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源頼家【みなもとのよりいえ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

源頼家
みなもとのよりいえ
[生]寿永1(1182).8.12. 鎌倉
[没]元久1(1204).7.18. 伊豆
鎌倉幕府2代将軍 (在職 1202~03) 。頼朝の長子。母は北条政子。幼名,万寿。頼朝の死後家督を継ぎ,建仁2 (1202) 年7月征夷大将軍になったが,実権は北条氏が掌握。同3年8月病を理由に,関東 28ヵ国の地頭職および総守護職を子一幡に,西国 38ヵ国の地頭職を弟千幡 (→源実朝 ) に譲らされた。9月頼家は舅の比企能員と結び北条氏を除こうとはかったが失敗。能員と一幡は北条時政に殺され,頼家は伊豆修禅寺閉され,のち北条氏に殺された。

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デジタル大辞泉

みなもと‐の‐よりいえ〔‐よりいへ〕【源頼家】
[1182~1204]鎌倉幕府第2代将軍。頼朝長男。母は北条政子。父の死後家督を継ぎ、征夷大将軍となった。北条氏の合議制による将軍権能の制限を嫌い、これを討とうとしたが失敗、伊豆の修禅寺に幽閉されて殺された。

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世界大百科事典 第2版

みなもとのよりいえ【源頼家】
1182‐1204(寿永1‐元久1)
鎌倉幕府第2代将軍。源頼朝の長子。母は北条政子。1199年(正治1)父の死後17歳で家督を継ぎ,1202年(建仁2)征夷大将軍。北条氏のはからいで有力御家人13人による合議制がしかれたため独裁することができず,また03年には66ヵ国地頭職および惣守護職を子の一幡(いちまん)と弟の千幡(後の実朝)へ分譲決定を余儀なくされた。同年9月舅比企能員(ひきよしかず)と謀って北条氏討伐を企てたが失敗し,比企氏は滅び頼家は伊豆修禅寺に幽閉され,翌年7月18日同寺で刺殺された。

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大辞林 第三版

みなもとのよりいえ【源頼家】
1182~1204 鎌倉幕府二代将軍。頼朝の長男、実朝の兄。母は北条政子。幼名、万寿。1199年頼朝の死により家督を継ぎ、1202年征夷大将軍に任じられたが、北条時政らに実権を奪われた。義父の比企能員よしかずとともに北条氏追討を企てるも失敗、伊豆修善寺に幽閉、謀殺された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

源頼家
みなもとのよりいえ
(1182―1204)
鎌倉幕府第2代将軍。源頼朝(よりとも)の長子。母は北条政子(ほうじょうまさこ)。幼名万寿(まんじゅ)、十万(じゅうまん)。1199年(正治1)父頼朝の死後家督を継ぎ、1202年(建仁2)将軍に就任した。頼家は、妻の父である有力御家人(ごけにん)比企能員(ひきよしかず)を登用して、頼朝死後の幕府の体制を立て直そうとしたが、比企氏の勢力が強大となることを恐れた北条氏は、頼家の母政子と結んで、北条時政(ときまさ)、大江広元(おおえのひろもと)、梶原景時(かじわらかげとき)、和田義盛(わだよしもり)ら13人の有力御家人の合議制によって政治を進めることにし、頼家の独裁を抑えようとした。その後、有力御家人間の主導権をめぐる権力闘争が激化し、北条氏が着々と勢力を伸張するなかで、頼家の将軍としての実権はしだいに有名無実化していった。そこで頼家は比企氏と結んで権力の回復を意図したが、かえって有力御家人の離反を招く結果となった。1203年8月、北条氏は頼家が病気となったのを口実として権限を奪い、総地頭職(そうじとうしき)・総守護職を頼家の子一幡(いちまん)と弟の千幡(せんまん)(実朝(さねとも))に分割支配させようとした。頼家は比企氏と図って北条氏を排除しようとしたが、逆に比企氏は誅伐(ちゅうばつ)され、この計画に加わっていたことを理由に頼家は将軍職を奪われ、伊豆国修禅寺(しゅぜんじ)に幽閉され、翌1204年(元久1)7月18日、北条氏による刺客によって殺された。墓は静岡県伊豆市修禅寺門前にある。[瀬野精一郎]

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367日誕生日大事典

源頼家 (みなもとのよりいえ)
生年月日:1182年8月12日
鎌倉時代前期の鎌倉幕府第2代の将軍
1204年没

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精選版 日本国語大辞典

みなもと‐の‐よりいえ【源頼家】
[一] 平安時代の歌人。清和源氏。頼光の子。備中・越中・筑前守を歴任。従四位下。和歌六人党の一人。「後拾遺集」以下の勅撰集に九首入集。生没年未詳。
[二] 鎌倉幕府二代将軍。頼朝の長子。母は北条政子。正治元年(一一九九)頼朝の死により家督を継いだが、北条氏のために将軍の権限を抑えられ、比企能員と北条氏討伐を企てたが失敗し伊豆修善寺に幽閉され、殺された。寿永元~元久元年(一一八二‐一二〇四

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