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源俊頼【みなもとのとしより】

美術人名辞典

源俊頼
平安後期の歌人。正二位大納言源経信の子。近衛少将・左京権大夫・木工頭を歴任、従四位上に至る。白河院より命を受け『金葉集』を撰した。進歩的で清新な歌風で、勅撰集に約200首の和歌が選入される、院政期を代表する大歌人として知られる。自選歌集に『散木奇歌集』、歌論書に『俊頼髄脳』がある。大治4年(1129)歿、75才。

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デジタル大辞泉

みなもと‐の‐としより【源俊頼】
[1055~1129]平安後期の歌人。経信の子。俊恵(しゅんえ)の父。自由清新な和歌によって高く評価され、保守派の藤原基俊と対立した。金葉集を撰進。家集散木奇歌集」、歌学書俊頼髄脳」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

源俊頼 みなもとの-としより
1055-1129 平安時代中期-後期の官吏,歌人。
天喜(てんぎ)3年生まれ。源経信(つねのぶ)の3男。堀河院歌壇の中心的存在で,白河法皇の命により「金葉和歌集」を撰進した。勅撰集には210首はいっている。篳篥(ひちりき)の名手。官途にめぐまれず,木工頭(もくのかみ)でおわった。大治(だいじ)4年死去。75歳。家集に「散木(さんぼく)奇歌集」,歌論書に「俊頼髄脳」。
【格言など】憂かりける人をはつせの山おろし激しかれとは祈らぬものを(「小倉百人一首」)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

みなもとのとしより【源俊頼】
1055‐1129(天喜3‐大治4)
平安後期の歌人。官人としては従四位上木工権頭まで進んだ。大納言経信の子,橘俊綱の養子。父の薫陶を得て歌才楽才を発揮,はじめ堀河院内裏歌壇で中心的役割を果たし,組題百首の嚆矢《堀河百首》の企画を成功させ,諸歌合で作者,判者として活躍。鳥羽朝以後は藤原基俊とともに歌壇の指導者として精力的な歌壇活動を展開,歌道の文芸意識,批評意識を高めて,一時代を画した。ことに俊頼は,末代の和歌が枯渇しつつあると観察,万葉好尚の機運を作る一方,詩情・表現の〈珍しき節(ふし)〉を求め,大胆に歌詞,題材の拡充をはかり,たえず新奇な歌境の拡大を念じて卑俗な田園趣味も摂取,新風和歌を開拓して,王朝和歌に新展開をもたらした。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

みなもとのとしより【源俊頼】
1055~1129) 平安後期の歌人。経信の子。白河院の命により「金葉和歌集」を撰進。新奇な表現と題材を積極的に開拓し、歌壇に新風を吹き込んだ。著「俊頼髄脳」、家集「散木奇歌さんぼくきか集」がある。多くの古筆切の筆者に比定される。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

源俊頼
みなもとのとしより
[生]天喜3(1055)頃
[没]大治4(1129)頃
平安時代後期の歌人。経信の子で俊恵 (しゅんえ) の父。従四位上木工頭。藤原基俊と相対した歌壇の権威で,寛治3 (1089) 年の『寛子扇歌合』以下多数の歌合に出詠したり判者となった。『堀河百首』や『永久百首』の作者の一人でもある。『金葉和歌集』の撰者で,勅撰集に新風をもたらし,歌学書『俊頼髄脳』の著述もある。私家集に『散木奇歌集』があり,『金葉和歌集』以下の勅撰集に 210首近く入集。伝俊頼筆『古今集』断巻がある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

源俊頼
みなもとのとしより
(1055―1129)
平安後期の歌人。父は大納言経信(つねのぶ)。右近衛(うこんえ)少将、左京権大夫(ごんのだいぶ)を経て従(じゅ)四位上木工権頭(もくのごんのかみ)に終わる。幼時、橘俊綱(たちばなのとしつな)に養育された。父経信から音楽(篳篥(ひちりき))の才芸と和歌の家学を継承、堀河(ほりかわ)朝で帝側近の楽人・歌人として頭角を現し、父の死後は歌壇の指導者として活躍した。ことに『宰相中将国信卿家歌合(くにざねきょうのいえのうたあわせ)』や、『堀河百首』の企画などを通じて、『古今集』以来の優美な表現系列のほかに、『万葉集』好尚を中心とする新奇・卑俗・滑稽(こっけい)な歌境・歌語を導入し、また清新な叙景歌を生むなど、末代和歌の行き詰まりを打開すべく、大胆な新風を開拓した。老年期には退官、田上(たのかみ)別荘への隠棲(いんせい)と、打ち続く不遇感にとらわれていたが、そのなかで、白河(しらかわ)院の院宣を受け、『金葉和歌集』を撰進(せんしん)、また長大な歌論書『俊頼髄脳』を完成させ、ついで最晩年には自詠を部類した全歌集『散木(さんぼく)奇歌集』を編纂(へんさん)、巨匠の生涯を飾った。[近藤潤一]
 うかりける人を初瀬の山おろしはげしかれとは祈らぬものを
『橋本不美男著『院政期の歌壇史研究』(1966・武蔵野書院) ▽関根慶子著『源俊頼』(『和歌文学講座6 王朝の歌人』所収・1970・桜楓社) ▽池田富蔵著『源俊頼の研究』(1973・桜楓社)』

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精選版 日本国語大辞典

みなもと‐の‐としより【源俊頼】
平安後期の歌人。経信の三男。母は土佐守源貞亮の女。歌人として重んぜられ、白河上皇の命をうけ「金葉和歌集」を撰進。同時代の多くの歌合にも作者や判者として加わり、勅撰集に採録された彼の歌は約二〇〇首を数える。家集「散木奇歌集」、歌学書に「俊頼髄脳」がある。天喜三~大治四年(一〇五五‐一一二九

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