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王羲之【おうぎし】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

王羲之
おうぎし
Wang Xi-zhi
[生]太安2(303)頃
[没]升平5(361)頃
中国,東晋の書家。瑯や臨沂 (りんぎ。山東省) の人。字は逸少。官は右軍将軍,会稽内史にいたった。初め衛夫人の書風を習い,のち漢,魏の碑文を研究し,楷,行,草の各書体を完成して芸術としての書の地位を確立した。中国第1の書聖と尊敬される。彼の真跡は伝来しないが,唐代の双鉤填墨 (そうこうてんぼく) 本の『喪乱帖』,『孔侍中帖』などの尺牘 (せきとく) が,日本へ奈良時代から将来されて流行し,これによって羲之の書風をうかがうことができる。刻本では『蘭亭序』『十七帖』『聖教序』などが名高く,楷書の『黄庭経』『楽毅論』がある。日本の上代様成立に多大の影響を及ぼした。第7子の王献之もすぐれた書家で,父とあわせて「二王」と称された。

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デジタル大辞泉

おう‐ぎし〔ワウ‐〕【王羲之】
[307~365]中国、東晋の書家。琅邪臨沂(ろうやりんき)(山東省)の人。字(あざな)は逸(いつしょう)。その書は古今第一とされ、行書蘭亭序」、草書「十七帖」などが有名。書聖と称される。子の王献之とともに二王といわれる。

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世界大百科事典 第2版

おうぎし【王羲之 Wáng Xī zhī】
307?‐365?
中国,東晋の書家。山東省南東部の琅邪臨沂(ろうやりんぎ)の人。名は逸少。官名により王右軍と呼ばれる。父は王曠(おうこう),東晋の元勲王導とはいとこの間柄になる。王羲之は早く父を失ったので,この王導や叔父の王おうい)の庇護をうけて成長し,実力者の郗鑒(ちかん)の女と結婚し,貴族社会の寵児として官界に乗り出し,征西将軍府参軍として武昌に赴き,累進して長史となり,のち寧遠将軍,江州刺史となった。王導からたびたび建康(現,南京)の中央政府に入ることをすすめられ,辞退しきれず,一時,護軍将軍に就任したが,中央の空気になじめず,地方に出ることを希望し,351年(永和7),右軍将軍,会稽内史として会稽郡治の山陰県に赴任した。

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大辞林 第三版

おうぎし【王羲之】
307~365 中国、東晋しんの書家。字あざなは逸少。隷書をよくし、楷・行・草の三体を芸術的な書体に完成、書聖と称された。その書は日本には奈良時代に伝わり、上代様の成立に大きな影響を与えた。文章もよくし、「蘭亭序」「十七帖」などを著す。子の王献之とともに「二王」と呼ばれる。真跡は伝存しないが、模本や拓本が伝えられる。

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王羲之
東晋時代(317~420年)に活躍した中国の政治家・書家。「逸少」と称し「王右軍」とも呼ばれた。西暦303年生まれ、361年。名門貴族の家柄とすぐれた人格見識により高級官職に引き立てられたが、355年、官職を辞して隠遁、清談の生活に入る。幼少期より書の世界に精進し、中国はもちろん日本でも、現代に至るまで書家に絶大な影響を与えた「書聖」として崇められている。代表作『蘭亭序』を始め、草書の神品と言われる『十七帖』ほか、わずかな文字数の書が模写、模刻されているが、真筆はすべて失われたと考えられている。2013年1月、3行24字が書かれた手紙の精巧な写しが日本国内で発見され、大きな話題を呼んだ。
(2013-1-10)

出典:朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)

王羲之
おうぎし
(307―365)
中国、東晋(とうしん)時代の能書家。中国、日本において書聖として尊重される。東晋の建国に功労のあった王導(おうどう)の従弟(いとこ)王曠(おうこう)の子。字(あざな)は逸少(いっしょう)。琅邪(ろうや)臨沂(りんぎ)(山東省臨沂県)の人。秘書郎(宮中の典籍をつかさどる)をはじめとし、会稽(かいけい)王友、臨川大守、江州刺史(しし)、護軍将軍を歴任した。名門の出身であったが、中央政府の地位を求めず、351年(永和7)には右軍(ゆうぐん)将軍、会稽内史に任じられ、会稽郡山陰県(浙江(せっこう)省紹興(しょうこう)府)に赴任した。この官名により王右軍と称される。また353年3月、山陰県の名勝蘭亭(らんてい)に時の名士謝安、孫綽(そんしゃく)らと会合し、詩を賦したことは有名で、曲水(きょくすい)の宴として後世に伝わる。4年間の在任ののち辞任して、以後は自然に心を寄せ隠逸生活を送った。
 書は幼少よりよくし、衞夫人(えいふじん)や叔父王(おうよく)から筆法を授けられ、さらに漢魏(かんぎ)の遺品をも学んだ。学書が進むにしたがい、しだいに羲之の能書としての名声は高まっていった。また、彼が、漢代に萌芽(ほうが)した楷(かい)・行(ぎょう)・草(そう)の実用書体を芸術的な書体にまで完成させたことは特筆に値する。彼の書は在世中より尊重され、南朝の宋(そう)・斉(せい)・梁(りょう)の各王朝においても王侯貴族により愛好、絶賛された。さらに、隋(ずい)を経て唐代には能書帝太宗が羲之を尊重し、その書を広く収集したこともあって、羲之書法は大いに盛行した。以後、後世の書に果たした役割および影響は大きいものがある。
 日本においては、『扶桑略記(ふそうりゃっき)』の754年(天平勝宝6)正月16日の記事が、鑑真(がんじん)の渡来とともに羲之書法の伝来を伝える。その後も羲之書法の伝来は多く、平安時代の三筆、三蹟(さんせき)によって完成された和様書道にも大きな影響を与えた。また、近世になって盛んに渡来した集帖(しゅうじょう)などにより、さらに羲之書法は書の規範としての地位を高めていった。
 今日、羲之の真跡は伝存しないが、双鉤填墨(そうこうてんぼく)(書写された文字の上に薄紙を置いてその輪郭をとり、その中を墨で塗抹する模写法)による『喪乱帖(そうらんじょう)』(宮内庁)や『孔侍中帖(こうじちゅうじょう)』(前田育徳会)、さらに『蘭亭序(らんていじょ)』『十七帖』『集王聖教序(しょうぎょうのじょ)』などの拓本が伝えられ、これらによって羲之書法とその尊重ぶりをうかがうことができる。[島谷弘幸]
『宇野雪村他編『王羲之書蹟大系』(1982・東京美術)』

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精選版 日本国語大辞典

おう‐ぎし ワウ‥【王羲之】
中国、晉代の書家。字(あざな)は逸少。琅邪(ろうや)(=山東省)の人。官は右軍将軍で、王右軍ともいわれる。楷、行、草三体の書体を芸術的完成の域にまで高め、「書聖」といわれ、子の王献之と共に「二王」と呼ばれる。作品に「蘭亭序」「喪乱帖」「黄庭経」「楽毅論」などがある。(三〇七‐三六五

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