Rakuten infoseek

辞書

田堵【たと】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

田堵
たと
田刀,田頭,田都とも書く。元来,現地を意味し,人をさすときは田堵住人,田堵作人といったが,のち人をさすようになった。一般には荘園内の田畑を耕作し,小地主の性格をもつ者を意味するようになり,平安時代から史料的に散見する。土地に対する領主との関係は,田堵が領主にその耕作を申請し,領主がこれを充行 (あておこな) うといういわゆる請作 (うけさく) 関係にあった。土地に対する田堵の権利を作手 (さくて) といったが,やがてその請作地に田堵自身の名をつけるようになり,平安時代末期以降,一般的には名主 (みょうしゅ) といわれるようになった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

た‐と【田×堵/田刀】
平安時代、荘園公領の田畑を耕作し、年貢公事(くじ)を納めた農民たとう。でんと。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

でん‐と【田×堵】

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

たと【田堵】
平安時代にみられる荘園(公領)の請作(うけさく)者。かつては名主(みようしゆ)と同じものとみられていたが,最近では名主の前段階的存在とみられている。9~10世紀の史料では主として〈田刀〉とみえる。この時代,荘園領主は荘田を田堵らに1年ごとに充て行い(散田),田堵らは請文(うけぶみ)(契約書)を提出してそれを請作した。このように,田堵らは請作地に対しては1年限りの耕作権しか有していなかったので,彼らの耕作権は弱く,請作者としての地位はきわめて不安定であった。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

田堵
たと
平安時代にみられる荘園(しょうえん)・国衙(こくが)領(公領)の請作(うけさく)者。かつては名主(みょうしゅ)と同じものとみられていたが、最近では名主の前段階的存在とみられている。9~10世紀の史料では主として田刀とみえる。この時代、領主は田地を田堵らに1年ごとに宛(あて)行い(散田(さんでん))、田堵らは請文(うけぶみ)(契約書)を提出してそれを請作した。このように、田堵らは請作地に対しては1年限りの耕作権しか有していなかったので、彼らの耕作権は弱く、請作者としての地位はきわめて不安定であった。しかし、耕作と地子(地代)納入のみが義務であり、人身的隷属関係はなかった。その点、田堵は人格的に自由な立場にあった。つまり、田堵は農業経営の専門家である。しかし他方で、1099年(康和1)丹波(たんば)国波々伯部(ははかべ)村(兵庫県城東町)の田堵らが先祖相伝の所領計25町八反余を感神院(祇園(ぎおん)社)に寄進したことなどからも知られるように、土地所有者としての側面ももっていた。この時代、収納の単位として名(みょう)があったが(その責任者が負名(ふみょう))、田堵と名(負名)の両者の性格が一体化するとともに名主へと発展したとみられている。[中野栄夫]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

田堵」の用語解説はコトバンクが提供しています。

田堵の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.