高井郡夜間瀬(よませ)村(現山ノ内町)に生まれ、幼名は亀蔵。7歳で出家し江戸・駒込(こまごめ)の栴檀林(せんだんりん)に学び、また信濃・松代(まつしろ)の長国寺覚巌、相模(さがみ)(神奈川県)早川・海蔵寺月潭(げったん)らに参じた。信濃の興隆寺、大林寺、長国寺、前橋の竜海院、相模の最乗寺などに歴住し、1880年(明治13)大本山総持寺独住2世貫首となり、滝谷琢宗(たきやたくしゅう)とともに『曹洞教会修証義』を編み、近代教化の基本を定めた。1901年(明治34)東京・小石川茗荷谷(みょうがだに)の林泉寺に退き、12月27日に入寂した。著書に『坐禅(ざぜん)用心記落草談』『十種疑問落草談』『信心銘拈提(ねんてい)落草談』などがある。[櫻井秀雄]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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