Rakuten infoseek

辞書

生野銀山【いくのぎんざん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

生野銀山
いくのぎんざん
兵庫県朝来市にある 16世紀以来銀山大同2 (807) 年発見されて以来採掘されていたらしいが,天文 11 (1542) 年山名祐豊が本格的な開発に着手して以来,有数の山となった。織田信長豊臣秀吉直轄領として重視,徳川家康も慶長3 (1598) 年直轄地として代官を置き経営。慶長,元和の頃が最盛期で,産銀額も全国一で,石見銀山と並んで銀貨原料の最大の供給源となった。明治維新後,官営として政府は外国人技師を招き,採掘,精錬などの技術の近代化に努めた。 1889年には宮内省御料となった。 1896年には三菱財閥に払い下げられ,以来民間経営に移ったが,1973年3月閉山した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

いくの‐ぎんざん【生野銀山】
兵庫県中央部、朝来(あさご)市にあった銀山。(すず)・・鉛なども産し、大同2年(807)発見と伝えられる。江戸幕府直轄となり、産出量を誇った。明治以後、三菱金属鉱業の鉱山となり、昭和48年(1973)閉山。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

いくのぎんざん【生野銀山】
兵庫県朝来郡生野町に所在した銀・銅・鉛鉱山の総称。太盛山,内尾谷,金香瀬,若林山,千珠山,篤光山などの諸鉱山からなる。この地域は,第三紀の凝灰岩,ケツ岩などが厚く堆積しており,それを覆って,あるいは貫入,逬入(へいにゆう)した流紋岩,安山岩類の火成岩とともに地質学的なベースン(盆状構造)をなしている。このベースンに大小60余条におよぶ割れ目充てん熱水性鉱脈が知られている。1973年の休山に先立つ数年間は,シュリンケージ採掘法,サンドスライム充てん採掘法によって年間25万t(銅品位1.03%)を生産していた。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

いくのぎんざん【生野銀山】
生野にあった銀・銅・鉛の諸鉱山の総称。807年発見と伝えられ、戦国時代に山名氏が開発。のち信長・秀吉・家康とも直轄支配・経営にあたる。江戸時代、産銀額は全国一。1973年(昭和48)閉山。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

生野銀山
いくのぎんざん
兵庫県朝来 (あさこ) (近代以降)郡生野町にあった戦国時代以来の銀山
807年の発見と伝えられるが,元亀年間(1570〜73)領主山名氏の開発により発展。その後,織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らは,それぞれ直接経営にあたり,その産額は17世紀前半が最も多く,当時全国一であった。明治維新後官営となり,のち1896年三菱に払い下げられた。1973年休山。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

生野銀山」の用語解説はコトバンクが提供しています。

生野銀山の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.