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源頼光【みなもとのよりみつ】

日本大百科全書(ニッポニカ)

源頼光(みなもとのよりみつ)
みなもとのよりみつ
(948―1021)
平安中期の武将。名は「らいこう」とも。満仲(みつなか)の長男。備前(びぜん)、美濃(みの)、但馬(たじま)、摂津などの国守を歴任し、その間、春宮(とうぐう)大進、内蔵頭(くらのかみ)を兼任した。なかでも美濃守(かみ)は二度経験しており、初回のとき隣国の尾張(おわり)守となった大江匡衡(まさひら)と書状を交わして互いに門出を慶祝しあっている。頼光は藤原摂関家と関係を密にし、988年(永延2)には兼家(かねいえ)(道長の父)が新造した二条京極第(にじょうきょうごくてい)の落成の祝宴で、賓客に馬30匹を贈り兼家の覚えをよくした。とくに道長への追従には目を見張るものがあった。道長が主催する法華八講(ほっけはっこう)や30講には諸物を進上して奉仕に努め、また1016年(長和5)の大火で焼亡した道長の土御門第(つちみかどてい)の再建に際して、必要な調度類いっさいを献上して道長を喜ばせ、見物の人々を大いに驚かせた。これらを可能にした経済的基盤は、諸国の受領(ずりょう)を歴任することによって得た財力であった。なお頼光は平安京内の一条大路南に邸宅を構えていたが、ここに藤原道綱(みちつな)を婿に迎えて同居したことがある。彼の武士としての面では、後世の四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井(うすい)貞光、卜部季武(うらべすえたけ))の故事や酒呑童子(しゅてんどうじ)の話などによって喧伝(けんでん)されたが、実際にはあまりみるべきものがない。しかし、996年(長徳2)の藤原伊周(これちか)・隆家(たかいえ)兄弟の左遷のとき護衛の任務を帯びて伺候(しこう)した事実や、一条(いちじょう)朝の人材輩出のなかで武士として彼の名があげてあることなどから、当時すでに貴族に侍(さぶろ)う武士として認識されていたとみなしてよい。[朧谷 寿]
『鮎沢寿著『源頼光』(1968・吉川弘文館)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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